受験生のための近代日本文学史

タナカノッサ

受験生のための近代日本文学史(初級編)

明治維新が起こったといっても、作家から江戸の気風(戯作根性)が消えるはずがなく――


明治時代の文学


・写実主義

 坪内逍遥は翻訳の経験から『小説神髄』という評論を書き、勧善懲悪や政治を語ることを戒め、人間心理や写実に力を入れることを説きました。彼の評論を下敷きにして自身で書いた小説が『当世書生気質』で、この二冊は多くのひとに影響を与えました。(日露戦争勝利の立役者、秋山真之も愛読していたようです)

 彼の意見に納得が行かなかったのが二葉亭四迷。実際坪内の当世書生気質はすげえ江戸臭かったですからね。有言不実行じゃん、と。批判のため『浮雲』を書きました。


 尾崎紅葉は山田美妙と「硯友社」という同人活動を始めます。彼らは「我楽多文庫」という近代日本初の文芸誌に持ち込んだ作品を掲載しました。尾崎紅葉の代表作は『金色夜叉』。

 彼らと同時代の作家に幸田露伴がいます。彼は紅葉と同じ文語体の作家で、『風流仏』『五重塔』といった作品を書き、紅葉と露伴で紅露時代と称される一時代を築きました。


・ロマン主義

近代化と切り離せないのがロマン主義です。近代化と同時に「こうすべき」と圧殺されていた、個人の感情や、自我というものが発見され、それを高らかに歌い上げるのが流行ったわけです。数十年前にはまだ、仕事も生き方も結婚相手も決められなかったわけで、決めていい!ってなったら浮かれますよね。ロマン主義の先駆けと言われているのが森鴎外の『舞姫』です。感情のままに「やらかす」のって人間っぽいですよね。キリスト教の影響を受けた北村透谷は、恋愛至上主義を打ち出したり、内面世界の幸せを重視したりと、極めて現代的な考えを打ち出しました。キリスト教とロマン主義って相性いいんですよね。彼は早々に自殺しましたが、『蓬莱曲』『内部生命論』などを残しました。『たけくらべ』や『にごりえ』を書いた樋口一葉もロマン主義に分類されます。ロマン主義の機関誌といえば「文学界」ですが、透谷も一葉も参加していました。さらっとキリスト教とロマン主義は相性が良いなんて話をしましたが、『武蔵野』の国木田独歩も、『不如帰』の徳富蘆花もキリスト教徒で、始まりはロマン主義ですね。泉鏡花はミッションスクール中退なせいかキリスト教的いいにくい。彼は紅葉の弟子ですし、硯友社系の「文芸倶楽部」に書いていました。代表作は『高野聖』や『夢燈籠』。ロマン主義短歌の機関誌は「明星」で、立ち上げた与謝野鉄幹と、その妻与謝野晶子が有名。与謝野晶子は『みだれ髪』で、女性(人間)賛歌を、『君死にたまふことなかれ』で軍国主義を批判しました。(ここで歌われている末に生まれし君は、無傷で帰ってきて、実家の羊羹屋を継ぎました)


・自然主義

 西洋自然主義とは、登場人物や出来事の必然性を演出するため、いろんな描写に力を入れるというスタンスでしたが、西洋作家が言わんとしていたことはイマイチ日本人作家には伝わっていなかったらしく「ああ、ありのままを書けばいいんだ」と、空前絶後の暴露大会が始まりました。ドンマイ。島崎藤村が暴露大会のトップバッター。『破戒』は同郷の被差別部落出身の教師をネタにしたので暴露力は低いですが、日本自然主義の先駆け。藤村も参加した「文学界」の友人関係をネタにした『春』(そう、藤村って初めはロマン主義だったんですよ。『若菜集』はロマン主義的詩集)、姪との近親相姦を暴露した『新生』などなど、悪行は尽きない。田山花袋の『蒲団』で、日本自然主義は完全に方向性が決まってしまった。ほかに自然主義文学の大家と呼ばれた徳田秋声の『新所帯』『あらくれ』、正宗白鳥の『何処へ』、自然主義詩人として評価の高い石川啄木『一握の砂』『悲しき玩具』、若山牧水『別離』あたりを覚えておけばいいでしょう。


・高踏派(余裕派)

 自分の生活を切り取ったエッセイ漫画を描く漫画家は高確率で精神を病むらしいんですが、日本流の自然主義文学って、まともな感性の持ち主なら、嫌ですよね。

 イギリス留学を経た夏目漱石からしたら、こいつら何やってんだよ……とドン引きだったと思います。イギリス留学といっても、精神を病んで帰国、エリートコースから外れちゃったわけで、漱石の魂には、あぶれ者の嫉みや、今に安住する(自然主義が流行っているとそれが良いものだと疑わない)奴らを皮肉りたい情動が住み着いていたのではないでしょうか。デビュー作の『吾輩は猫である』やら、『草枕』は、もろに斜に構えているし、『こころ』は時代の精神の死を描いているしな。

 鴎外は漱石に刺激され『雁』や『高瀬舟』、『渋江抽斎』などを書きます。ロマン主義の『舞姫』→普通の小説の『雁』→重苦しい歴史文学という流れ。彼も高踏派と称されます。


・明治時代の俳句と短歌

 夏目漱石ともお友達だった正岡子規は、新聞「日本」の記者を病気で辞めたあと、「ホトトギス」という雑誌を作り、俳句を研究して、近代俳句の道筋を作りました。また、和歌の研究もし、彼が作った「根岸短歌会」はのちに「アララギ」という雑誌を作り、その雑誌の関係者はアララギ派と称されました。アララギからは、『野菊の墓』を書いた伊藤左千夫、『土』というただただ暗い話を書いた長塚節などが排出されました。


・ロマン主義の続き

 「明星」廃刊後、「スバル」という雑誌が作られました。森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』や『雁』はこれに掲載されました。『道程』『智恵子抄』の高村光太郎、『邪宗門』『桐の花』『雲母集』の北原白秋もここ出身です。



大正時代の文学


・耽美派のはじまり

 『あめりか物語』『ふらんす物語』などで知られる永井荷風は、西洋象徴詩を翻訳して日本に紹介した上田敏(『海潮音』)を顧問に、慶応大学の文芸雑誌「三田文学」を作りました。初期は芥川龍之介や森鴎外なんかを載っけてブイブイいわせていましたが、谷崎潤一郎の作品を載っけた号が発禁になってから、荷風が大学を辞めて、それ以降は下り坂。休刊を挟んで復活してからの作家を三田派なんていいますが、敢えて覚えずとも……という感じ。三木露風とかがいました。

 谷崎潤一郎は同人誌「新思潮」や「三田文学」で活躍。『刺青』や『痴人の愛』、戦中戦後は『細雪』などの傑作を生み出しました。永井や谷崎は「耽美派」に分類されます。


・白樺派

 学習院系のいいとこのお坊ちゃんが作った文芸雑誌が「白樺」です。第一次世界大戦の時代に「個性を大切に」とか「人間としての道徳を尊ぶべき」」とか言っちゃって馬鹿にされたりもしましたが、余裕がないと正しいことを言えないってのは一つの事実ですよな。

理想郷「新しい村」を作った武者小路実篤は『友情』や『お目出たき人』を書きました。柳宗悦(民藝運動を起こした思想家)の案内で、実篤と引き合わされた志賀直哉は『城の崎にて』『和解』『暗夜行路』などを記しました。とりわけ『城の崎にて』はシンプルな名文として持て囃されましたが……そんないいものかね!?有島武郎は最初キリスト教徒だったんですが、最後自殺しちゃいました。自殺はキリスト教ではご法度なので、棄教しちゃってたんですねえ。『カインの末裔』『或る女』『愛は惜しみなく奪う』が有名です。或る女って、モデルが武郎の周囲の人たちなんで、自然主義っぽいっちゃ自然主義っぽいんですよね。


・新現実主義

 白樺派って現実見てなくね?もっと現実見なきゃダメじゃね?というノリではじまった 文学思想が「新現実主義」です。この思想を支えたのが文芸雑誌「新思潮」に参加した文人たちです(耽美派のときの新思潮とは微妙にノリが違います)。芥川龍之介は古典を通して社会不安や苦悩を描き出しました。『鼻』『地獄変』『藪の中』なんかがそうですかね。後期作品はモロに社会に生きづらさを感じている様子。『河童』とか『或阿呆の一生』とか、『侏儒の言葉』とか、『歯車』とか。あ、『トロッコ』パクリ疑惑とかもあったなあ。

 文藝春秋の創刊者である菊池寛は『父帰る』やら『恩讐の彼方に』やら『真珠夫人』やら書きましたよ。


・大正時代の詩

 明治時代まで日本の詩って、漢詩しかなかったんですよね。そこから西洋詩の翻訳を通して文語詩が浸透、高村光太郎と萩原朔太郎で一応、現代につながる口語自由詩の形が出来たと言われています。

 萩原朔太郎のジャンルは象徴詩です。上田敏の『海潮音』によって紹介されたこのジャンルは、山村暮鳥(『聖三稜玻璃』)や大手拓次(『藍色の蟇』)などの手を経て、朔太郎の『月に吠える』『青猫』で完成します。『月光とピエロ』で知られる堀口大学も象徴主義詩人ですが、彼は翻訳のほうで大成し、その業績は『月花の一群』でまとめられています。

 この時代の流れを無視してぽんと出てきたのが宮沢賢治で、『春と修羅』や『雨ニモマケズ』を発表……というのは正確じゃありませんね、生前に出された詩集は春と修羅のみ(小説は注文の多い料理店のみ)でした。


戦前・戦中の昭和文学


・新感覚派

 第一次世界大戦は今までの人間が信じていたものをひっくり返すような衝撃を西洋の人たちに与えました。そして発生したダダイスム、前衛芸術を、日本の作家も取り入れなければなるまい――ということではじまったのが「新感覚派」です。「文藝時代」という同人誌に集った、横光利一(『蝿』『頭ならびに腹』『機械』)や、ノーベル賞も受賞した川端康成(『伊豆の踊子』『雪国』『眠れる美女』『古都』)らが有名です。


・新心理主義

 新感覚派は満州事変をきっかけに消滅します。国粋主義とは合いませんからね。戦争をきっかけに生まれた思潮が、戦争をきっかけになくなってしまう、悲しいポン。新感覚派の魂を継いだのが新心理主義です。これは、心理学の考え方から人間の存在を解き明かそうとする一派で、まあ、文章読んで「あ、新心理主義」とわかるようなもんでもありません。堀辰雄(『ルウベンスの偽画』『聖家族』『風立ちぬ』『菜穂子』)、チャタレイ事件で話題になる伊藤整(『氾濫』『変容』)がそれに該当するんだなーと覚えておいてくれればいいです。


・プロレタリア文学

 プロレタリア偉い、パン無いとみんな死ぬ、分かる?でおなじみのプロレタリア文学ですが、立ち位置やテーマはともかく、文芸としての評価はされないのが現実です。悲しいポン。プロレタリア文学の機関誌は「戦旗」で、小林多喜二の『蟹工船』も、徳永直の『太陽のない街』も戦旗に連載されました。

・戦前戦中の詩

 は、正直細かすぎるのでいいんじゃないかなーと思います。プロレタリア詩とかさあ、敢えて読む必要があるのかな?という感じ。個々人の興味関心に任せたい。ここは中原中也の『山羊の歌』『在りし日の歌』を覚えておけばいいのではないか。彼はダダイスムに分類されます。


・仲間はずれ

 いつの時代にも仲間はずれはいるもので、この時期、なぜか今更私小説を書いて評価されていた人がいました。梶井基次郎です。ジャンルはまさに「新興芸術派・傍流」。『檸檬』や『城のある町にて』『櫻の樹の下には』(死体が埋まっているというやつ)で、神経質で寂しさマシマシの作品を作りました。彼のことを病弱王子系イケメンだと勘違いした女性が多かったとか。実際はゴリリン坊やみたいなのにねえ。


戦後文学


・無頼派(新戯作派)

 「無頼派」って書くと、誰にも頼らない!我が道を行く!みたいなイメージを持ちがちですが、実際は、第二次大戦後の混乱期に「今まで良いと思われていた道徳が戦争を引き起こしたのでは?」「今まで偉いとされていた人たちが戦争を引き起こしたのでは?」と、かつての道徳や権威を批判することが創作の根っこにあった人たちです。

 坂口安吾は、デビュー作自体は1931年の『風博士』ですが、認められたのは戦後の『堕落論』『白痴』『桜の森の満開の下』などです。他にも、犯人当てに懸賞金をかけた『不連続殺人事件』等、既成概念に囚われない活動を続けました。

 太宰治も無頼派に分類されます。『富嶽百景』や『走れメロス』『津軽』なんかは戦中に書かれたんですが、滅びに向かってゆく人々の美しさ・マルキシズムを味付けにつかった『斜陽』をもってそう呼ばれるわけ。他にはもちろん『人間失格』とか。芥川賞が獲りたくて、川端康成に直談判したこともあったねえ。


・民主主義文学

 プロレタリア文学の流れで出てきたのが「民主主義文学」。でもこれ、自称なんだよね……。中野重治(『歌のわかれ』『甲乙丙丁』)や、宮本百合子がこれにあたります。(『貧しき人々の群』『伸子』など、ただ、これらの評価された文学はプロレタリア文学ではない。プロレタリア作品はべつに読まなくても良いやつです)


・第一次戦後作家

 これは単に活躍時期でくくっただけなので覚える必要もないんですが、彼らのジャンルが錯綜しているので便宜的に使います。極限下の食人事件を扱った、武田泰淳の『ひかりごけ』。ドイツ哲学とマルキシズム、ドストエフスキーの一番面倒くさいところを抽出した、日本初の形而上学的小説『死靈』を書いた埴谷雄高などを抑えておくとよかろうもん。あとは『復興期の精神』を書いた花田清輝かな。アニメ脚本家の花田十輝のじいちゃん。


・第二次戦後作家

 この時期の作家は「作家は作家だけやってちゃダメ。ちゃんと社会問題に対して責任ある態度を取らなきゃ」という、いかにも西洋的な作家像を大切にしていました。

 三島由紀夫なんかはもろにそうでしょう。『仮面の告白』で颯爽とデビューした彼は、『潮騒』『金閣寺』と創作を続けるうちに愛国主義に傾き、「楯の会」を結成。市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をしました。

 安部公房は『壁‐S・カルマ氏の犯罪』『砂の女』『箱男』などで有名ですね。彼はもともとは「人民文学」という共産系の雑誌に参加していましたが、一気に社会主義革命を果たそうとする夢を捨て、ちょっとずつ革命を成し遂げていこうとする共産党に反対し、クビになりました。


・第三の新人

 第一次、第二次戦後派とあっての「第三の新人」です。よく言われているのが、第一次・二次の作家が長編志向だったのに対し、第三の新人は私小説・短編志向だったこと。

 カトリック教徒である遠藤周作は「三田文学」で認められ(慶応出身だからね)、留学経験後『海と毒薬』『沈黙』『深い川』などの、キリスト教文学が評価されました。

 やたらとモテて、週刊誌の対談コーナーで皆さんに好かれた吉行淳之介は『驟雨』『夕暮れまで』等など。

 なんだかうまくいかねえ人生を描いた(第三の新人はこういうのばっかだ)安岡章太郎は『悪い仲間』『海辺の光景』で知られました。



 これ以降はまとまった~主義、とか、文学グループとかはあまりないので、有名な人を適宜調べるといいでしょう。

小林秀雄とか、村上龍とか、村上春樹とか。


小林秀雄『本居宣長』

村上龍『限りなく透明に近いブルー』

村上春樹『風の歌を聴け』『羊をめぐる冒険』『ノルウェイの森』アメリカ文学の影響。

井上ひさし『吉里吉里人』

よしもとばなな『キッチン』『TSUGUMI』

池澤夏樹『スティル・ライフ』

高橋源一郎『優雅で感傷的な日本野球』

石原慎太郎『太陽の季節』などなど……。

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