たけし――海から来た子ども

村上 ガラ

第1話

沖の方から岸を見ると、子供たちが遊んでいた。


 そこにいるのは皆、男の子のようだった。


棒切れを持って振り回し、追いかけ笑いあい、やがて、浜辺から少し上がった道路の方へいき、そこに倒して止めてあった自転車を起こすと、皆でどこかに行ってしまった。





 たけしはいつも、身じろぎもせず、母親と一緒にそれを眺めていた。


 母親はたけしに問うた。


 『あそこへいきたいのかい?』





 たけしは人魚だった。


 人魚というのは女性のイメージがあるかもしれないが、たけしは男の子のように見えた。そして今の時点ではたけしという名もついていない。


 人魚の世界では名前はない。人魚は「私」と「私たち」の違いさえない世界に住んでいるので、お互いに名前など付けることはなかった。


 ただ、たけしの生まれた年にはなぜか、子が育たず、子どもを持っているのはたけしの母親だけ、となっており、そこで、初めて、たけし母子は何か他の者と違うという概念が人魚の間に生まれていた。


 母親は、いつも、たけしと一緒にいた。


 『あそこへいきたいのかい?』


 母親は、たけしの願いをかなえてやりたかった。


 一人ぼっちのたけしに、『皆と一緒』を味わわせてやりたかった。





 「なんだ、この子、裸だぞ」


 たけしを最初に見つけたのは、網元の家の子、航大こうだいだった。


 母に連れられ海から上がり浜において行かれたたけしは、丸裸でそこにいた。


 たけしは小柄で幾分胴長ではあったが、ほとんど人間と違わぬように見えた。


 イルカの尾びれのように分かれた、先の長いひれは、足のように見え、その先には足の甲のようなものや指のようなものさえついていた。


 「なんでこの子、一人でここにいるんだ?」


 浜の子供たちはたけしを取り囲んだが、やがて、航大が、家から自分の服を持ってき、たけしに着せた。


 そしてそのまま、その場にいた子供たちは、細かいことを気にしない子供らしいたくましさで、一緒にたけしと遊び始めた。


 呼び名に困った浜の子供たちが、昨日見たテレビ番組のタレントの名前をおもいだして、適当につけた名前。それが『たけし』だった。


 たけしは初めて、仲間と遊んだ。友達ができた。自転車の後ろにも乗った。自転車の漕ぎ方も少し習った。


 夕方、皆が、ちりぢりに家に帰ると、たけしも浜で母親を待った。


 母人魚は、早くから浜に来ていて岩陰にずっと隠れていた。たけしが、結局一人ぼっちで一日を過ごし、しょんぼりして、泣きべそをかいているのではないかと思い、心配で、いてもたってもいられなかった。


 母人魚の姿を見つけると、たけしは走って母のもとにやってきた。その全身から喜びのオーラをまき散らしながら。今日一日がどれほど、たけしにとって、スリルに満ち、冒険にあふれ、面白い一日だったかを母に送りながら。母人魚は、それを見て喜び、うれしくて泣いた。母人魚の涙はこぼれ落ちるときに夕日を受け、まるでバラ色の真珠のたまの様に輝いた。そして、ポトリと砂浜に落ちると、涙は本当の真珠に変わった。人魚が流す涙は真珠になるのだ。

そして二人は一緒に、海に帰った。


 そういう日々が何日も続いた。





 ある日、航大の父親が、船の上で網の手入れをしながら子供らの様子を見ていた。


------子供らは、けんかなんて、してねえかな---------


 航大の父親は、まだ世襲していなかったが次期網元として、この浜のものが皆協力して生きていけるよう気を配っていた。わが子の航大にも「いずれ、お前はみんなをまとめていかなきゃならん。上から全体をよく見て、だれにでも、できることはやってやれ」と言い聞かせていた。


 ふと、航大の父親は子供の群れに違和感を持った。


----------高月?-----------


 自分の息子が後ろに引き連れ遊んでいる子らの中に、見たことのある顔があった。


 それはもう10年も前のことになる。妻のユリエと結婚する前のことだ。


 この町に開発調査の会社から数人の社員がやってきて、町の依頼で調査を始めた。航大の父も、その数人の中の一人、高月という、同い年の社員を案内して回った。高月はレジャー開発の調査を担当していて、浜でサーフィンなどをしていた。


 「いい波が来るよ。なぜ、今まで、誰もやってないんだろう?」


 日に焼けた肌で、屈託のない笑顔で高月は言った。


 「伝説のせいかもしれない」


 若き日の航大の父親は浜の伝説を話した。


---------この海は、この浜は、人魚たちから借りているものである。それを忘れ、わがものとしたならば、怒りを買い、海は荒れ、人は死ぬ-------------


 「ふうん」高月は気のない返事をした。


 やがて、この町の、浜の娘たちは高月に惹かれていった。背が高く、知的で、都会的で、浜の因習にとらわれることなく、見事にサーフィンの板を操る。そんな高月に一番夢中になったのは、村一番の美しい娘のユリエだった。


 若き航大の父はある日、浜で、高月を待ち伏せ襲った。気絶した高月を、用意していた小舟に乗せ、かいも付けずに、海へ押し流した。


 それがその年の葉月の満月の夜のこと。


 それきり、高月は行方不明となったが、誰が言い出したか、人魚の呪いだということになった。


 航大の父はユリエを手に入れ、航大が生まれた。





 航大の父は今その高月の顔を今、目の前に見ていた。


 --------あの子は誰だ? 


        高月の子か?


          高月は生きていたのか?近くにいるのか?


                  俺に復讐しにきたのか?----------


 航大の父はかつて自分が犯した罪を、妻に、わが子に知られることを恐れた。


 恐怖はやがて航大の父に、ある決心をさせた。





 航大の父はその夜帰らなかった。


 そしてずっと。





 航大の父はその日、子供らが遊びを終えて帰るところでたけしを捕まえて船にのせた。問い詰めて、父親のことを聞きだし、居場所を突き止めたい………そして、もう一度、この手で、今度こそ確実に高月の息の根を止めなくては、と思っていた。


 あの時、あんな思いをして、やっと手に入れた妻を、かけがえのないわが子のいる、この生活を、失うわけにいかない、と思ったのだ。


 航大の父は、たけしを捕まえると、高月の居場所を言わせようと迫った。だが。


 たけしは知る由もない。答えようもない。何より………たけしはしゃべることができなかった。


 人魚というものは言葉を持たない。互いに、心で思うだけで、相手をいたわり、気持ちが通じる。その唇から発するのは、歌の様にも聞こえる、ルルル………という鳴き声だけだった。


 浜の子どもたちがたけしと遊ぶときに、そのことに不審を抱いた子もいたが、


 「まだ、恥ずかしいんだよ。もっと、遊んでやればそのうち慣れて、しゃべりだすさ」


 航大はそう言って、いらだった子をなだめすかしていた。


 そう………あるいは……航大の言った通り、たけしはいずれしゃべれるようになったのかもしれない。


 だが、今、航大の父がどんなにたけしに迫っても、たけしは、おびえた顔で、ルル、ル……としか、言わない。航大の父はいらだった。


 そして、その顔は、子供ながら、高月に瓜二つだった。


 その時、その顔は、航大の父に別のものを思い出させた。





 航大の父の胸には、昔から、ポツンと小さな黒いしみのような疑念があったのだが、たけしの顔を見ているうちに、その小さな黒いしみは、みるみる広がり、航大の父の胸を覆い尽くした。


 ----------たーかーつーきーいーぃーぃー!----------





 航大の父は怒りと絶望に震え、その腕の中で恐怖に震え、もがく、高月そっくりの顔をした、たけしの首を絞めて、殺してしまった。


 たけしを迎えに来ていた人魚の母がその光景を目撃し、怒り、長い髪を、まるでタコの触手の様に伸ばし、航大の父に巻き付け海の中へ引きずり込んだ。


 おりしも葉月の満月。


 人魚たちが、10年に一度、一斉に子を産む日だった。


 人魚には男も女もない。


 人魚は、他の数種の水棲生物と同じように単為生殖するのだった。


 人魚は一番いとしいもの、美しいと思ったものの姿を子に移す。人魚の情念というものはそれほど深く激しいものだ。


 たけしの母に引きずられて海に入った航大の父はまだ生きていた。


 人魚たちは、生きた人間の男というものをほとんど見たことがなかった。


------美しいね-------


    ---------美しいね---------


 人魚たちは皆で航大の父を取り囲みそう通じあった。





 子を失った悲しみに狂うたけしの母親以外の人魚は、皆は同じことを思った。


 たけしの母が、どんなに嘆きを、子を失った悲しみを、仲間に伝えても、人魚たちはたけしの母の嘆きに関心を持たなかった。


 まるで赤い真珠のような、真っ赤な悲しみの涙を流しながら、ルゥルルゥ!ルゥルルゥ!と叫ぶように泣きながら、仲間の肩をつかんでも、だれも振り向きもせず、皆、むさぼり食らうように、航大の父の死にゆくさまを眺めていた。

 涙はポロポロと赤い真珠に変わって行った。


 この10年、たけしの母親は『皆と同じ』ではないことに苦しみ続けていた。そして今、自分の苦しみや悲しみを分かち合ってくれる仲間はいなかった。


 たけしの母は悲しみに狂い、とうとう群れを離れた。





 その年は、新しく生まれた人魚は皆同じ顔をしていた。10年前、たけしが生まれた年と同じように。


 人魚の情念は、あこがれ、執着したものの姿だけでなく、その中身も移してしまう。陸地で暮らすための体、肺呼吸しかできない体、の、『ヒト』に近い姿で生まれたその年の人魚は、10年前と同じくほとんど全滅してしまうだろう。





 浜では、帰らぬ航大の父の葬式が執り行われていた。浜では昔から、海で死んだ者は、体が出てこなくても葬式をし、別れの儀式をする習わしだった。


 航大の父は、最後に姿を浜で見られていたこと、無人の船が沖で見つかったことなどで、夜釣りに出かけ海で死んだのだろう、ということになった。


 葬式の終わるとき、親に連れられ葬儀に来ていた航大の友達が、母親に言った。


「あの子も遊びに来なくなっちゃった。航大君によく似た顔した男の子」


 葬式では喪主は航大の母のユリエがつとめていた。派手で美しく、人目を引く女。


 あいにく人間は、人魚ほど情念が深くはなく、想うだけでは好きなものの面影を子にうつすことはできない。


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たけし――海から来た子ども 村上 ガラ @garamurakami

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