第36話 転移者は王子と話し合う


 本当に天国は存在する。


俺はそれを体感した翌日、いつものように朝の掃除と体力作りをしていた。


家の前の広場の向こう側。 地主屋敷の窓からロイドさんがこちらを窺っている。


昨日のお礼も込めて手を振ってみると、何故か隠れてしまった。


『ふー、昨夜のケンジは相当おかしかったからな』


「え、そう?」


疲れ果ててたのと、うれし過ぎたのとで、自分でも何をしてたか覚えてない。


そう言ったら王子がかなり呆れていた。


『恐ろしいくらいの勢いで、浴場を作る許可をくれとミランに迫っていたぞ』


かなりハイテンションだったみたいだ。


それはロイドさんに引かれるか。


「あとでお詫びに伺おうかな」


『いや、しばらく静かにしていればいいんじゃないかな』


「……はい」


 そんなわけで、俺はユキをサイモンに預け、一人で砂漠に沿って山へ向かっていた。


地主屋敷が落ち着くまでなるべく姿を見せないようにしようと思う。




 ユキたちを見つけた巣穴周辺を調べに来た。


この辺りは昨日の山狩りで逃げて来た獣がポツポツといた。


多少間引く程度に「返り討ち」の狩りをしながら、ユキたち親子がいた巣穴を確認する。


 巣穴はそのままになっていた。


周辺には他に砂狐の気配はない。


何か手がかりでもないかと山肌に沿ってウロウロしていると、


『ん?』


「どうした?」


王子が何かを見つけたようだ。


『魔力の痕跡だ』


王子が崖の上を見上げる。 崖の所々に引っかき傷のような跡が見えた。


『おそらくだが、この崖の上に逃げたのだろう』


かなり高く険しい崖になっている。


「へえ。 これなら大型の魔獣も灰色狼も追えないな」


魔力を使ったのかも知れない。 やはり砂狐たちは頭がいいのだ。


 ただ、ユキたちの親は生まれたばかりの子狐二匹がいたので崖下に残ったのだろう。


そのために襲われたのだ。


まあ逃げた砂狐たちが無事ならば、そうっとしておいてやろう。


いつかユキとアラシを彼らに会わせられる日も来るかも知れない。


俺は静かにその場を離れた。




「お帰り、ネス」


家の裏でサイモンと子狐たちが遊んでいた。


「ただいま」


ローブにバンダナ姿の俺は飛びついて来たユキをそのまま抱き留める。


「皆は?」と訊くとサイモンは地主の屋敷を指差した。


リタリは今日はロシェと一緒に鳥の卵をどうやって売るかの相談をしているらしい。


肉としてなら雛はひと月もすれば食べられるそうだが、卵はたった一日しかもたない。


丸一日を経過すると孵ってしまうのだ。


まったく邪魔くさい魔鳥である。 美味いんだけどね。


 トニーたち男の子連中は体力作りの後、新地区の他の子供たちと一緒に港で荷下ろしの仕事を受けている。


小さな子供たちも見学させるために一緒に連れて行ったらしい。


サイモンは子狐の世話があるから残ったそうだ。


「そうか」


俺はサイモンと一緒に家に入り、ローブを脱いで鞄に入れる。


 そして、ゆっくりとお茶を飲みながら、見て来た様子を話した。


サイモンはウンウンと頷き、


「まだ仲間がいるんだ。 良かったね」


と子狐たちを撫でた。


仲間という言葉に王子の胸がチクリと痛んだのが分かった。


「砂族たちもきっとどこかに隠れ住んでいるはずだ」


サイモンの両親もいつか戻ってくるだろう。


俺の言葉に砂族の少年は少しだけうれしそうな笑顔を見せた。


やがて、外で他の子供たちが帰って来た気配があり、サイモンはアラシを連れて彼らの所へ行った。




 さて、俺は調べなければならないことがある。


『あの洞穴の祠だろ?』


「いや、風呂の素材だ」


『はあ?』


せっかく温泉が湧くことが分かったんだ。


地主の特権だとミランは言ったが、ぜひ皆にもあの天国を味あわせてあげたい。


ノースターの温泉には山の岩肌を利用した自然の浴槽があった。


しかし、ここで岩風呂を作るのは無理だ。 だとしたら何で作るか。


「木でもいいなあ。 ヒノキとかあるのかな?。


樵のお爺さんと木工屋の親父さんに訊いてみるか」


俺の思考がすべて風呂に向かっていて、王子はこりゃだめだと思ったらしい。


『こっちはこっちでやる』


と、そっぽを向いてしまった。


俺は王子と初めて違う方向を向いてしまっていることに気づいた。




 王子の魔力部屋へ入る。


眠っている時以外でも、意識すればいつでも王子の顔を見に来れるようになっていた。


「王子。 一度王都へ買い物に行こうかなって思うんだけど」


久しぶりに王都への文書配達でも請け負って、転移魔法陣で飛ぼうか。


『ああ』


素っ気ない返事が返って来た。


「王子」


俺は真面目な顔で王子の隣に座る。


 王宮に居た頃は、よくこうやって並んで魔導書の指導を受けていた。


顔だけを王子に向けると、王子は俯いたままだった。


「王子は俺が森の奥の調査をしないことを歯がゆく思ってるの?」


黙っているのは肯定だ。


「でも、俺は好きにやっていいんだろう?。


俺のこと、助けてくれるんだよね?。


それともあれはー、上辺だけの言葉だったのかな」


『きれいごとを言ったつもりはない。 気持ちはあの時のままだ』


「ふふ、分かってるよ」


俺はちょっとおどけたように機嫌の悪そうな王子の肩をトンと突く。




 この世界に来て十年。


俺と王子は、立ち場や価値観の違いをお互いに譲り合いながらうまくやってきた。


だけどこの世界の常識を知らない俺は、王子に頼ったり、迷惑かけたことのほうが多い気がする。


俺の行動の評価はどうしても王子の評価になるからね。


 でも、もうお互いに大人なんだよな。


十歳の年の差は子供のころは大きかったが、今はそんなに感じない。


「王子が早く調査がしたいってのはこの国の民を思って言ってるんだって分かってる。


でも俺にとっては、それは最優先じゃない。


ただそれだけのことさ」


王子のきれいな横顔が唇を噛む。


若くて、正義感が強くて、魔術の才能がある。


大抵のことはひとりでもきっとやれてしまうだろう。


 だけど、それでもそれは、絶対、確実、ではないんだ。


「王子。 急ぎ過ぎるな。 今はとりあえずは結界で塞がっている。


それを何も知らない俺たちが突いて、何か恐ろしいモノが出たりしたら余計に被害が出るぞ」




 この世界は魔法だけじゃない。 呪術というものまである。


それも解呪の仕方も分からないものが。


あの禍々しい魔力の渦を思い出して、王子の身体がぶるりと震える。


「もう少し情報を集めてからにしても遅くはないだろ?」


それが俺の言い分。


『ああ、分かってる。 ケンジは私よりも慎重だ』


王子がしぶしぶという顔で頷いた。


『時々、意味不明で変なこともするけどな』


「えー、そうかなー」


王子がようやく俺の顔を見て、二人で笑った。




 俺は大きく息を吐き、魔力の部屋を出る。


さて、あとはのんびりと風呂の設計を考えてニヤニヤすることにしよう。


心にも身体にも癒しは大事だ。


ここ数日、山狩りのことでずっと緊張しっぱなしだったし。


 ユキがピョンと飛び上がって、椅子に座っていた俺の膝の上に乗る。


「ぐえっ」


いくら子狐でもいきなり乗られると痛い。


「こいつうう」


思いっ切りモフってやった。



◇◆◇◆◇◆



 王都の教会の地下の一室に、一人の男性がいた。


積み上げられた書類を黙々と片付けている。


「へーい、パルシー。 差し入れだぜ」


野菜を挟んだパンと湯気の上がったスープを持った男性が入って来た。


暗い地下室に似合わぬ明るい声が響く。


だが、パルシーと呼ばれた男性は眼鏡の奥から虚ろな目を少し動かしただけだった。


「あのさ、どうせ王子はいないんだし、こんなところで仕事人間しててもしょうがねえっすよ」


「そうだな」


眼鏡の男性は諦めたようなため息を吐いて立ち上がると、黙って隣の部屋へ移動する。


明るい茶色の髪のチャラそうな男性がその後について行った。


 そこには教会の薄暗い地下とは思えない上質な寝台と小さな食卓があった。


食事を置くと、二人は部屋の隅にあった椅子を持ち寄って座る。


眼鏡の男性は小さな杖を取り出して、


「念のため<遮音>」


と、結界の魔法を使った。




「はあ、いちいち芝居は面倒っすね」


「仕方ないだろう。 あの部屋は監視の魔法がかかってるからな」


そう言うと、眼鏡の男性は食事に手を付ける。


「で、どうなんです?。 俺を呼び出したってことは、何か手がかりでもあったっすか?」


チャラそうな男性は好奇心旺盛そうな瞳をクリっと動かした。


「ああ」


長身に銀髪のパルシーがニヤリと口元を歪める。


二人の会話は密やかに闇に溶けていった。



◇◆◇◆◇◆

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