第10話 新たな二人。恩寵を破りし者達。

anomaly/13 


 ウィーン郊外、クロイツ城。

 今もなお現存する中世の城は、管理する者が居なくなって久しい。城内も薄暗く湿気った空気が充満し、壁や床は苔生している。


 かつては純白と赤で彩られた堅城であれ、今や攻める者も守る者もいなくなり、ただ灰色の空の下雨と埃で削られ朽ちるのを待つのみ。防衛の要であった過去も雨水と共に流れて消えた。

 クロイツ城は今や遺跡と呼ばれるに相応しい容貌へと変容している。


 ……そのクロイツ城が今日は静寂さを潜め。久方ぶりの来客を歓迎していた。


 城の中庭では何かの弾ける音、壁を震わす奇声、幾つもの破砕音が永らく眠っていた城を賑わしていた。


 中庭では体長六メートル程の黒い犬の様な怪物と煤けたマントで半身を隠した黒髪の男が対峙している。


 怪物は黒い肢体に横長の六つの赤い眼を光らせ、首の付け根まで裂けた大口から瘴気を漏らしている。怪物はマントの男を大きな赤い眼で視界に捉え、じきに自らの腹に収まる事となる男の肉に唾液が溢れた。


 男は武器の類を持っている様にも、身を守る手段すら無いように見えるが、自身と怪物との体格差に怯みもせず、怪物を見据えたままその真正面に立っている。竦んで動けない訳では無い。男は長く伸びた前髪の隙間からは風と共に鋭い目つきが見え隠れし、男は確かに眼の前の怪物と渡り合うつもりでいる。


 怪物の喉が鳴る。両者の間に挟まれた空気は重く、どちらもまだ踏み込めずに互いを見据えるのみ。

 そこへ、撫でる様な風が一つ吹いた。

 真空状態が崩れ、男と怪物の目線がぶつかった瞬間──両者は戦闘を開始する。


 黒い犬は一瞬身体にノイズの様なブレを生じさせる。男はその様子から目を逸らさず、瞬きすらもしないで犬へと走り出す。男と怪物との距離は十三メートル、間に障害物は無く、湿った土の地面と辛うじて残る敷石のみである。

 姿のブレる黒犬へと迫る男。男と怪物の距離が五メートル近付く。残り八メートル。


 男が更に一歩踏み込んだ時、男の視界から怪物の姿が羽音に似た音と共に消える──


 そして、男は頭上が急に暗くなった事に気付く。

 男の眼前には肉肉しい赤い穴が広がっていた。赤く脈打ち、奥からは腐臭がしている。


 男は瞬時にそれが犬の口腔内である事を理解すると、地面を蹴って横へと飛び退く、次の瞬間には轟音が鳴り、遅れてがちんという音が中庭に響くと地面の土が捲り上がり、その波はすぐに男の元へ到達し、男の身体を宙へと高く弾き飛ばした。

 

 男の身体は仰け反って宙を舞う、その肢体には力が通っていない、男は今の一撃で意識が刈り取られていた。

 その意識の無い獲物に対し黒犬は再び身体にブレを生じさせると、瞬間移動で男の真上に現れ、その胴体に噛み付こうとする。


 黒犬は口の先からゆっくりとその全体を開き醜く大口を開ける。首の付け根までが裂けてしまった様な口の中には、無数の黄ばんだ鋭い牙が並ぶ。黒犬は確実に男を捉えると、一瞬でその大口を閉じる──


 再び轟音が響く、閉じた口の周りから周囲の空気が震える。そして遅れて、がちんという音が鳴った。

 男の姿は見えなくなった。


 黒犬は四つの脚で湿った土の上に着地すると、すぐに六つの目を別々に動かし、臨戦態勢に入る。黒犬もまた怪物であり、怪物の中でも上位の存在である事の証である。


 黒犬は他の怪物とは違う『感覚』で異常な気配を感じ取り、まだ自身の周りで何かが起きている事を理解する。しかし、その全ての把握には至らなかった。


 「飼い主のいない猟犬か……お前の噂もこれで終いだ」


 弾き飛ばされ意識を失っていたはずだった男の声。


 声は黒犬の背後、真後ろからだった。

 黒犬は瞬時に距離を取ろうとしたが、脚がまるで動こうとしない。理解し難い状況に対し黒犬は激しく吼えた。黒犬の四つの脚の先には縦長の双角錐が四つの脚それぞれに突き刺さり、黒犬の動きを抑圧している。それらは万華鏡の様に光を反射させる事で周囲の景色に溶け込んでいた。


 黒犬は先程までの瞬間移動は使えず、完全にその場に磔にされている。男は黒犬の眼前に回り込み、懐から一枚の紙切れを取り出すと改めてその姿を観察する。


 「黒い体毛、赤い眼、もたげた頭、裂けた様な口……確かに情報通りだ」


 手元の紙には幾つかの特徴が記されており、男はその情報と目の前の怪物を照らし合わせ、目の前の怪物が自身の追っているものとの一致を確信する。


 「GarRRR!!!」


 黒犬が唸り声を上げ、男を威嚇する。男は地鳴りの様な唸り声を至近距離で聞かされても平然として、城内に続く扉の方へと目を向けた。男は視線の先に控えている存在へと合図する。


 朽ちかけた扉のそばには、少女と思わしき人物が立っていた。

 紺色のジャージに黒のショートパンツ、僅かに癖のある栗色のショートヘアが幼さを感じさせているが、背中には身の丈を超える大剣が二振り背負われており異様な雰囲気を漂わせている。


 「師匠ぉー、もう終わっちゃったんですかー?」


 ジャージの少女の放った気の抜けた声が中庭に響くと、男は無言で頷く。すると彼女は駆け足で男の側までやってくると、黒犬をまじまじと見つめた。


 「ふーん、これが〈欠片〉の一匹なんですねー。なんかふつうに生き物にしか見えないですね」


 彼女はただ興味さ故に黒犬を観察し、それを終えると大剣の一つに手を掛ける。


 「じゃあもう良いですよね。

 ──殺っちゃって」


 柄から刃の先端までその全体が真白い両刃の大剣。これと言った装飾も無く、中世の鉄のロングソードを大きくした様なシンプルなデザイン。しかしこの大剣の最も奇妙な所は白い事では無く、その剣には影が無い事である。


 少女は身の丈を超えるそれを片手で軽々と扱うと、黒犬の顔面に刃を向ける。白い刃は汚れの一片すら纏わず。真白いそれは白の中でも空虚な白、即ち『空白』と形容するのが相応しい。少女の手に握られた大剣は、その場所だけ空間が抜け落ちたかの様に見える。


 「GAAAAAAA!!! GGAGAAAA!!!」


 黒犬は刃を向けられた時、恐怖以上に目の前の少女からはマントの男から感じた以上の危険信号が放たれていた。黒犬はこれまでよりも大きく吼え、四肢には限界を超えた力が発揮され出している。その証拠に四つの双角錐が崩壊しかけていた。


 「ハナ、仕留める時は迅速にやれと言った筈だ」

 

 少女は向けた大剣を微塵を動かす事なく刃を向け続けている。それどころか今のこの状況を真顔で傍観している程の冷静さであった。興味を失いかけていた所、男に急かされ漸く少女は怪物に意識を向ける。


 最後の抵抗か、吼え続ける黒犬は怪物から一変、ただの躾のなってない犬に成り下がっていた。


 「あはは! 

 そんなに怯えなくていいのにね」


 少女は屈託の無い、まるで友人と笑い合っているかの様な笑顔を向けると同時に、大剣を頭蓋へと振り下ろした。



 ◇


 

 「師匠、その幻想兵装どんな感じなんですか?」


 少女が師匠と呼ぶ男の手には黒い剣が握られており彼女はその黒い刀身を眺めつつ男に問う。男は黙ってその剣を少女の方に投げやると地面に突き刺さったままの双角錐を一つ拾い上げ、破損具合を確かめていた。


 「これはもうダメだな。構成元素から割れてしまっている、当面はお前頼みになるな」


 ひび割れた双角錐を掌で砕きながら男は黒い剣に執心している少女へと振り返る。少女は男の方には目線もくれず刃を舐める様に眺めたり、下から覗き込む様に持ち上げてみたりなどしながら男の話に耳を傾けていた。


 「ええー!? まぁいいですけどー……

 あんまり弱っちいのは嫌ですよわたしー。

 今回も力の一割も使えませんでしたし、欠片のくせに弱いなんて本体の方も心配になりますよ……わたしは」


 「さっきの犬もそれなりだったさ、奴の噛み付きを見たか? ソニックブームが発生する程の速さで噛み付いていたんだ、無論まともに受ければ即死だった。恐らくだが、それがあの犬の能力だろう、その剣にも似た力が備わってる筈だからな……その剣は一先ず〈猟剣〉とでも名付けるとするか」


 それでも先程の戦いに不満を抱く少女は猟剣をぶんぶんと振り回し、男に文句をぶつけている。


 男は慣れきった様子で少女に対し「贅沢を言うな」と返した後、咳払いを一つする。少女はいつも話が変わる時の癖だと、習慣で判断すると、黙って男の言葉を待ち正座の姿勢になる。


 「ハナ、お前が俺の弟子になって何年になる?」


 少女は何を今更と、疑問に感じたが少女は男の問いに対し馬鹿正直に答えた。


 「十五年です!」


 背筋を伸ばし腕を真っ直ぐに伸ばして朗らかに答えた。その答えに男は眉間を押さえ、溜息を吐くと頭を振って次の言葉を続ける。


 「お前今いくつだ?」


 再度少女は何を今更となったが、これもまた馬鹿正直に答える。


 「三十歳です!」


 「ああ、そうだ」


 男が間髪入れずに三十歳の少女に同意する。


 「お前もう三十歳だろ、そのジャージにショートパンツ姿どうにかならないのか?」


 少女は言われて頬を膨らませて不服を申し立てる。


 「これは師匠と出会った時の姿なんですよ!? 

 私にとっては宝物であり、戦闘服です!

 運命兵装なんですよ!?

 それをどうにかならないかって……

 酷過ぎます!」


 その様子を白けた様子で眺める男をよそに弟子は瞳を潤めて男を見つめた。男は十五年前から容姿の変わらない弟子の姿を見た後、自分の年齢を省みる。


 「運命兵装なんぞ知らん。

 お前は容姿が変わらないからいいだろうがな、俺はもう四十後半に差し掛かろうとしてるんだ。若いままのお前を見てると嫌になるんだよ、自分だけが年食っていくのが」


 少女のままの弟子と老いた自分を比較して男は嘆いたが、「そんな事はありませんよ!」と弟子が男に駆け寄った。


 「出会った頃の師匠も格好良かったですけど……歳をとってシブいダンディさが備わった今の師匠の方がとってもわたし好みですっ!」


 そう言って満面の笑みで両腕を広げた彼女の横を男はさっさと通り過ぎて、地面に投げ捨てられたままの猟剣を拾い上げた。


 「どうでも良いフォローどうもありがとさん。

 まぁ、お前は成長しないからいつまで経っても俺の好みにはならない訳だがな。

 ……さて、仕事だ仕事」


 両腕を広げたまま硬直している弟子を無視して猟剣を背負うと、城の中庭を抜ける扉へと向かう。男が口にした通り彼らは酔狂で人も寄り付かぬ辺境に来たわけではない。無論仕事の内容に『怪物狩り』は含まれているのではある、しかし彼らの目的は怪物を狩ったその後、そこに残される〈幻想兵装〉の回収こそが真の目的であった。


 その一つを達成した今、二人は次なる回収対象を探し出すところから始めなければならない。

 彼らの目的は〈欠片〉の回収──十五年前に起きた第三次十字戦争の尻拭いである。

 〈Code:Royal《コード・ロイヤル》〉を発端とした大規模戦闘。当時、八大位格と呼ばれた異能者達は自分達を指揮する存在がいなくなった後も、こうして世界各地でロイヤルに纏わる存在を狩り殺して旅していた。


 そして、全ての発端は〈深淵〉へと連なっているのである。

 

 十五年前当時、ロイヤル達と直接戦ったのは〈八大位格〉のみである。


 彼らは〈魂の殻〉即ち幻想兵装を扱い、幾多の怪物を屠って来た最強の八人。

 それぞれがそれぞれを表した殻で戦う精神異常者である。八大とまで評される歪な精神構造。故に強大な力を持っている。一つは〈喜び〉二つ目は〈信頼〉三つ目は〈恐れ〉四つ目は〈驚き〉五つ目は〈悲しみ〉六つ目は〈嫌悪〉七つ目は〈怒り〉八つ目は〈期待〉極めて異常な存在の位格達はみな『感情に特化した人間』である。


 特に魂の殻と呼ばれる技術が誕生してからというもの、『精神の異常』は強大な武器に変換できる様になった。時に〈異能〉として発現し、時に〈幻想兵装〉として発現する。

感情によって覚醒されるモノだが、個人の持つ感情には限界がある。しかしてそれを超越したのが〈八大位格〉という者達である。


 彼らは人に制御出来る存在ではないが、彼らは一様に同じ感情を一つ抱いている、それが彼らを人の境界に繋ぎ止め、怪物を狩らせていた。

 

 そうした人間ならざる人間、即ち超越者達が集結した戦いがある。彼らが先陣を切った戦闘。今は存在しない東京という土地から始まった。


 ◇


 新宿崩壊事件後、東京復興と同時に設立された組織〈東京府公安委員会〉。通称〈アドヴァーサル〉は仮装敵として魔術師、異能者、そしていずれ来る別世界の存在を予期し、それに対抗する為の組織であった。


 創設者達は〈深淵〉の発生と共に生まれた怪物を討伐する為のエキスパートとして人工的な〈異能〉を創り出そうとする。同時に僅かに確認され始めていた〈幻想兵装〉への対抗策を求めていた。


 異能は感情によって覚醒され、個人の素質にもよるため、人為的には生み出せない物である。


 その研究はある生物の残骸から始まった。残骸が体内に宿した特殊な寄生生物の力は、この世界には無い物であり、彼らはそれを〈精霊〉と名付け、精霊は彼らに個人の感情に頼らない、新たなヒューマンリソースとしての異能の創造を齎した。


 誕生した異能者の力は凄まじく、単体が改竄者と同等の力を持つまでに至った。研究開始から僅か一年で大きな力を持った異能者達は人格の乖離が始まり、身体に異常を来し、その後、人間とは別種の存在へと生まれ変わったのである。


 彼らは人間を端末と呼び、自ら達を統率者であると名乗り、人類への攻撃を開始した。



 二年に渡る戦闘の末、欧州大陸の壊滅的被害と引き換えに人類側の勝利となった。


 ハナと呼ばれる少女とその師匠である男もこの戦いの最中にいた。男は深淵後の日本で、魔術魔法連盟に在籍していた八大位格であり、与えられた称号は〈恐れ無き恐れ《フィアレス・フィア》〉その代名詞と共に男は断罪者紛いの悪人狩りを個人で行なっていく内にその名は裏の業界でも広まった。


 今尚息づく伝説として、恐れ無き恐れこと、〈雨村宗十あめむらそうじ〉は弟子の〈月村破無つきむらはな〉と共に世界各地を転々としている。



 「師匠、次はどこですか?」

 

 嬉々とした表情でハナは雨村へと迫る。雨村はその彼女を見て、彼女が余程早く次の獲物と戦いたがっている事を察する。


 「少しは落ち着いてくれ。こっちは身体のあちこちにガタが来てるんだ。それに旅費だって無限じゃない……見ろ、この財布の中身を」


 そう言って彼は黒革の財布を取り出して開いて見せた。その中身はくしゃくしゃになった日本札が一枚、もじゃもじゃ頭が覗き込む者に対して悲しげな瞳を向けているだけだった。


 「あー……そう言えば日本出る前に使い果たしちゃったんでしたっけ」


 ハナは眉を下げ、心底困った様子かつ知らなかったという体で財布から目を逸らした。


 「お前のせいだよ」


 雨村にばっさりと言い放たれハナは「はうっ!!」と胸を抑えて悶絶しその場に崩れ落ちた。雨村は財布を仕舞うと、近くにあった瓦礫の上に腰を下ろすと煙草を取り出した。


 「どうするかな……」


 林檎の匂いのする煙を吐き出しながら彼は灰色の空を見上げた。


 「(灰色の夜だったか。討伐戦には参加しなかったが、とんでもない報酬だったと聞いたな……怪物一体で、数百万から数千万か。俺とハナであれば、確実に稼げる仕事ではあるな。そうだ、それにしよう)」


 雨村はひとしきり考えると、煙草の火を消してハナに呼びかけた。


 「次の目的地はロンドンだ。

 なに、そう遠くはない。お前のエーテルでひとっ飛びの距離だ。次の仕事はこれまでとは毛色の違う怪物どもだ、お前にとっても最高な仕事になるだろう。さっさと行くぞ」


 「了解!」


 元気の良い返事と同時に、二人の姿は緑色の光の粒を残して消え去った。

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