怪盗の幕開け

1-1

 四月某日。

 都内にある、大手通信会社ロードの本社ビル、地上二十五階建ての最上階。


 僕は、重厚なドアの前に居た。もう一度深呼吸をして、そのドアをノックする。

 いや、正確に言えばノックしようとした。拳を作ってドアの前に出したのに、その先の動作がぴたりと止まる。せっかくここまで来たのに……やっぱり最後の一歩が踏み出せない。僕の悪い癖だ。踏み出さなきゃいけない。

 コンコンッ、と軽い音。呆気ないものだ。こんなにも簡単なことができないなんて……内側からドアを開けたのは、ここの秘書の人だった。

快人かいと君、ようこそ。時間ぴったりね」

 にこやかに秘書さんが言う。事前にアポは取っていた。僕は「こんにちは」と軽く会釈をする。

「どうぞ入って」

 秘書さんは僕を部屋の中へ促し、社長と呼ばれる人物に僕の来訪を伝えるため奥へ進んだ。「社長。御子息がいらっしゃいました」と声を掛けているのが聞こえる。しばらくして。

「どうぞ。奥で社長がお待ちです」

 先程と同じ、慣れた笑顔で微笑む。僕はまた会釈をして、奥の部屋のドアをくぐった。

 僕の名前は、快人。高校二年生の十六歳。

 父は社長、母はファッションデザイナーで、僕は中高一貫の名門校に通っている。

 傍から見れば順風満帆の人生だと思うだろうが、そんな僕にだって悩みくらいある。

 奥の間に入って初めに見えたのは、社長室に似合いのこれまた重厚な大きな机。そして黒革の立派な椅子には、この通信会社ロードを取り纏める代表取締役社長であり、僕の父でもある……卯路井たかひとが鎮座していた。

「よく来たな、快人。とりあえず座ってくれ」

 父はそう言いながら、机の手前にある応接用のソファに移動して座った。僕がソファに腰掛けたと同時に秘書さんが入室して、茶托に載せた湯呑茶碗を置いていく。中には暖かそうな緑茶。湯気がほわりと立ち上る。

「実は……」

 と、早速話を切り出そうとした途端、父が片手で制止した。

「まあ、まずはお茶でも飲んだらどうだ。それからゆっくり話したら良い」

 そして隣の部屋に戻ろうとしていた秘書さんに声を掛ける。

いるさん、ちょっと。快人が帰るまでは仕事の話が来ても、キャンセルでよろしく。身内の大事な話だから」

「はい、かしこまりました」

 居河さんと呼ばれた秘書さんは一礼して、しずしずと隣のドアの向こうへ下がった。

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