《聖伝の章④ PORTTOWN SIDESTORY》③
「BOWEEEEEE!!」
海の怪物、クラーケンは怒りを露わにすると触手を、虫を叩き潰すように船に叩きつけた。
振動が海賊船、
「うわぁあああぁああ!!」
船乗りたちから悲鳴が漏れる。
触手には吸盤がびっしりと並び、船を捕らえて離さない。さらには船を転覆させようとしていた。
だが、それを許す勇者一行ではない。
だん! と薪を割るかのごとく斧で触手を斬り落とすはドワーフの戦士アントン。
タオは手刀で、ライラは火の魔法で、セシルは錫杖で懸命に追い払い、そして一行のリーダー、勇者は剣を振るってクラーケンからの拘束を解く。
「ダメだ! こいつらぁ斬っても斬っても再生しやがる!」と悪態をつくドワーフ。
見ればなるほど、斬り落とした断面から信じられない速度で新しい触手が伸びてくる。
その再生力はまさに驚異的で、勇者一行や海賊たちにとっては脅威的だ。
「ああもう! しつこい男は嫌われるよ!」
海賊船の女船長、マーレがカットラスで触手を斬りつけながら悪態をつく。
「掌帆長! 帆を張りな! ひとまず離脱するよ!」
「アイアイマム!」の返事とともにメインマストの帆がぴんと張られると
だが、それをやすやすと見逃すクラーケンではない。
びたぁんと船首を容赦なく触手で叩きつけ、人魚の半身をあしらった船首像がびりびりと震える。その拍子に船首に固定されていた錨が外れると海中へと沈み、アンカーロープがずるずると引っ張られる。
「いけねぇ!」
スミスがロープをたぐり寄せようとする。
懸命に手を動かすと、途端、ロープがびんっと張られる。そしてそのまま船全体が引っ張られる。
海中の錨の
スミスの足元でとぐろを巻くように撓んだロープも勢い良く引っ張られるとスミスの脚に絡み、きつく締め付けられる。
スミスの歯の欠けた口から悲痛な叫びが漏れる。
「ッあぁあぁ! 俺の足がぁああッ!」
スミスの足が切断される寸前に勇者の剣がロープを断つ。
「大丈夫か!?」
「あ、あんがとよ……もうちっとで義足のお世話になっちまうとこだった……」
勇者に支えられながらスミスが礼を言う。海はさっきまでの死闘が嘘のように静寂を取り戻していた。
勇者とスミスがメインマストのところまで来ると
「こりゃ安静にしてたほうがいいな。船長、医師として彼を船室で休ませることを薦めるが、構わんな?」
船医の進言にマーレ船長はこくりと首を振る。船医がスミスを支えながら下の船室へと消える。
「みんな、無事か?」勇者が仲間たちに呼びかける。
「俺ぁは平気だ」
「わ、私も、大丈夫……です!」
「ウチは大丈夫やけど、魔力がもう残り少ないわ」
「こっちはいつでも来いだ!」
全員の無事を確認すると勇者がこくりと頷く。
「アンタら、なかなかやるじゃないか」
船長がにかりと白い歯を見せる。
「あの……クラーケンはどこへ行ったのでしょうか? もう諦めたのでしょうか……?」
セシルがおずおずとマーレ船長に尋ねる。
「それはないねぇ。あたいがあのクラーケンなら海の果てまででも追いかけるさね」
マーレ船長がそう言うと、ずん……! と下から突き上げられるような衝撃が船全体に走る。
船乗りの誰かが「船首のほうだ!」と叫んだので、一同が船首を見る。
クラーケンのぬめりのある頭部が海上から現れ、山羊のように細長い瞳孔で船を睨む。
「
正面では大砲は使えない。船長の号令の下、船員たちが銛を用意し始める。
その間、クラーケンは動かずにじっとしている。
弱ってるのかい……? でも、生憎とこちらは休ませてやる器量は持ち合わせてないんでね!
だが、マーレ船長の読みは外れた。クラーケンが触手を鞭を振るうがごとく船の左右の横腹に一振りくれる。
クラーケンの
「うわぁああああっ!!」
船倉から悲鳴が漏れる。砲術士たちが負傷したのだろう。
「てめぇ!」
タオが銛を手にして助走をつけながら投擲する。鍛えられた肉体から放たれた銛は直線を描いてクラーケンの眼球を貫いた。
「BWYAAAAA!!」
悲鳴を後に残してクラーケンは海の中へと消えた。そしてふたたび静寂が戻る。
銛を手にしていた船員たちは安堵する。だが、いつまた襲ってくるかもしれないという不安もあった。
「マーレ船長」
副船長のセバスチャンが呼んだので、彼女は彼のほうへ首を巡らす。
「船長、被害ははっきり言って甚大です……砲門がすべて破壊され、大砲もひしゃげて使い物になりません。使えるのは一門のみです……」
「そうかい。でもまだ手がないわけじゃあないさね。倉庫から樽を出しな。爆雷の用意だよ!」
「アイアイマム!
船員たちがバケツリレーよろしく倉庫から樽を運び、中身の糧食をあけて、空にする。
空になった樽へ別の船員たちが砲弾を入れるとそこへ火薬を詰める。
最後に木槌で蓋をすると甲板へと運び出される。蓋には縄が導火線のように出ており、油が塗られている。
「「用意出来ました!」」
双子の砲術士が同時に報告する。
「あいよ! ソーン、奴はどうだい?」
「微弱ですが、10時の方向に感あり。深さはおよそ30ミールです」
海中に投じた聴音管を耳に押し当てて、ソーンが船長に報告する。
「雷撃深度を25から35ミールに調定!」
「アイアイマム!」船員たちが爆雷の樽の導火線の縄を指定された深さで爆発するように長さを整える。
「セバスチャン、針路を10時の方向へ転針!」
「アイアイマム! 10時に転針!」副船長が操舵長に復命する。
舵が左へ切られると船はクラーケンが潜んでいるであろう海域へと突っ込む。
「点火よーい!」と水雷長からの報告。
船縁で
「点火よーし!」
「落としな!」
またたく間に導火線に火が付くと、海中へと投じられる。
「感あり! こちらへ向かってきます!」
「針路よーそろ! このまま突っ込むよ!」
ソーンが慌てて聴音管を戻す。
海中に投じられた爆雷の樽は調定された深度へ向かってゆっくり沈んでいく。水中でも導火線の火が消えないのは鯨から採った油を塗り込んであるからだ。
火がやがて導火線の端に着くと、火薬と砲弾に引火し、破裂して水球を形づくる。
急激な衝撃で海面から水柱が高く上がり、勇者一行と船乗りたちを水しぶきで濡らす。
「すげぇ……!」
勇者たちが驚いている間もまた水柱が等間隔で高く上がる。また水柱と水しぶき。
「爆雷やめ!」
ぴたりと樽を動かす手が止まる。最後の水しぶきが上がると、船長は再びソーンに聴音を命じる。
聴音管を耳に当てたソーンはふるふると首を振る。反応なし。逃げたか、もしくは爆雷が当たって死んだか……?
「船長、ここは一度引き返しては?」
セバスチャンが船長にそう進言する。すでに船は満身創痍だ。ここで引き返したほうが賢明だろう。
マーレ船長が決断を下そうとした時だ。
「感あり! 急速に浮上してきます!」
「全員、衝撃に備えな! あんたらもなにかにつかまりな!」
船長にそう命じられた勇者一行はそれぞれ近くのものに掴まる。
海中から破城槌のごとく叩きつけられた人魚の涙号は海面から浮き上がり、そのまま落下して二度目の衝撃に見舞われる。
船室や船倉からは棚から物が転がり落ちる。
「……ッう! 爆雷は効き目がなかったってわけかい!」
海面に叩きつけられた衝撃による痛みに呻きながらも船長はなんとか立つ。間を置かずに触手が船縁をがっしと掴む。
残った触手がメインマストのほうへにゅるりと伸びるのが見えた。
メインマストは船にとっても船員たちにとっても命と同等だ。
やめ……! と誰かが叫ぶ。
無情にもメインマストはめきめきと音を立てて折れた。
折れたマストは船縁に勢い良く叩きつけられ、それに伴って船尾のミズンマストも倒れる。マーレ船長とセバスチャン副船長は間一髪で避けた。
そうしている間にもクラーケンの船体を掴む触手は力を込め、みりみりと軋みはじめる。
その危機を救ったのは神官のセシルだ。セシルがとっさに投げた聖水の瓶が割れ、触手に清められた水が掛かると熱湯を浴びせられたかのように湯気が立ち、船縁から離れる。
「みなさん! 聖水を船縁に撒いてください! クラーケンにも有効です!」
「でかしたで! セシルちゃん!」
ライラもすぐさま聖水の瓶の蓋を開けると船縁を浄める。
熱した鍋に手を触れたかのように、触手が一斉に離れる。
クラーケンはまた姿をくらましたらしく、海は三度の静寂を取り戻す。いや、これが最後なのかもしれない。
メインマストを失った船は
「船長……船はもう……」
「わかってる」
副長にみなまで言うなと船長が首を振る。
メインマストは折られ、砲門はすべて潰された。ほかに武器と言えば数本の銛、残った数個の爆雷の樽、あとはたった一門残った大砲だけだ。これだけであの海の魔物に挑むにはあまりにも心許なかった。
勇者一行もすでに疲労困憊だ。引き返したくてもマストがなくてはどうしようもない。
唯一の希望は船の横腹にある四隻の救命ボートだが、あの頼りなく小さな舟でクラーケンから逃れられる可能性は万にひとつもないだろう。
八方ふさがりとは、このことだね……!
マーレ船長が船縁を拳で叩きつける。
そばでは水雷長が船縁に背を預けてセシルから手当を受けていた。
「もう、おしまいだ……悪魔だよ。あいつは……」
「大丈夫ですよ。私たちには神様だけでなく、勇者様もついていますから……!」
後ろで聞いていた勇者がすっくと立つとそばにいる魔女に聞く。
「ライラ」
「なんや?」
「魔法はあと何回使える?」
「……一回こっきりや」
「そうか、わかった……」
次に船長のもとへと歩く。
「船長」勇者が船長に呼びかける。
「なんだい?」
「俺に、考えがあるんだが……」
勇者がマーレ船長に考えを打ち明ける。話を聞き終えた船長はすぐに顔色を変える。
「じょ、冗談じゃないよ! そんな作戦、失敗したらみんな海の底さ!」
「でも、これしか手はないんだ」
勇者がまっすぐと船長を見る。そこへ話を聞いていた副長が隣に立つ。
「船長、自分からもお願いします。わずかな望みがあれば、それに賭けるべきかと……」
「自分もお願いします!」
「俺も! このままやられっぱなしじゃ納得いかねぇ!」
「船長……あんたを信じてますよ」
セシルによって頭に包帯を巻かれた水雷長が船長に向かってこくりと頷く。
「派手に、やっておくんなさい」
マーレ船長ははぁっと溜息をつくと、がりがりと赤いバンダナを巻いた頭を掻く。
「……ったく! どいつもこいつも大馬鹿野郎だね! いいさ! このままやられるのはあたいの性に合わねぇ!」
カットラスを抜いて上空へと向ける。
「野郎ども! 反撃開始だよ! さっさと準備しな! 敵は待っちゃくれないんだからね!」
船員たちと勇者一行から
海の魔物、クラーケンは海賊船から離れた深いところで漂っていた。
片眼は潰され、触手や胴体にはところどころに爆雷による傷が、まさに満身創痍といった体だったが、それでもあの船を沈める力はまだ残っている。
爆雷が落ちてこないところを見ると、もう使い果たしたか……?
しばし、様子をうかがう。やはり爆雷が落ちる音も破裂する音もしない。
もうそろそろいいだろう。船に撒かれた聖水の効き目もなくなったはず。
浮上しようとした時だ。黒い靄が海面を覆うのが見えた。
重油がこぼれたのか……? 目くらましにしても浅はか過ぎる……。
油断は禁物、と様子を見る。だが、なにも起こらない。なにかあるのではないかと予想していたクラーケンは肩すかしを喰らう。
だが、黒い靄から波紋を描いて進むものがあった。
四隻並んだ船底だ。小さいが、おそらくは救命ボート……!
馬鹿め、恐怖に駆られて逃げの一手を打ったか!
ここぞとばかりにクラーケンは急速浮上し、触手で船縁をがっしと掴む。
ぬぅっと頭部を海面から露わにする。恐怖や絶望に打ちひしがれる船乗りどもの顔を見るのはいつ見ても飽きないものだ。
だが、顔は見えない。いやそもそもひとりも乗っていないのだ。
真ん中に帆が張られ、四隻並んで括り付けられた救命ボートの代わりに乗っているのは、爆雷の樽が数個……。
そして海賊船の船縁から大砲がこちらを向いているのが見えた。
残る片目で見えたのは、同じく隻眼の船長らしき褐色の肌をした女がにやりと笑みを浮かべる表情。
「かかったね」
救命ボート四隻すべてロープで括り付け、それを海面に下ろして、爆雷の樽を載せたあとは真ん中の急ごしらえの帆にライラが魔法で風を送れば、無人でボートは進んだ。
「
船長の号令のもと、甲板に運び込まれた、無事だったひとつきりの大砲から砲弾が放物線を描いて放たれ、爆雷の樽に命中する。
耳をつんざく轟音が海上に響き、爆雷の爆発を
水しぶきとともに血しぶきを受けた船乗りたちから快哉が上がる。
「やったぜ!」
「すげぇ! マジでクラーケン倒しやがった!」
「船長、お見事です!」
副船長が労う。
「ありがとな。でも時間稼ぎで重油を流すアンタのアイデアもなかなかだったよ」
でも、とマーレ船長は勇者一行のほうを見る。
「とんでもないことを思いつくあの馬鹿のおかげさね」
勇者は仲間たちとクラーケン討伐の喜びを分かち合っていた。
突然、勇者の顔が青ざめる。そして船縁に駆けよると胃の中身をぶちまけ始めた。
今頃になって船酔いがぶり返したのだろう。マーレ船長はじめ船乗りたちは久しぶりに腹の底から笑った。
「あのう……」
おずおずとセシルが船長に尋ねる。
「このあとはどうなるのでしょうか……? メインマストが折れてしまったら、船は動きませんよね?」
神官の至極もっともな質問に船長一同が「あ……」と現実に引き戻される。
と、がくんと船が揺れた。新手の魔物か!? と一同ざわめく。
「船長! こちらへ!」
船尾にいた航海長ソーンが手招きする。
船長一同が船尾に向かうと、海面に見目麗しい美女が数人、いや数匹の
「すげぇ! 実際に見るのは初めてだが、
「クラーケン、たおしたの、あなたたち?」
海面からもう一匹の人魚が顔を出して聞いてきたので「そうだ」と答える。
「ありがとう、おれいに、あなたたちを、みなとまで、はこぶ」
たどたどしいながらも人の言葉でお礼を言う人魚に船長一同が「いいってことよ!」とにかりと笑ったので人魚も釣られて笑う。
「さて! これで船の心配はなくなったことだし、お前たち!」
船長が皆を見渡して言う。
「祝杯だよ! あたいのおごりだからね! 楽しまないと承知しないよ!」
船長の言葉に船乗り一同が鬨の声よろしく快哉の声をあげる。
船倉から糧食や酒が運び込まれ、勇者一行も含め甲板でみな酒盛りに興じた。
アントンは樽の上で船員のなかで力自慢の男と腕相撲を。
タオは数人の船乗りたちに武術の指南を。
ライラは男たちを侍らせるように皆からお酌を受け、セシルが水と誤ってラム酒を飲んでしまい、いきなり服を脱ぎ始めたので慌てて止めたので周囲の船乗りから落胆の溜息。
勇者はと言えば、船医の部屋でベッドで横になっていた。
「やれやれ、勇者様が船に弱かったとはの!」
船医がラム酒を呷りながら笑う。
船首では船長と副船長がラム酒の瓶を手に宴会を眺めていた。
そして、カチンと瓶同士で乾杯するとひと息に呷る。
翌朝、水平線から太陽が顔を覗かせると波に反射して煌めく。
人魚の涙号は人魚たちによって進水していく。
甲板には船乗りたちが鼾をかきながら熟睡していた。
英雄である勇者一行は船室にて睡眠を取っている。
甲板の船員のひとりが尿意で目を覚まして、目を擦りながら用を足そうと、船縁に向かおうとしたときだ。
「おい! 起きろ!」
船員の声で一同が目を覚まして半身を起こす。
「なんだい!?」
マーレ船長が船長室の扉を開けて船員に聞く。
「
船長と船乗り一同が船首に向かうと、確かに見えた。港町らしき町が見える。
船員一同は抱き合いながら、上陸出来ることに喜んだ。
「お前たち! 安心するのはまだ早いよ!」
船員がぴたりと騒ぎを止める。
「上陸の準備しな!」
船長の号令に船乗りたちが快哉を叫ぶ。船乗りにとって上陸することは何よりも嬉しいことだ。
思わずマーレ船長の頬も緩み、にかりと笑う。
「――! ……長! マーレ船長!」
自分を呼ぶ声でぱちりと目が覚めた。声の主は副船長だ。
「入りな。どうしたんだい?」
副船長が扉を開けて入る。
「船長、港町の町長さんから酒場に招待されたんですが、船長もどうですか? 飲み食い放題で、勇者さまたちも来ますよ!」
副船長からの素敵な報告に船長が破顔する。
「町長さんも粋な計らいするねぇ……ちょいと待ってな。すぐ行くから」
副船長が退出すると、船長は航海日誌の続きを仕上げて、最後に自分のサインと海賊マークで締めくくる。
机から立って船長室を出ると、船員一同が全員甲板に揃っていた。
マーレ船長はすぅっと息を吸う。
「野郎ども! 準備はいいかい!? 酒場へ繰り出すよ!」
船員たちが
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