分かれ道
分かれ道。
ダンジョンの醍醐味とも呼べる艱難に、歴戦の勇者は即決即断だった。左右に伸びる道を右に進む。
「ふっ、百戦錬磨の勇者を舐めないで頂きたい」
ムケツは、こういう時必ず右を選んできた。人は迷った時、行動学的見地から、迷ったり未知の場所に踏み入れると左を選びやすいと聞く。だからこその右。人は右利きが多い。知らず知らずに右足に力がかかり、無意識に左に進んでいくのだ。だからこその右(二回目)。罠を仕掛けるとすれば決まって左なのだ。
ムケツは、これを『ムケツ理論』と呼んでいる。
特許申請中だが、逆に訴えられた。
(ふっ、世の中分からないものだ)
実はその裁判から逃げてきた、という側面もある。この宛のない旅は。
直後。ムケツは足を踏み出し、ぽかりと空いた落とし穴に踏み外した。
「おぅ、のおおおぉぉぉお!!?」
哀れ真っ逆様。星の重力を利用したこの上ない最上の罠。その果ては底なしの暗闇だ。まさにこの惑星そのものとの対決。
「負け、ない……!」
乙女みたいな顔色でムケツが踏ん張る。底なし落とし穴に対抗するため、その歴戦のケツ穴から一対の(茶色の)翼が顕現する。
九百九拾九分の一その三、『
引力の克服。惑星からの超克。へっぴり腰のムケツは宙を浮いていた。しかし、それは天を我が儘に飛び回れる
しかし、それは天を我が儘に飛び回れる
「へっ、ふう……あ、はあ……ふ、ふう、ふええ――――っ」
怪力無双が力の限り踏ん張った結果、それはじりじりと続く滑空だった。要するに、落ちていることには変わりない。ユニークな格好で滑空する変態が蛙泳ぎで中空をさ迷う。
「はは、いい、運動だぜ…………!」
誰もいない暗がりに強がる。
その暗闇の底の底が針のむしろだと視認したとき、ムケツは脳裏にフィルムが回り出すのを感じた。
――
「やあやあ! 我が腐れ縁たる相方、ゾゾではないか!」
「ん。どした?」
「いやあ、博識な相方に『発酵と腐敗の違い』をご鞭撻頂きたくてね」
「そう」
「どっちも腐っているようにしか見えないのだが、そこには何か差があるのかね」
「同じだと。生活に役立つものを発酵と区別しただけ」
「そうかふむふむ。では、貴公のドブみたいな体臭はどっちなのだ?」
「シネ」
――
ただの走馬灯だった。
無数の銀の大針が少しずつ近づいてくる。殺人兵器がギラリと光る。落ちれば間違いなく串刺しだ。いくら完全無欠の大英雄でも串刺しにされたら死んでしまう。情けない。
喉がカラカラに枯れて冷や汗が滝のようにスプラッシュ。何か妙案はないか。ムケツは祈るような心地で目を閉じた。
――
「やあやあ! 我が腐れ縁たる相方、ゾゾではないか!」
「ん。よく会うね」
「ブロードソードを新調してみたんだ! どうだね、この煌めき! 財布も大冒険だったぞ!」
「その型式。古道具屋の処分ワゴンで見たよ」
「……………………そうか。この剣、買わない?」
「シネ」
――
結局、古道具屋に売ってしまったのだった。次の日、同じ剣が二本古道具屋の処分ワゴンに並んでいた。今はそんなことどうでもいい。しんみりした心を振り払う。
闇の底の大針が近付いてくる。ヤバイ。よく見るとなんか紫色の粘液がこびりついていた。絶対、毒だ。猛毒だ。ムケツは血眼で脱出経路を探す。
――
「やあやあ! 我が腐れ縁たる相方、ゾゾではないか!」
「カカオ」
「おうち!」
「チーズ」
「ズミ!」
「味噌」
「粗悪!」
「くさや」
「やあやあその体臭は僕は好きだぞだから発酵でよし!」
「……シネ」
――
手を伸ばせば、針に届きそうだった。身を捩らせて必死に逃げようとするムケツ。あ、刺さる。
――
「やあやあ! 我が腐りかけの相方ゾ「おい今なんて言った」
「ごめん、間違えた」
「いいか。あたしはあんたとは腐れ縁だ。けど、腐ってはいない。いいか?」
「うん、ごめん」
「よし。後で納豆奢ってやろう」
「……………………………………ぇぇ」
「くさやもつけるぞ」
「ゾゾたんなんか機嫌よくない?」
「ほら。腐敗の洞窟からついに見つけたぞ。ついに揃ったんだ。これで大魔王に勝てる」
「マジかっ!? さすがは我が腐れ縁たる相方! 勝ったら二人で焼き肉だ!!」
「キムチ食べ放題な。あとチャンジャも」
「……………………………………ぇぇ。いいよ、そんな安物今から買ってあげるよ」
「……♪」
――
「そ、れ、だああああ――!!!!!!」
ムケツがしゃくれた顎を擦ると、その部分が球体になってぽろりと落ちた。『宝珠らむりん』、その効力はなんと込めた魔力を十倍にして放出する神秘の輝きだ。ムケツの全身が発酵する。もとい、発光する。
圧倒的な魔力の爆発が真下のトラップを消し炭にした。圧倒的な力業。大魔王だってそうやって倒したのだ。きっとこれが正攻法なのだ。
「む、下に道が!」
落とし穴の底ごと破壊して、ムケツは瓦礫の上にふわふわ着地した。ダンジョンの奥深く、お宝の匂いがする。上か下かの分かれ道。進む先はより奥に、下を選択する。
「ふふ、結果オーライというやつだな! さあさあ勇者ムケツが今赴くぞ!」
終わりが近い。そんな予感、いや、確信があった。
浮かれる男ムケツは、鼻唄混じりに先に進む。
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