《第二十二章 夫婦戦線異常あり》②


 翌朝、ちちちと雀の鳴き声で勇者は目を覚ます。


 「ふわぁ……」


 寝室にて勇者はベッドから半身を起こして欠伸をひとつすると突き出た腹をぽりぽり掻きながらベッドから降りる。

 途端、頭がずきんと痛んだので顔をしかめる。


 うー……頭いてぇ……ゆうべ飲み過ぎたしな……。


 昨夜仕事帰りに稼いだ金で店で豪遊し、夜遅く帰ってそのまま寝たのだ。

 こきこきと首を鳴らして居間に入ると食卓にはすでに朝食が並び、シンシアはキッチンで調理しているところだ。

 トントントンとリズミカルな包丁の音が響く。

 「おはよう」と勇者が朝の挨拶。

 「おはよう……」


 食卓につくと勇者はおもむろにパンにかぶりつく。


 「ねぇ、昨日どうして遅かったの?」


 シンシアが振り向きもせずに聞く。


 「ん? あー……ちょっと仕事で手こずってたからな」


 もちろんバニーガールたちと一緒に楽しく飲んでいましたなんて言えるはずもない。


 「ふぅん。そうなのね……」

 「うん。どうしたんだ? なんかいつもと様子が違うぞ……」


 まさか、バレたのでは……と思ったが、ひとまずここは平静を装ったほうが良いだろうと勇者はごくりと唾を飲む。

 そんな勇者に再びシンシアが声をかける。相変わらずこちらを見ない。


 「今でもあたしのこと、愛してる?」

 「へ?」


 予想外の言葉に勇者が面食らう。だが、取り乱してはまずいだろうと思い、すぐに返答する。


 「あ、当たり前じゃないか。バカだなぁ、シンシアは。俺は世界で一番お前を愛してるんだぜ?」


 勇者がシンシアの後ろまで歩くと背中越しに抱く。


 「本当に?」

 「ああ、本当だ。心の底からな。他の女に気を取られることなんかあるもんか」


 トン。包丁の音が止まる。


 「じゃあ、これはなぁに?」


 シンシアがエプロンのポケットからなにかを取り出す。

 一枚の紙だ。表には昨日の酒場の名前が書かれている。店の名刺だ。帰ったときに落としたのだろう。


 「そ、それは、あの、アレだよ。開店したばかりのお店で、従業員が配ってるのをもらっただけだよ。うん」

 「ふぅん。じゃこれはどう説明するの?」


 シンシアがくるりと名刺を裏返す。女性の名前が印字されており、しかもメッセージまで添えられていた。


 『今日はとーっても楽しかったです! また遊びに来てくださいね! 来てくれたら、今日よりいっぱいサービスしちゃいます♡』


 可愛らしい文字が痛々しく勇者の目に刺さる。最後にルージュによるキスマークでの締めくくりも心臓にとどめの一撃。


 「いやこれは、その……」


 動揺する勇者にシンシアがくるりと初めて顔を見せる。怒ってもいなければ笑ってもいない、ただの無表情だ。しかし目は虚ろそのものだ。


 「ねぇ、あんた。さっき言ってたわよね? 心の底から愛してるって……」


 勇者が激しく首を縦に振る。


 「じゃあ誠意があるかどうか確かめさせて?」


 さくり、と勇者の突き出た腹に生暖かい感触が広がる。


 「え……?」


 見下ろすと包丁の先が腹の奥深くまで突き刺さっている。じわりと血が広がり、勇者は腹を押さえながら床に倒れる。

 どうして……? と言おうとするが、声が出ない。勇者はシンシアの虚ろな眼差しの下、息絶えた。

 シンシアが屈み込むと勇者の服をたくし上げ、傷口を覗き込むようにする。


 「うそつき……なかに、何もないわよ?」




 「わあああああーーッッ!」


 がばりと勇者がベッドから起き上がると激しく肩で息をする。額からは冷や汗が滝のようにどっと流れる。

 腹を確かめると、なんともなっていない。やはり夢だったのだ。ふぅうっと大きく溜息をつく。

 途端、ずきんと痛んだので顔をしかめる。


 うー……頭いてぇ……ゆうべ飲み過ぎたしな……。


 こきこきと首を鳴らして居間に入ると、食卓にはすでに朝食が並び、シンシアはキッチンで調理しているところだ。

 トントントンとリズミカルな包丁の音が響く。


 「お、おはよう」と勇者が朝の挨拶。


 「おはよう……」


 食卓につこうとした勇者の動きがぴたりと止まる。


 これ、夢と同じ流れじゃ……?


 そんなバカなとふるふると頭を振りながら席につくとおもむろにパンにかじりつく。


 「ねぇ、昨日どうして遅かったの?」


 シンシアが振り向きもせずに聞く。


 「ん? あー……ちょっと仕事で手こずってたからな」

 「ふぅん。そうなのね」


 まずい。夢と同じ流れだ。


 勇者の額から脂汗がじわりと流れる。


 落ち着け、あれは夢であって現実とは違うんだ。そうだ、素数そすうを数えよう。


 2、4、6、8、11……いや違った12だ。


 1とその数自身でしか割り切れない数を数えられないほど動揺する勇者は、食卓上のごろごろ芋のポテトサラダやローストビーフといった朝食にしては手が込んでいるそれらを口に運ぶが、緊張のためかまったく味がしない。


 「ねぇ」シンシアが声をかける。

 「な、なんだい!?」


 勇者がポテトサラダを喉に詰まらせながらも応答する。


 「ごめん。なんでもない」

 「そ、そうか……」


 気まずい沈黙が流れる。それに耐えられなくなった勇者がシンシアに問う。


 「あ、あのさ……もしかして、怒ってるのか……?」

 「別に怒ってませんけど?」


 言葉とは裏腹にとげとげしい態度が見え隠れしている。


 まずい……これは確実にバレている……?


 かたかた震わせながら指の爪をかじる。勇者の目は泳ぎっぱなしだ。


 「な、なぁ……」

 「なに?」

 「その、さ。なんでそんな不機嫌なのかわかんないけど、俺でよかったら相談に乗るぜ」

 「別に不機嫌じゃないし」

 「え、だって……」

 「もういいの」


 こちらを見もしないシンシアに勇者は苛立ちを覚えはじめる。


 「よくねぇだろ! 俺は夫だぞ! 少しは頼りにしろよ!」

 「もういいって言ってるでしょ! いつもごろごろばっかしてるあんたなんかに頼りたくないわよ!」振り向きざまにバンっとテーブルを叩く。

 「いつもじゃないだろ! 昨日だってこんなに稼いできたんだぞ!」


 ズボンのポケットから報酬の入った革袋を取り出す。昨夜の酒場でいくらか使ったものの、まだ充分残っている。

 と、革袋と同時にひらりと床に落ちるものがあった。


 「なにこれ?」


 慌てて拾おうとするが、シンシアのほうが早かった。

 いかがわしい店の名刺だと気付くとぐしゃりと握りつぶす。


 「い、いや違うんだ……コレはあのアレだよ……」


 弁解する勇者の顔に何かが勢い良くぶつけられる。シンシアがパイを投げたのだ。


 「最低……!」


そう言い捨てるとシンシアはすたすたと玄関へ向かう。


 「ちょ、ちょっとまって……」


 顔をクリームまみれにしながら妻を呼び止めようとする。すでにシンシアはドアに手をかけていた。


 「もう私たち、おしまいね……さよなら」


 パタンとドアが閉まる。

 後に残された勇者は顔にクリームをつけたまま呆然とするしかなかった。


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