《第二十一章 令嬢姉妹の憂鬱》⑥
令嬢姉妹の豪邸の玄関を入って左手の廊下の突き当たりに入るとそこは厨房だ。
料理長と数人のコックがせわしなく手を動かす。料理長の背後でシンシアが音を立てないよう這いながら、ゆっくりと厨房から出ようとする。ふと、調理台の上を見ると夕食で出されるであろう豪勢な料理が並んでいた。
さすが、金持ちは違うわね……。
「…………」
思わずごくりと唾を飲むと、ひょいっと皿からローストビーフのひとつをハンカチにくるんでポケットにしまう。
少しくらいつまみ食いしても罰は当たらないわよね?
「おい! 何やってるんだ!?」
背後で料理長の怒鳴り声が響いたのでシンシアがびくっと体を強ばらせる。
「今夜の料理に使うソースはべシャメルじゃなくてマデラだと言ったろ!」
どうやらソースを作り間違えたコックに料理長が叱り飛ばしている。
「まったく……」料理長がぶつぶつと愚痴をこぼしている間にシンシアはそそくさと厨房から出る。
目の前には廊下が続いており、そこを歩くと玄関に辿り着く。高い天井の下、二階へと続く階段が左右にあり、右側の階段の隣の扉が昨日訪れたときに見た居間の扉だ。
幸い、見張りの兵士はいない。シンシアはするりと扉に張り付くようにすると、耳をそばだてる。
物音がしないところを見ると誰もいないのだろうか。
静かに扉を開けて隙間から覗き見る。途端、椅子に腰かけた令嬢のひとりが目に入ったのでシンシアは慌てて閉じようとするが、どうやら眠っているらしく、安堵した。
扉を開けて居間に入る。そこには彼女ひとりのみで夫の勇者も妹も見あたらなかった。
あのバカはどこに……?
その時だ。背後でコンコンとノックの音がしたのは。
「失礼します」の声とともにがちゃりと開かれた扉から老執事が居間に入る。
老執事は椅子に座ったまま、すやすやと寝息を立てているショコラを見てやれやれと首を振る。
「こんなところで寝てはお風邪を召しますぞ」とショコラに毛布を掛けてやる。
妹のほうは、ときょろきょろあたりを見回すが、勇者ともども姿は見あたらなかった。
「ミカ様も困ったお人ですな……また地下室に連れ込んだのでしょうな……」
老執事はまた首を振ると入ってきた時と同じように「失礼します」と断ってから扉を閉めた。
後に残されたショコラの他にもうひとり、熊のぬいぐるみの後ろに隠れていたシンシアがひょこっと顔を覗かせる。
大人が入りそうなほどに大きなぬいぐるみに体の細いシンシアが隠れるには充分だった。
あの執事、地下室がどうのと言ってたわね……。
夫の所在の手がかりを掴んだシンシアはすぐさま居間から出る。
「あひィイイイっ!!」
蝋燭からぽたぽたと蝋を垂らされた勇者から悲鳴が上がる。
突き出た腹には、すでに鞭によるミミズ腫れが幾重に走っていた。
ふぅふぅっと激しく息をつく勇者を見て、ミカは体をぞくぞくと震わせる。
良い……! 良いですわ……! これぞまさに堕落的で、
「さて、次は新しい
ミカがそう言うと傍らの木馬を指さす。尻に当たる部分が三角形になっており、座れば股間に痛みが走るのは目に見えていた。
「勇者様なら、これくらいどうってことはありませんわよね?」
勇者は激しく首をぶんぶんと振る。しかし、両手を鎖で拘束されていては身動きは取れない。
「聞き分けのない子にはお仕置きをしないといけませんわね」
ミカが鞭を振るおうとした時、扉が激しく軋む。
ミカが何事かと振り向くと扉が内側に向かってめきめきと音を立て、部屋の中へと吹っ飛ばされる。
がらがらと崩れる扉から現れたのは他ならぬシンシアだ。
「……うちの人を返してもらいに来たわよ」
「あなた、昨日来ていた勇者様の奥さん……?」
狼狽えるミカをよそにシンシアはずかずかと入り、勇者を拘束から解こうとする。
「大丈夫? 帰るわよ」
「お待ちなさい。このまま無事に帰れるとお思いでしたらお門違いですわよ」
「よく言うわよ。ひとの夫を勝手に連れ込んで、あげくの果てにこんなことをするなんて……!」
シンシアがむせび泣く夫の頭を抱きながら、きっとミカを睨む。
「暴力を振るうようなあなたなんかよりも、
私のほうが勇者様を愛することが出来ますわよ」
自分のことを棚に上げながらミカが言う。
「あたしだって、この人を愛してるわよ!」
シンシアがミカに背を向けて勇者の頬に手を添える。ぽそぽそとなにか呟いているが、よく聞こえない。
「あら? キスでもなさろうというんですの?」
ミカの嘲りを無視して、シンシアは唇を勇者のそれと合わせる。
「ん……」
ふぅ、とミカが溜息をつきながらふたりのそばまで来る。
見るとシンシアが舌を勇者の口内に入れるのが見えた。
「今度はディープキスですの? そんなもの、私にとっては児戯に等しい……」
途端、勇者が苦しみだしたのでミカが驚く。
見るとシンシアが勇者の舌を噛みちぎろうとしていた。
「あなた、なにを……!」
ぶつっと紐が千切れるかのような音がし、勇者が悲痛な悲鳴を上げながら口を押さえる。
シンシアが狼狽えるミカのほうへ向き直ると、シンシアの口からは噛みちぎった舌が垂れ下がり、すぐさまそれをごくりと飲み込む。
「あなたに、こんなことが出来る……?」にこりと微笑む。
その微笑にミカはぞくりと怖気立つ。
この人……この人の勇者様への愛は私たちの愛を凌駕している……!
「お姉様、ごめんなさい……私にはとても敵いませんわ……」
そのまま気を失って倒れる。
「もういいわよ。名演技だったわよ」
シンシアが夫に言う。だが、勇者がまだ泣いているのでふぅ、と鼻で溜息をつく。
演技ではなく本気で泣いているのだ。
「まさか、厨房で拝借したこれがこんなところで役に立つとはね」とシンシアがハンカチにくるんだローストビーフを見る。
「今の騒ぎですぐに人が来るわ。その前に逃げるわよ」
ローストビーフを舌に見立てて、ひと芝居打ったふたりは拷問部屋を出ると、裏口から屋敷を後にする。
「まったく……ほいほいと付いていくからこうなるのよ!」
シンシアが依然としてすすり泣く勇者の手を引きながら歩く。
「いつまで泣いてんのよ。男らしくないわよ」
「汚れちゃったよぉ……もうお婿に行けない……」
「バカ! あたしがいるじゃない! っていうか、あたしたち夫婦なんだからね!」
まったく……と愚痴をこぼす。
「家に帰ったら、おしおきだからね?」
「うん」
「マルくんにも手伝ってもらったから、あとでお礼言うのよ?」
「うん」
「あんたは、あたしがいないとダメなんだから」
「うん……」
豪邸の居間にてショコラが「うぅん」と目を覚ます。
目の前には妹のミカが立っていた。艶めかしい衣装から清楚なドレスへと装いを替えている。
「よく寝たわ……あら、ミカ。勇者様はどこ?」
きょろきょろとあたりを見回す。
「ごめんなさい……お姉様。勇者様の奥様が……」
そのままショコラの膝に縋りつくと泣きはじめる。
「勇者様の奥さんが連れ戻したのね?」
ミカがこくこくと頷く。涙で濡れた顔をショコラに向ける。
「お姉様、あの奥様の勇者様に対する愛は、私たちにはとても敵いませんわ……」
ふたたび顔を埋めて泣くミカの頭をショコラがよしよしと撫でる。
そして、きっと睨む。
覚えてらっしゃい……! いつか、勇者様を私たちのモノにしてみせるんだから……!
そうショコラが決意を固める。
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