《第十四章 明日にかけるギャンブラー④》
「シ、シンシア……なんでここに……いやそれよりなんでここが」
勇者の妻、シンシアがじろりと勇者を睨む。
「あんたが暖炉になにかを焼き捨てたのは知ってたけど、それが何なのかは分からなかったわ。でも、あんたが朝から挙動不審だったのと、行き先も告げないでどこかへ行くということは、つまりあたしには言えない所だと思ったの。そういう時って村の男たちと一緒に行っていることが多いじゃない? で、残ったニコくんに問いただしたら、ここだって教えてくれたの。ね? ニコくん?」
シンシアの後ろからおずおずとニコが出てくる。シンシアがニコの頭を撫でる。
だが、ニコの怯えようを見ると力ずくで脅されたのだろう。いや、きっとそうだ。
「とにかく! あんたに言いたいことはいっぱいあるけど、家に帰るわよ! ほら、みんなも!」
シンシアが勇者の襟首を掴んで引き戻そうとする。と、そこへスペードの「待ちたまえ!」の制止がかかる。
「勇者殿もそうだが、ここにいる村の若者たちは私と勝負して負けたのだ。支払うべきものを支払ってもらわなくてはならん! それとも貴女が借金を返済してくれるとでも?」
シンシアが村の男たちをじろりと睨む。男たちには返す言葉もなかった。
「……いいわ」
「は?」とスペードが聞き返す。
「あたしが勝負に勝てば、みんな帰してくれるのね?」
「シンシア! 何を言っているんだ! お前が敵う相手じゃないんだぞ!」
勇者が止めようとするが、それでうんと言うシンシアではない。
「運は待つ人には来ないわ。自分でつかみ取るものなのよ!」
シンシアのその力強い啖呵に勇者含め村の男たちはキュンと胸をときめかせる。
やだ、男らしい……!
「面白い……! 良いでしょう! しかし、私はお仲間達を賭けるとして、貴女は何を賭けるのですかな? お仲間達を取り戻すにはそれに見合った等価が必要なのですよ?
失礼だが、貴女のような村娘がすぐに払える金額じゃありませんよ」
勝負にならないというように首を振るスペード。
対するシンシアはきゅっと奥歯を噛みしめ、やがて意を決したように口を開く。
「あたしを賭けるわ! この体でどう!?」
「シンシア!」
止めようとする勇者にシンシアが黙って! と遮る。スペードは彼女の頭から爪先まで舐めるように見る。
……なるほど、確かに胸は小さいが、顔立ちはなかなかに可愛い。何より、私は気の強い女が好きだ。
ぺろりと舌なめずりする。
「Good! よかろう! 種目は何にしますかな?」
シンシアがカジノの周りを見渡す。そしてテーブルのひとつに目が行くと、それを指さす。
「これで勝負よ!」
シンシアが指さしたのはルーレットだ。
「Good!」
ふたりがルーレットテーブルを挟むようにして向かい合う。
「さて、ルーレットはご承知のようにテーブル上の数字を賭けますが、ここはシンプルに赤か黒で賭けませんか?」
「……いいわ」
「Good! ではお好きな色を」
シンシアが髪を束ねているリボンを解くと、テーブル上の赤枠に置く。
「
「よろしい! では私は
スペードが蝶ネクタイを黒枠に置く。
「ではディーラーにクルピエを……」
「待って! イカサマ防止としてお客さんにやらせるべきよ!」
これはこれはというふうにスペードが首を振る。
「私はイカサマなどしませんよ……もし私がイカサマをしたらその時は潔く負けを認めますよ。おい、そこのキミ! クルピエを頼む!」
指名された小太りの男の客が俺? と自分を指す。
「早くしたまえ!」
スペードに急かされ、男がたたた、とテーブルに近づく。ディーラーから玉を受け取るとぎこちない手つきで持つ。
スペードがちらりと男を見る。男はわずかに唇を歪ませる。
分かっているな……? 黒に入れるんだぞ?
お任せください。万が一、赤に入ってしまうようならその時はテーブル下の機械で操作します。
以心伝心でやり取りを終えると、スペードは不敵な笑みを浮かべる。
そう、このカジノ、正確には違法カジノは私の店……! ディーラーもバニーガールも一部の客も全て私の手駒……!
貴方がたがこの店に来たときに、すでに勝敗は決していたのですよ!
スペードがまた不敵な笑みを浮かべる。
今夜はたっぷりとこの娘を可愛がってやる。
「ねぇ、まだなの?」
シンシアの声で妄想から現実に引き戻されたスペードが我に返ると、クルピエ役の男に「始めろ!」と急かす。
「は、はい」
「確認だけど、ルールでは玉に触っちゃダメなのよね?」
「もちろんです。それこそイカサマというものですよ」
やはり素人だな! この女。
男が玉を指で弾くとしゅるるるとルーレットの縁を回る。
すでにルーレットテーブルの周りには客が結果を見ようと詰めかけている。
やがて玉の動きが緩慢になると赤と黒で色分けされた、回転するルーレット上へと落ちようとする。
玉は黒の枠へと収まろうとしていた。
勝った……! 小細工するまでもなかった!
スペードが快哉をあげようとした時だ。目の前のシンシアが握りしめた拳を天に掲げるようにするとそのままテーブルに振り下ろす。
どぉんっと大きな音がしたかと思うと、ルーレット盤がからからと音を立て、玉が衝撃で上へと舞い上がる。
スペードが玉の行方を追うと、玉は空中でいったん動きを止め、そのまま盤へと墜ちていく。
カコォンと小気味良い音を響かせて、玉は赤枠に収まる。
「あたしの勝ち!」
シンシアが快哉を上げる。
「な、な……」
スペードが信じられないというようにルーレット盤を見る。だが玉は依然として赤枠にある。
「ふ、ふざけるな! こ、こんなのイカサマだ! インチキだ!」
ぶるぶると震える指でスペードがシンシアを指さす。
「あら? 玉には指一本触れてないわよ?」
ぬぅうとスペードが怒りを露わにする。
「屁理屈こねやがって……!」
その時だ。ルーレットテーブルの下に何かがごとりと落ちたのは。シンシアの一撃でネジでも緩んだのだろう。
「お、おい! こりゃ当たりを操作出来る機械じゃねぇのか!?」と客のひとりが言う。
「てことは、今までのはイカサマだったってことかよ!」
スペードがどっと滝のような汗を流す。
「あんた、言ってたわね? イカサマをしたらその時は潔く負けを認めるって」
シンシアが腕組みしながらぴしゃりと言う。
どやどやと客達が「金を返せ!」とスペードに群がる。
当のスペードは放心状態だ。白目を剥いて気絶している。
ふぅ、とシンシアがテーブルに置いたリボンを取るとすぐさま髪をきゅっと纏める。
「シンシアさぁあああん!」
そんな男らしいシンシアに村の男たちが群がる。
「俺! 一生付いていきます!」
「痺れました!」
「おら、この身を捧げますだ!」
男たちが賛辞を送るなか、勇者はひとりこそこそとカジノから出ようとしていた。
勇者が扉に手をかけようとするところへ、シンシアが勇者の肩をがしりと掴む。
「お待ちになって。マイダーリン♡」とシンシアがにこにこと笑みを浮かべる。
「な、何かな? マイハニー?」
ぎぎぎと擬音が出そうなほどに勇者がシンシアのほうへ首を向ける。
「ねぇ、選択肢をあげるから、どっちがいいか選んで?」
「え、そ、それってどういう意味……」
「『オラオラ』と『無駄無駄』、どっちがいい?」
シンシアがごきりと拳を握る。
「それって、ほぼ一択と変わんないんじゃ……」
「んじゃ、あたしが好きなほうを選ぶわね」
「好きなほうって……」
もしかして、オラオラですかーっ!?
カジノの喧騒のなか、シンシアの鉄拳制裁の音と、勇者の悲鳴が辺りに響く……。
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