第17話 脱出
マクスの髪はやっぱり、かたくてチクチクしていました。
麻子は初めて触ったのですが、想像通りの触り心地です。よく見ると錆のように見えたところは、血が固まって髪の色が変わっていたようです。
痛かったんだね。
手をマクスの喉元にあててみると、微かに脈が感じられました。
はぁ……よかった。生きてるよ。
お酒の匂いがするということは、酔わされたところを襲われたのかもしれません。
とにかくこの死体袋のようなものからマクスを出そうと思って、麻子は魔法を使ってみましたが、袋は破れることも裂けることもありませんでした。
……魔法が通じない袋なんだ。
重たいマクスの身体を引っ張ったりずらしたりしながら、麻子はやっとのことでマクスの全身を袋から出しました。
「マクスさん、起きて!」
耳元でささやいて、マクスの肩を強く叩くと、やっとマクスの顔が少し動きました。動いた時に頭の傷が痛かったのか、顔をしかめています。
「すぐには起きないわ、もう五日も経ってるから」
どこから声がしたのかと思っていたら、麻子の側に中年の女性が立っていました。何の気配もなく人が現れたので、麻子は声をあげそうになりました。
するとその人は麻子の口を素早くふさいで言ったのです。
「静かになさい。もう一度だけ助けてあげる。でもしばらくは私も力を使えない。後は二人でなんとかするのよ」
その声の迫力に、麻子はとにかく頷きました。
……リンッという短い鈴の音の後で、キュルッという音が耳元で聞こえたかと思うと、麻子は知らない小屋の中に立っていました。ハッとしてマクスを見ると、マクスは目の前にある粗末な木のベッドに寝ています。
そして助けてくれた女の人は………腰の曲がったおばあさんになっていました。
「…………あの、ありがとうございました」
「ふふ、私のこの姿を見ても動じないのね。さすがに麻子だわ」
それは麻子にしても驚いています。父親ぐらいの年代だった人が、急におばあさんになったのですから。
けれど竜のエスタルや神様だと思われるリーンさんに会って、麻子の常識は崩壊してしまっていました。
「もしかして、あなたはリーンさんの娘さんですか?」
おずおずと尋ねた麻子の言葉に、そのおばあさんは曖昧に微笑みました。
「ここの世のものたちはそんな風に言ってるわね。麻子の世界でいうとアメノミナカヌシノ神がリーンで、私はアマテラスといったところかしら。けれどそんなことはどっちでもいいのよ。これ以上、原始魔法爆発を使うと、あちらの世界でいう『ビッグバン』を引き起こしてしまうの。世界の揺れが落ち着くまでは、もう介入できません」
「は、はい」
「あなたは私が選んだ人。マクシミリアンと共に、ここの世の衰退を防ぎなさい」
おばあさんは威厳を持ってそう言うと、その場からスッと姿を消しました。
◇◇◇
麻子は神様たちに託されたマクスを看病するために力を尽くしました。
汚れたマクスの頭を拭き、頭の傷に自分の下着を切って作った包帯を巻きました。
小屋の外に出てみると周りには森がありました。そこには冬だとは思えないほどの豊かな自然があったのです。麻子は小屋の周りの森に入って行き、拾ってきた木切れで
そのスープを口移しで飲ませるうちに、マクスが手足を動かし始めました。
「ん…………ああ…………」
「マクスさん?!」
薄っすらと目を開けたマクスは、まだぼんやりとしています。
「麻子です。わかりますか?」
「ア…………サ……?」
「そうです。心配したんですよ」
麻子がマクスの分厚い手を握ると、まだ緩い力でしたがマクスが握り返してきたのです。
よかった。
これでもう安心です。
麻子の目からホロホロと涙がこぼれ落ちてきました。
ほとんど仮死状態だったマクス。五日間も怪我をしたままで袋詰めにされて、生きているのが奇跡です。
マクスに生命の危険がなくなると、彼をこんな目に遭わせた人たちに怒りが湧いてきました。
人を人とも扱わない仕打ちに、心の底が冷えていきます。
そんな麻子の気持ちをなだめるかのように、マクスは麻子の手の甲をゆっくりとなぞりました。
麻子はハッとして、自分の役割を思い出しました。
マクスを助けて、二人でここの世の終わりとやらを防がなくてはなりません。
お父さんがよく言っていました。
「人を呪わば、穴二つ」
誰かを恨んで憎むばかりしていると、自分もその穴に囚われてしまうのです。マクスをこんな目に遭わせた人を「許す」なんて心の広いことはできそうにもありません。けれど復讐心だけに囚われてしまっていては、本来の目的を達成することはできないでしょう。
まずはマクスを元気にすることね。
頭の腫れた傷に、アロエのような野草の葉を裂いてあてて、傷の熱をとり自然治癒を促します。
ある日には海まで飛んで行って、海水を魔法で乾燥させ、ミネラルたっぷりの塩を作りました。ついでに海で獲ってきた貝や魚を料理して、マクスに食べさせます。
麻子は自分がこんな風にアウトドアの生活に向いているとは思ってもみませんでした。
くぼみのある石や折って尖らせた木の枝などで、野草や魚などを獲ってきて工夫して作る料理は、思いのほか楽しいものでした。
麻子の料理を食べて、マクスが段々と元気になって、一人で動けるようになっていったことも、誇らしい気持ちになりました。
こうやってマクスに料理を作っていると、日本での充実した日々を思い出します。
世の煩わしいことを忘れて、このまま二人きりでこうやって過ごせたら、どんなにいいことでしょう。
「アサコ、話がある。私は都に帰らなければならない」
昨夜から言いづらそうにしていたことを、やっとマクスは話す気になったようです。
「はい、何でも話してください」
麻子はもう性根が座っていたのです。
マクスの顔をしっかりと見据えた麻子の顔には凛とした決意がありました。
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