第16話 魔狩り




 黒い人型は獲物を見つけるなり、緩慢な動きから一変、獲物捕らえる為の姿へと変態した。


 腐肉で出来た身体をぐじゅぐじゅと変形させ、細く伸びた鋭利な骨を地面に突き立て、四本足の腐肉の球体になった。この怪物は生えた骨を突き刺したり、切り裂いたりすることに使用する。それで殺した生物を球体の中心にある赤黒い口の様な器官に取り込むのである。


 そうする事で機動性を得た腐肉はシャカシャカと無軌道に動き回る様になり、壁でさえも自在に這い回っている。


 エスが初めてこれと遭遇した場所は、七年前、エスがComに所属してすぐの事であった。

 それは中東の片隅にある小さな村ロシュガで発生し、当時ロシュガ近辺はこの怪物の巣窟であり、村人達は度々その餌食になる事が多かった。

 その発端はロシュガの近辺に建造された〈企業都市〉の廃棄施設。そこで捨てられる物の中に多数の死体があった事で腐肉の怪物は発生したのである。


 エスを含むジプシー部隊がロシュガに到着した時には、既に村人全員が怪物へと変異し、ロシュガの土地は血生臭い惨劇が繰り広げられていた。


 捕食と増殖。この怪物達の特性の一つ増殖は、生物を喰らい己の内で同じ姿へと変質させ更なる捕食対象を求めて貪欲に動き続ける。ロシュガの一件以降、このMOは〈食べる死体〉と名付けられ、Comによって残らず殲滅させられた筈であった。


 しかし、今エスと雨村の前に立ちはだかる怪物は確かにかつての〈食べる死体〉そのものである。


 MOとは唯一無二の存在。その概念を覆すがごとく、醜い塊は再び現れた。


 「相変わらず気色悪いな、この腐れ共はよォ!」


 群を成して迫る眼前の腐肉球達を軽々と叩き潰しながらエスがぼやく。赤布の刀を乱暴に振り回して己に向けられた骨爪を叩き折り、食べる死体の口腔に赤布の槍で串刺しにする。

 ずるり、と赤い槍が腐肉から引き抜かれ、元の布形態へと戻ると腐肉の躯体は力を失って崩れ落ちた。元々がどうして動いているのかも不明な生物だが、死ぬ様は通常の生命体と変わり無いように見える。


 絶命した個体はどちゃ、という音を立てその場でその肉体を構成していた肉片を散らす。


 一匹仕留め、エスは次の標的を定める。未だ食べる死体の数は数十。同志を殺されたからか、他の食べる死体達がエスに群がり始める。


 「おいおい、幾ら何でもがっつき過ぎじゃねぇか?」


 

 壁の様になって食べる死体達はエスに迫った。腐肉の壁はエスを押し潰す勢いで群がっている。

 対してエスは落ち着き払った様子で刀を構える。


 「ふー……」


 息を吐き、呼吸を鎮める。心の騒めきを消し、眼前の怪物どもを見据える。

 そうしてエスは刀を居合の型で構え、赤布の刀を握る力を強めた。


 それは、暴走した破棄形態が使用していた構えと同じものである。ハナとの戦闘の記憶は確かに残ってはいない。彼があの時と同じ型を扱うのは潜在的な部分で内なる力と繋がっている為か。


 「あの時、俺は確かに正気じゃなかった様だな……だが──」


 刀が腐肉の壁に向け振り抜かれる。赤布の刀が怪物たちを一閃し、赤布がふわりと舞う。遅れて銀の閃光が走ると怪物の一体がずるりと崩れ落ちた。エスの目の端に赤色が滲み、彼は叫んだ。


 「声が囁くんだよ、お前ら怪物を殺せってなァ!!」 


 一瞬の燦めきだった。


 二度目の居合は先程よりも速く放たれる。腐肉の壁がその勢いを失い唐突に停止すると、エスは怪物達の群れの前で刀に纏わり付いたどす黒い血を振り払う。


 エスの動作の後、幾つもの斬撃が群れへと襲い掛かる。斬撃は食べる死体達を次々と両断し血の雨が爆発していく。


 居合の型から放たれた無数の斬撃は確かに、制御を失った破棄形態が使った技と同じだった。


 「KiiIiiiiiIii!!!」


 怪物から奇声が放たれ、肉片が散らばっていく。黒い雨が降る中エスは悠然と怪物の群れの真ん中を歩いていた。


 「まだ生き残ってやがったか」

 呟いて赤い眼光を向けると、怪物が停止する。エスを怖れたのか、怪物は睨まれている間固まっていたが、エスの視線が外れると怪物は再びエスへと向かっていく。


 残った怪物の一匹がエスの背後へ飛びかかったその時、雨村が放った銃弾によって今度こそ全ての怪物が活動を停止した。


 「……やはり覚醒率は上がっているみたいだな」


 拳銃を懐のホルスターへ収めエスに目を向ける。


 ──そうか、『力』の意思。それがエスの身体を『器』として相応しい肉体に変質させている……そういう事か。


 雨村がエスの急激な成長に驚くも、力の出所を察し呟く。


 エスの成長と内に宿る力の関係は明らかに表に出てきている、それが決して良いものではない事、それを雨村は理解している。


 「──覚醒率は八パーセントと言ったところか……。力の持つ意思が、力の納まるべき器に相応しい肉体への変質……恐るべき力だな全く」


 立ち止まり思考する雨村。それに気付いたエスが振り返り声をかける。


 「どうしたんだ、そんな神妙な雰囲気出しやがって」


 対して雨村は僅かに顔を上げると、以前と変わった様子のないエスが雨村の前にいた。


 「いいやなんでもないさ、あまりに出番が無かったもんだからな。気が抜けてたみたいだ、……やれやれ、俺も歳だな」


 エスの肩を叩くと雨村はその横を苦笑して通り過ぎた。その苦笑の真意に気付かず、エスは雨村を追いかけ視線を動かす。


 二人の進む先にはゲヒルンの本拠地、旧マギア・ラボラトリとされる。そこは鋼鉄のフェンスで囲われ、今や要塞と化していた。


 しかし、食べる死体との戦闘があったというのに異様な静寂を纏う要塞は、どこか大口を開けて獲物を待っているかの様である。


 「あれだけ暴れたっていうのに悠長なモンだな」


 エスが建造物を見上げ言う。

 要塞には窓が無く、入り口はフェンスの内にある巨大な鋼鉄の門のみ、門は水道を満たす湿気のせいで赤錆に塗れ到底動く様には見えない。


 「静か過ぎるな……」


 雨村もエスと同様に建物を見上げ呟く。


「そうだな」と、同意したエスが刀を構えた。


 「殴り込むしかねぇな──」


 エスが言って軽く刀を二度振ると、鋼鉄の門は間を置いてずぅんと崩れ去り、二人の前に進む道を開かされた。これでゲヒルンも出てくるだろう、そう考えていた二人の予想は外れ、門の先は今と変わらぬ暗闇があった。


 「……にしても静か過ぎだ」


 開かれた先を見て雨村が怪しむ。


 「間違えた、なんてのはやめろよ?

 冗談で済まされねぇからな」


 怪しむ雨村を横でエスが茶化す様に言う。


 門の向こうには薄暗い廊下が闇へと向かって続き、終わりが見えない。下水の臭気とは違う臭いと空気が漂ってきている事から、きっと終着はあるのだろう。


 「見てくれよこれを。どう見ても昔のモンとは思えねぇだろ」


 そう言ってエスが親指で壁を示す。

 無機質なコンクリートの壁には、赤の絵の具を乱雑に撒いたかの様な真っ赤なグラフィティアートが描かれていた。


 「……まだ血が乾いてない、それに……」


 雨村が壁の下にあるものへと視線を落とす。そこには皮膚が無く筋繊維が剥き出しにされた人間の死体がいくつも横たわっていた。


 皮膚を剥がされたのか、人の形を綺麗に保ったままの死体が、入り口の廊下には幾つか転がっている。


 これは……と二人が思考を巡らせようとした、その時──闇の奥から悲鳴が聞こえてきた。


 「……あああああ! 

 やめてくれ! あがああぁぁ……ッぃひ! ひいぃああぁぁぁ!!」


 ゲヒルンに所属する人間の声なのか、廊下の奥から響くという事は、やはりそうなのだろう。二人は助けに行くといった発想をせず、ただ視線を深い深い闇の奥へと向けているだけであった。


 凄絶な悲鳴。闇の中から人の声が反響し、びぃぃという布を裂く様な音も一緒に響いてきた。何が起きているのか、そんな事に雨村とエスの二人は心を傾けていない。


 怪物に対し人間の常識などまるで通用しない事を二人は心得ている。だから、怪物と対峙する者は慎重に能力を見定めた上で、その先の闇へと踏み込む一歩を踏み出せる者でなければならない。いつの時代も何かを得るのは未知へと踏み出せる者だけだ。


 「進むぞ」


 雨村が声をかけ、二人は闇へと歩を進ませる。薄暗い入り口から進むほど周囲は完全な闇へと徐々に染まっていく。二人の歩く音がだけが響くようになり、闇と静寂が空間を支配する。


 冷たい空気が奥から流れ、エスの意識を闇の中心へと向けさせる。


 「この奥に……ユエシィの記憶が」


 呟いて自身の目的を再認識する。彼女を元に戻せるならば、なんであろうと為す。それが本来のエスである。これまでそれを露わにする事は無かったが、彼はユエシィにそれを悟られぬよう行動してきた。何故そうしていたのか……

 それはエスにとって知られる訳にはいかない秘密があったからだ。


 想いと同調し、エスの刀を握る力が自然と強くなる。

 かつん、かつん。革靴の底が二つなる。

 視覚が無い分音はハッキリと聞こえていた。視界は闇。靴音だけが反響して、奥へ進むほどに血の匂いは濃くなっていく。

 もうすぐ声のした辺りに着くのだろう。


 「血の匂いが濃い……そろそろだ」


 雨村の呟きを聞き、エスも臨戦態勢になる。靴音は止まって、反響する音は何一つ無い。闇に潜む者の姿は二人の眼には見えていないが、それが確実に自身らに敵意を向けている事は感じ取れた。


 気配だけを追う、姿はまやかし。

 それが怪物狩りの鉄則。


 二人が気を張り巡らせる中、遠くで音が一つ鳴った。


 こーーーん。


 どこかで瓦礫の破片が落ちたのだろう。

 なんて事は無い些細な音である。

 しかし、その音は大砲の音じみて開戦の狼煙と代わる。


 「前から来るぞ」


 「分かってるっての」


 二人の男はそれぞれが拳銃と刀を同じ方向へと構えた。すると、エスの身体が後方へと押し込まれる。


 同時にぎゃりっという金金属が擦れ合う音が生まれ、エスの刀から火花が散る。


 散った火花がささやかな光を生む。するお暗闇の中に、ぼぅ、と白い顔が浮かび上がった。

 人間の顔だった。否。その様に見えて人間とはパーツの配置がまるで違っていた。


 目の部分に小さな穴、耳に目、口にも小さな穴、鼻は存在しない代わりに口が付いていた。


 見る者の正気を奪うかの様な姿で、それは二人の前に一瞬だけその顔を晒すと再び闇の中に消えていく。


 常人であれば見ただけで本能的な恐怖を呼び起こされてしまうだろうが、二人の男は怪物の姿など気にも留めず闇の中に消えた怪物を追った。


 「見た事ねぇMOだ」


 エスが声を発す。


 「見た目だけのヤツなら楽なんだがな……」


 そうじゃないんだろうな、と思いつつも雨村はそんな淡い期待を口にする。闇に潜む者は再び音を消して二人の隙を伺っているのだろう、静寂なる闇の中では二人の息遣いしか聞こえなくなる。


 しかし、闇に潜む者の気配を二人は逃さずに捉えている。気配は正面から動かず、二人を警戒しているのか、そこから動かずじっとしていた。

 そこにいる。二人にはそれが分かっていても、能力の分からない以上迂闊に手を出す事は出来ない。


 「まぁ闇に紛れて動くタイプってのは面倒だし……何より画が地味だわ、こういうのは性に合わねぇ──」


 言ってエスは構えた刀を降ろす、そこへ合わせて気配が動き出す。


 「こっちの方が手っ取り早ぇ──今だ! フィアレスッッ!」


 闇から襲い来る狂爪を受け止めたエスが雨村へ合図を送る。


 「説明してからにしろ!」


 エスに襲いかかる気配に対し、雨村が文句を叫びながら銃撃を放つ。闇の中で鈍く光る銃弾が怪物に悲鳴を上げさせた。


 「Ha! Hasss! Haaaa!!!」


 獣の様な鳴き声と共に気配がエスから遠ざかろうとする。だがエスは気配を追って、踏み込む。その最中で構えを変え、刃を上向きに、切っ先を気配に向けて投げ槍の様に放った。


 「逃がす訳ねぇだろうが!」


 エスの声と共に刀が変異する。

 暗闇の中放たれた刀は、エスの手を離れる直前に三又の布を刀身に纏わせて、サイズをふた回り程大きく変えた。

 そうして一つの大仰な槍に姿を変え、赤い流星が如く闇の中を迸る。


 槍は闇の中の一点で不自然に停止する。


 「HiiiiYaaaaaAA!!!」


 赤の大槍に貫かれ、怪物の悲鳴が闇に轟く。悲鳴と共にのたうち狂い、闇の中にいくつもの破砕音が生まれた、その矢先怪物はエスと雨村、二人を完全な『敵』として認識し二人を殺すべく動き出した。


 「まずい──エスッ!」


 迫る気配は次第に大きくなり、二人の前に壁となって迫り来る。

 

 「命中したが……仕留めるには至らなかったか、しぶてぇな。

 戻るしかねぇか──!」


 言って二人は闇の中を逆走していく。背後には狭い廊下を壁の様に二人を追う。二人は背後の気配が更に大きくなっていくのを感じ取りながら入り口を目指し駆ける足を速めていく。


 「おいおいおい、もしかしてこのまま肥大化してったらこの建物もヤバいんじゃねぇか?」


 エスが並走しているであろう雨村へと聞く。


 「有り得るな。だが今は下がる事しか出来ない。やるなら外に出てからしか無い……

 それまではコイツが建物を壊さんように祈るだけだ」


 「ちっ──!」


 舌打ちするエスであったが、刀も手元に無い以上今は走る事しか出来ない。迫る気配は未だ大きくなり続け、今や波のように迫ってきている。その速度も二人に追いつきつつあった。


 波は血の匂いを纏って廊下を満たしていく、むせ返る程の血の匂い。いかにガスマスクをしている二人であってもその匂いは伝わって、二人に血の海を彷彿とさせる。


 最早この生物が何を目的とした生き物なのかすら亡失させる奇天烈な現象。敵対生物を排除する為に血の海に変態する生物を生物と言っていいのか、そんな問答は怪物には意味を成さない。あるのは死ぬか生きるか。シンプルな結果だけが残る。

 ならば今はそれを下される場所なのだ。

 二人が生き延びるか、怪物が死ぬかだけだ。

 

 「抜けたか!?」


 廊下の闇を抜けて僅かにだが闇が緩和される。それでも暗い事に変わりは無い、しかし二人を追って外に漏れ出た血の海、その正体を二人は認識する事ができた出来た。鮮血で出来た身体をうねらせ、血の海は再び己を再構築していく。


 最初の頃よりも数倍の体積を持つ様になった怪物は渦巻きながら頂点に顔を浮かばせ、歪な笑みを浮かべ二人を見下ろしていた。


 「こいつは、なんだ?」


 雨村の率直な疑問はMOと呼ばれる異形にはよく用いられる質問だ。Q &Aがあれば『そんな事知りません』と一蹴されるべき内容であった。無論、ここにQ &Aは無く、あったとしても何の役にも立たないだろう。雨村のマントの下から拳銃が飛び出し、変態中の怪物に数発の弾丸が放たれる。


 渦巻く赤、飲み込まれる弾丸、怪物は笑みを浮かべたまま変態を続ける。


 これは本能アノマリーだ。

 怪物を構成する本質、この世に存在する真実だ。人だけが成る本能の怪物。こんなものがこの世にあっていいのか、そう思う人間もいるかもしれない。しかし現実はこちらなのだ。怪物が存在する事は覆しようの無い事実であり、人間が目を背けるにはあまりに世界は変容し過ぎた。人という土壌から出ずる淀み。絶望、希望、夢、嫉妬、憎悪、トラウマ、信仰……それら感情が人を怪物へと変えるのである。時に怪物、時に道具として世界や神へと訴えかけるが如く、鮮烈な事象として現れる。

 

 今二人の前にはだかる怪物もそうして生まれ、本能のまま、生まれ持ったルールの下で人に害を為す。


 「『なんだ』とか『どうして』とかは意味ねぇんだよ。とにかくぶっ殺す方法を考えるだけだッ!」


 勢いよくエスが飛び出す。


 「エスッッ!!」

 

 止めようとする雨村を無視してエスは走っていく。


 しかし──渦巻く怪物は鮮血を弾き飛ばし銃弾の如く無数の飛沫が飛び散る。飛沫のいくつかがエスの外套に触れ、触れた部分を削り取っていく。怪物から放たれる赤い飛沫はまさしく銃弾であった。

 僅かに肉を削られながらもエスは怪物へ向けて前進する。だが、怪物は更に飛沫を放ちエスの身体は数百の血の弾丸によって撃ち抜かれ立ち止まってしまった。


 「ぐぁ……ッ」


 雨が止み、エスの身体から血が吹き出す。


 「エス、よせ! 死ぬぞ!?」


 雨村がエスを引き戻そうと声を張った。けれどもう引き返す事は出来ない。彼の身体は既に血の弾丸によって致命的な傷を負ってしまっていた。


 見誤った。ただその一言に尽きる。

 怪物狩りとして慎重さを失えば、こうなる。そうして死んでいった奴をエスは何度も見てきた筈だ。彼は失敗した。

 流れ出る血は止まらず、エスから思考を奪い去っていき、直ぐに彼は死んでしまうだろう。


 だというのにエスは両の足で立ち、怪物を睨んだ。眼には赤い光が鈍く灯っていた。


 「──っせぇ……」


 傷を負いながらエスから声が漏れる。


 「KKkkkk!!!」


 奇怪な笑い声を上げながら怪物は再度飛沫を撒き散らす。それは血の弾丸となってエスの身体を何度も貫きエスの身体を破壊する。

 とうに動ける筈も無い身体だというのに、エスは弾丸を受けながらその足を前へと進める。霧の向こうに赤い目を煌々と光らせて。


 「声が、うるせぇんだよ……!」

 

 それは怪物に向けられた言葉では無かった。

 内にある声は囁きから騒めきへ、思考に直接叩き付けられる様な強烈な殺戮衝動。


 エスの身体が傷付く程に声は大きくなった。


 ──殺セ。外敵ヲ。殺セ。


 その声が強まる程にエスの身体の内で変異が進んで行く。怪物の腹に刺さったままの赤布の刀。あれを掴もうと衝動がエスの身体を引っ張ろうとする。


 雨村が語った『力が納まるに相応しい器への変質』それが今まさに起きている。


 エスの眼は赤く光り、己の血と敵の血で真紅に染まっていく。それでも尚……尚も彼はその足を前へと進めた。何故、彼が前に進むのか、進めるのか、彼を動かす力は殺戮衝動などでは無い。彼が前へと進む理由──それはただ一つ。


 「──ユエシィ……ッ!」


 霞む思考の中、その名前を呟く。

 縋る様に放った彼女の名が彼を彼たらしめ、彼女を救うその想いが彼の足を前へと運ぶ。


 「Kiiiii!?」


 怪物は依然として近付いてくるエスに対し、攻撃の波を強める。大雨と化した血の弾丸がエスに降り注ぎ、その身体を一瞬で破壊し尽くす。


 「エス、お前は……」


 近づけず、見ている事しか出来ない雨村が彼の異変を感じ取っていた。


 弾丸の雨で穴を開けられようと、内臓を破壊されようと、脳が砕けようとも。

 だが。それでも。

 尚も彼はそこに立ち続けている。歩みを止めないでいる。


 彼の肉体は破壊されたと同時に再生していく。そうしてついに彼は怪物の前まで辿り着いた。


 「お前には、死んでもらう」


 一言発し、怪物に刺さっている刀の柄を掴む。刀はエスに呼応して赤布を蠢かせ、怪物の腹から飛び出し怪物に悲鳴を上げさせた。


 「Yhiiiiiiiiiii!!!」


 意味不明な音を発して怪物は苦しんでいる。それを見上げながらエスは刀の柄を強く握り締めると、全ての赤布が刀へと纏わりつく。


 「超自我固定──掌握プロセス実行、代行権限獲得──機密精神具現化、魂殻化仮想実行──アインへ接続──」


 赤布が刀に纏われている状態から変異する。纏われた赤布が刀身に溶け込み、真紅の刃を形成しすると刀身が倍近くにまで伸び、禍々しい姿へと変容した。


 二メートルを超える紅き刀身。

 それがこの刀の真の姿にして本質。


 この刀の真名まな、それは──


 「魔狩りヴェナンディ。貴様を屠る刀の名だ」


 長き刀身が力づくで怪物の腹を一閃する。

 裂かれた腹からは血が溢れ出し、怪物は悶絶し、血の弾丸を半狂乱で撒き散らす。

 至近距離でエスはそれを受けているが、その身体には一切の傷が無かった。


 エスが刀を持ち上げ、刀の背を肩に乗せる。それは刀には相応しく無い構えだ。洗練さた技術の必要の無い、荒々しい一撃の為のもの。


 怪物は哀れにも自身の攻撃が通用していない事にも気付かず暴れ、エスの次の一撃で自身が殺されるなどと思ってもいない。


 「死ね」


 ぶぉん。空気を割って刀が振られた。

 赤黒い気を纏った禍つ斬撃。


 ただ一振り、渾身の力で振られたそれは、怪物を容易く切り裂いていく。


 「KIRRRRRRIIIIIkkkk!!!!」


 絶叫。自身が裂かれていく感覚に怪物が狂い出す。だが、どれだけ叫ぼうと、どれだけ暴れようともうそれから逃れる術は無い。


 「黙れええぇぇッ!!」


 エスが叫ぶ。


 ──あと一押し。


 だん、とエスは前へと踏み込む。刃が怪物の肉へ更に深く入り込むと同時にエスは刀を振り抜いた。


 鮮血が舞う。怪物は胴体から真っ二つにされ、力を失った血液の身体が崩壊する。空洞には夥しい量の血溜まりが形成されていき、エスは怪物の死体の側で、ただ、立ち尽くしていた。


 握った刀は魔狩りヴェナンディ形態から通常の赤布の刀へと戻り、瞳に宿った赤い光も消え失せている。

 ……エスはその場で意識を失ってしまっていたのであった。


 「お前なら、或いは……」


 雨村がエスに肩を回し、彼の身体を静寂に包まれるマギア・ラボラトリへと歩いて行った。

 

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