《外伝 LAYLA》後編

 

 魔女の子こと、黒髪の少女が村を追放されて半年後……。

 村のある地方の領主はある懸念に駆られていた。


 「えぇい! まだ魔女は見つからんのか!?」


 領主はいらだつように鋭い声で配下の兵士長をなじる。


 「申し訳ございません。捜索隊の数を増やしてはいますが、魔女は魔法で姿を眩ますのが得意と聞いています。ですから……」

 「言い訳はよい!」


 兵士長の顔に葡萄酒が浴びせられる。


 「すぐに魔女を捕らえろ! どんな手を使っても構わん! 見つけ次第殺せ!」


 領主は喚くように唾を飛ばしながらまくし立てる。ここ最近の領主は錯乱状態だ。魔王の復活が迫っているのだから当然であるといえば当然なのかもしれないが……。

 まるでなにかに取り憑かれたかのように、ひたすら魔女を捕らえろと喚き立てるのだ。魔女を捕らえればすべては丸くおさまると言うが

……。


 「失礼致します……」


 兵士長が部屋から出る。


 最近の領主様はなにかおかしい……そもそも魔物の動きが活発になっているのは本当に銀髪の魔女の仕業なのか……?


 そこまで考えて兵士長は首を振る。


 よそう、あれこれ考えても仕方ない。とにかく今は主君を守ることが先決だ。


 そう決意を新たにした兵士長は背筋を伸ばして回廊を踵を響かせながら歩く。




 「ほな、次は氷出してみぃ」

 「わかった」と少女が答えると、呪文を唱える。すると手の平の上を吹雪が舞ったかと思えば、次第に氷へと変化していく。片方の手の平にはすでに炎の玉が出来ていた。


 「出来た!」

 「ほんま、子どもってのは上達が早いわぁ」


 えへへ、と少女が笑うと氷と火の玉をお手玉のようにして遊ぶ。


 「ねぇ、先生! もう杖持っててもええんやない?」

 「んー、そうやね。もうそろそろええんやない? ちゅーか、あんた訛ってきとるね」


 銀髪の魔女がけらけらと笑う。無理もない。とんがり帽子の形をした屋根の下では魔女と少女のふたりきりのみだし、森の外に出る機会はほとんどないといってよかった。


 「あと、それ! その帽子もほしい!」


 少女が銀髪の魔女の頭に載せられたとんがり帽子を指さす。


 「これ? これはウチが昔、師匠からもらったものなんやけどね……まぁえぇわ、あんたが一人前になったらやるわ」


 銀髪の魔女が帽子のつばをくいと上にあげると、とんがりの先端の三日月の飾りがしゃらんと揺れる。


 「ほんまに!?」


 少女が黒髪をなびかせてぴょんぴょんと跳ねて喜ぶ。


 「腹空いてきたやろ? 飯にしようか?」

 「うん!」


 ぐるりと囲まれた本棚、古びた本や怪しげな実験器具が並ぶ書斎にて、ふたりは昼食の野菜のスープを啜る。

 もしゃもしゃと少女がパンを頬張ってごくりと飲み込む。


 「ねぇ、先生。いつも気になってるんやけど、あの本なんなん?」


 少女が指さしたのは棚の一番上に収まった、古く、重厚な装丁の一冊の本だ。背表紙にはかつては金で書かれていたであろう文字が古びてて読めなくなっている。


 「あー、アレな。アレは魔導書や。それも強力な魔法陣が書かれた本よ」


 へぇえ、と少女が興味深そうに本を見つめる。


 「でも勝手に取ろうとしたらあかんで? 本当に強い魔法なんやからね」

 「うん、わかった」と少女が答える。


 昼食を終えると、少女が皿を流しに運ぶ。


 「ほんじゃ、ウチはこれから夕食を獲りに行くさかい、留守番よろしくな?」

 「はーい、行ってらっさい」


 ぱたんと扉が閉まり、少女は足音が遠ざかるのを確認してから本棚へと向かう。

 目指すはもちろん、あの魔導書だ。

 少女の背ではとても届かないが、本棚から本を出して足場にすればやっと届いた。

 ずしっと重い本を持って外に飛び出す。

 地面に本を置いて手頃なページを開くと、炎の魔法陣が現れる。

 少女は手頃な小枝で本を見ながら地面に魔法陣を模写する。

 円を中心として、その周りを複雑な魔法式で埋めていくと完成だ。

 えへへ、と少女が手をぱんぱんとはたいて埃を落とす。

 そして魔導書に書かれた呪文を読み上げる。すると、どこからともなく一陣の風がひゅうっと吹いたかと思うと、地面に描かれた魔法陣が光を放ちはじめる。

 次に地響きがしたかと思うと、突然魔法陣から火柱が高く舞い上がった。地獄から湧き出た焔が天を衝くように。

 少女は予想以上の光景にぺたりと腰を抜かす。

 それは見習い魔法使いが、少女が使うにはあまりにも危険な魔法であった。


 「あ、あぅ……」


 ごうごうと音を立てて火柱はますます燃え盛る。

 と、そこへ一匹の黒鴉くろがらす が羽ばたかせながら現れ、地面に着地する直前に人の形に変わる。

 変身を解いた銀髪の魔女が片手を上げると、火柱がだんだんと小さくなり、終いにはぶすぶすと音を立てて消えた。

 次に魔女は驚く少女のもとへ足早に駆けよる。


 「このあほんだら!」


 少女の頬に平手が飛ぶ。

 頬を叩かれた少女はあっけにとられた後、顔をくしゃくしゃにして、大粒の涙を溢しはじめる。


 「……っ、ごぇんなさい……ごめんなさい……!」 

 「だから危ないと言うたんや! 下手すれば死ぬこともあるんやぞ! このあほ!」


 ひたすらごめんなさいと続ける少女を魔女は厳しく叱る。そして、少女の体を抱きしめる。


 「でも無事で良かった……ウチ、あんたがいなくなったら、さびしいんよ……」


 涙を流す魔女に抱きしめられながら、少女はまた涙を流す。




 領主の城、その食堂にて領主はフォークで肉を突き刺すところであった。


 「まことか……?」

 「は。見張りの兵が西の森の方で巨大な火柱が上るのを見ました」と兵士長が報告する。

 「ふむ、魔女は間違いなくそこにいる。すべての兵士をそこに向かわせるのだ。木の根草の根かき分けてでも探し出せ」

 「御意」と兵士長が下がる。


 領主は肉を口に運ぶとくちゃくちゃと咀嚼音を立てたあとにごくりと飲み込み、葡萄酒で流し込む。

 そしてにやりと醜悪な笑みを浮かべる。領主の両目は赫く光っていた。


 魔王様、貴方が懸念されている魔女をもうすぐ仕留めてごらんにいれますぞ……!


 すでに魔物に精神を乗っ取られた領主は甲高い下卑た笑い声を上げる。



 西の森、正確には火柱が上った辺りを兵士たちが甲冑をがちゃがちゃと響かせながら、歩く。


 「いいか! 草の根分けても探し出せ! 怪しいものはとにかく斬れ!」兵士長が馬上で指示を飛ばす。

 草が、花が、枝が踏みしだかれ、剣であちこち切りつけられる。

 結界が張られた魔女の家が見つかるのはもはや時間の問題であった。



 「もう泣かんでえぇよ」魔女が泣きじゃくる少女の頭を撫でる。

 突然、家の窓から木々から鳥が一斉に飛び立つのが見えた。遠く、いやそれほど遠くないところから足音が聞こえる。


 ……このままやと、見つかるのは時間の問題やね……。


 銀髪の魔女は少女を衣装簞笥だんすのほうへ連れて行くと、その中に押し込む。


 「え、せんせい……!?」


 魔女はしー、と人差し指を唇に押し当てる。


 「ここでじっとしているんよ。何があっても出たらあかんよ」


 そう言うと少女の額に優しくキスする。少女が何かを言おうとすると声が出ない。いや体中が石になったかのように動かなくなった。


 「……! ……ッ!」


 声を出そうといくら力を振り絞っても声は出てこない。


 「大丈夫。すぐ戻るさかいに」


 少女の目の前でぱたんと扉が閉まる。

 少女が叫ぼうとしても魔法によってかき消され、動こうとしても体が言うことを聞いてくれない。


 「見つけたぞー! 魔女の家だ!」


 家の外から兵士の声が響く。結界が破られたのだろう。

 少女は外の様子を見ようともがくが、石のように動かない。その時、立て付けが緩んでいるのか、わずかに扉が開き、そこから外の様子が見えた。

 玄関の扉が開け放たれ、銀髪の魔女が手ぶらで多数の兵士の前に立つ。


 「貴様が銀髪の魔女だな?」馬上の兵士長が問い、魔女がこくりと頷く。そして周りを見渡す。


 「これはこれは。兵隊さんが揃いも揃って鎧に身を固めて……ウチをデートに誘おうって、そんなワケあらへんか」

  

 兵士長は魔女の冗談を無視してさらに問う。


 「この森から巨大な火柱がのぼるのが見えたが、あれも貴様の仕業か?」


 兵士長の尋問は箪笥のなかにいる少女にも聞こえた。


 せんせい……! 


 「あらら……やっぱりバレてもうたか」と銀髪の魔女がとぼける。


 「やはりお前の仕業か!」兵士のひとりが槍を構える。

 「せや。ひさびさに魔法陣を発動させたら、炎があれよあれよとあっという間にのぼってな……やっぱ年は取りたくないもんやね」とにかりと笑う。


 「ふざけるな!」


 え!? せんせい! なんで……!? なんでウチのせいだと言わへんの……!?


 言葉が出ない黒髪の少女の目前で銀髪の魔女が兵士に殴打される。兵士長がよせ! とたしなめる。


 「おーいた……女性レディの扱いがわかっとらん連中やね……」


 その時少女は見た。銀髪の魔女が弱々しくも地面になにかを描いているのを。


 あれは、もしかして魔法陣……? やっつけて! 先生! そいつらをいてこまして!


 銀髪の魔女は弱々しくもなんとか立ち上がり、兵士たちを睥睨へいげいする。

 

 「その頭に被っとる兜のように頭の固い兵士ども! よぉっく聞きや! ウチは泣く子も黙る稀代きだいの大魔導師、『銀髪の魔女』や! 覚えとき!」


 魔女が両腕を広げたので兵士たちは思わず身構える。


 「う、うわあああっ!」


 狼狽した兵士のひとりが魔女に向かって突進する。兵士の手には槍が握られ、その穂先は魔女の腹を貫いていた。

 つぅっと銀髪の魔女の口から血が滴り落ちる。


 「や、やった……!」


 兵士から快哉があがる。すると次々と兵士たちが我先にと魔女にとどめを刺す。


 やめて……! せんせいをいじめないで!


 少女の声なき懇願は無情にも届かず、槍が、剣が次々と魔女を刺し貫く。


 悪いのはウチなのに……!


 銀髪の魔女は口から血を吐きながらもかろうじて立つ。そして呪文を唱えながら両手から火の玉を出す。火の玉はだんだんと膨張していったので兵士たちがざわめく。


 「死にたくなかったらはよう逃げ! よう見とき、これが魔女の死にざまや!」

 「いかん! 自爆するつもりだ! 全員退避しろ!」


 兵士長の号令の下、兵士たちが慌てふためいてその場から避難する。

 火の玉は火球となり、まわりの大気がびりびりと震え始めた。

 銀髪の魔女が後ろを振り向く。その視線は箪笥のなかの少女に向けられていた。

 ぽつりとなにか呟くが、大爆発によってかき消され、火柱が立ちのぼる。爆風で魔女のとんがり帽子が吹き上げられ、ふわふわと舞い落ちてやがてぽとりと落ちた。

 魔女がいたところはぶすぶすと黒煙をあげるのみだ。

 魔法の効き目が切れたのか少女は動けるようになり、箪笥から飛び出す。


 「なんで……!? なんで魔法陣発動させんかったの!? せんせい!!」


 少女がつまずいて転ぶ。すると魔女が地面に描いていたものが見えた。

 それは魔法陣ではなかった。そこにはたった一言こう書かれていた。


 「すきやで」


 魔女の残した最後の言葉に少女はその場で泣き崩れた。

 少女は魔女の家でただひとりぼっちで泣きじゃくる。自分のせいで先生が死んだと激しく苛まれながら……。

 やがてひと月経ったある日、少女は意を決したように机から立つと、衣装箪笥から黒い衣を取り出すと身にまとい、金合歓アカシア の杖を手に、壁に掛けられたとんがり帽子を目深に被る。

 扉を開けて外に出る。振り返って、しばしふたりで過ごしたとんがり帽子の家を眺めたあと、呪文を唱えはじめた。

 両手から繰り出された火の玉を家に飛ばすと、たちまち燃え盛る。

 がらがらと音を立てて崩れゆくのを確かめたのちに黒髪の少女は歩き出す。少女の頬には涙が伝っていた。



 魔物に乗り移られた領主が黒髪の魔女によって倒されたのは別の話。そして銀髪の魔女の無実が明らかになったのはもっと後の話。

 少女が魔女の家を出て数年の時が流れた……。


 東の地方、とある街の冒険斡旋所ギルド の併設された酒場で成長した少女、黒髪の魔女は葡萄酒を静かに傾ける。

 ギルドの依頼クエスト を終えると彼女はいつもここで葡萄酒を一杯やるのが習慣になっていた。

 ふぅ、と溜息をひとつ。彼女は退屈していた。


 そろそろ、次の街にでも行こうかね……。


 がやがやと喧騒のなか、ふたりの冒険者が入ってくるのが見えた。

 ひとりは背に剣を差した男、もうひとりは神官と思しき少女だ。


 「えーと、ここにいるはずなんだけど……」

 「あの、もしかしてあの方では?」と神官が指さす。

 「おお!」


 そう言うなり、男の冒険者は葡萄酒を手にした黒髪の魔女の前へと進む。そしておもむろに口を開く。


 「なぁ! あんただろ? この街で一番強い魔法使いってのは!」

 「す、すみません! いきなりで……私たち、魔法が使える方を探しているんです」と追いついた神官が謝りながら言う。

 「それで、用件はなんやの?」と黒髪の魔女が葡萄酒をまた傾ける。


 「ああ! 実は北東の洞窟のゴーレムを倒したいんだ。でもそいつ、強いから魔法が使えるやつが欲しいんだ」


 話を聞いた魔女はふぅん、と興味なさそうに言う。


 「あんた、なんでそのゴーレム倒したいのん?」

 「俺たち、魔王を討伐しに行くんだ!」


 男の意外な答えに周りがざわざわとざわめく。


 「は? マジで言うとんの?」


 これにはさすがの魔女も呆れ顔だ。


 「ああ! 俺は勇者だ!」とにかっと笑う。


 ぷっ、と魔女が吹き出す。


 「あんたみたいな大ぼら吹き、初めて会ったわ!」

 「俺はいつだって大マジだぜ」


 けらけらと笑う魔女に勇者がむっとする。

 ひぃひぃと腹を抱えて魔女が悪い悪いとでも言うように手を振る。

 そして、ふぅーっと息を吐く。


 ほんまに見たことないわ。こんなアホ……でも、よう見たらなかなかの男前やないの。


 「ん!」と魔女がぱぁんとももを叩く。


 「ええで。その話、乗ったわ! ちょうど退屈してたとこやし。ほな、さっそくゴーレム退治に行こうかね」


 やった! と勇者が神官の少女と手を取り合う。


 「その前にひとつ、あんたらに言いたいことがあるんや」


 魔女がすっくと杖を持って立つ。その拍子にとんがり帽子の先端の三日月の飾りがしゃらんと揺れる。


 「ライラ。ウチの名前はライラや。いつか、大魔導師になる女や。覚えとき」



 ライラが仲間に加わった。

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