短編集

松村生活

殺し屋の女×情報屋の女

「おい、ここは病院じゃねぇぞ」

頑強な鎧戸の下半分を開けた状態でマンワイは言った。

外は大雨だ。訪問者の黒く見えるワークブーツも、その上のズボンもびしょ濡れだった。夜の闇に紛れる服装とは反対に白い腕から鮮血が滴っていた。

「そうだな、入れてくれ」

馴染みの者でなければ聞き取りにくい程の低い濁った声で訪問者は言った。

こいつは昔から話が通じない。マンワイは背中のグロックに手をかけた。

「平気だ。まいてる」

マンワイの警戒を悟った訪問者は傷付いていない方の腕でハエを払うようなジェスチャーをした。顔は見えないが、きっと笑っている。

「大雨だ」笑っている。

マンワイは渋々鎧戸を上げた。


「報告は済んでんのか」

マンワイは鎧戸の戸締りをしてから、車庫の奥に続く狭い階段を上る。

「いや、これは私用だな」

「私用?ったく、そこらのチンピラじゃあるまいし・・・・・・おい!上がってくるな!カーペット汚れるだろ!風呂場行け。ブルーバードの奥」

「ブルーバード?」

「車、の後ろ」

「車庫に風呂があんのか?あんたの家変わってんな」

「お前程じゃねぇよ」

訪問者は車の後ろをすり抜けて、とてもきれいとは言い難いユニットバスに入っていった。

「何故来た」

マンワイはジュラルミンケースの救急箱を下げて階下へ戻ってきた。

シャワーの音がする。聞こえていないようだ。

「おい!なんで来たんだ!?」マンワイは声を張り上げた。

「あんたのセーフハウスは一番近かったから!」

「チッ、知られるんじゃなかったな。ま、ここ一つじゃねぇが。たまたま今日この時間に私が居てラッキーだったと思え!」

「そうだな。居ない事の方が多かった」

彼女がシャワーカーテンを引いて出て来た。彼女はマンワイの前では何も隠さない。彼女のコードネームはシンという。本当の名も知っているが、本人に伝えた事は無い。マンワイが勝手に調べた事だ。

彼女の腕の傷にガーゼを当て丁寧に包帯を巻く。

「お前なら、こんくらいの傷で人の世話になどならないだろ、本来」

マンワイは大きくため息を吐いた。

「ちゃんと断ったはずなんだがなあ・・・・・・なあ、シン?」

シンはマンワイの目を見て笑う。この口角の片側だけを上げる妙に子供っぽい笑い方がマンワイは気に入らなかった。腹が立つ。

「今日明日非番なんだよ。珍しいだろ」

「情報屋に非番なんてあるのか?」

「あるんだよ。分かったらさっさと帰れ」

「大雨だ」

「知るか、車貸すから帰れ。迷惑だ」

「服が乾いてない」

「服も貸す。帰れ、帰れ帰れ」

シンはとても清潔とはいえないユニットバスの床にごろっと倒れた。

「今日は疲れた。ここで寝る」シンは眠そうな猫のように目を閉じた。

「はぁ?・・・・・・ったく」

マンワイは再度大きくため息を吐いた。次の8月で37になるはずのこの大きな子供の扱い方が未だに分からない。

マンワイは殆ど白髪になった長髪を後ろに払った。

「上あがれ。そこで寝られたら私便所行けねぇだろ。ソファ使え」

「悪いな」

シンはまた例のムカつく笑い方で謝った。


シンは小さな強化ガラスの窓から差し込む朝日で目覚めた。

マンワイは自家製の視覚デバイスを付けたまま大きなパソコンらしき機械の前でひたすらキーを打っていた。

「・・・・・・非番なのに、徹夜?」

「起きたか。即席麺ならそこの洗い場の下にある。食うなら勝手に食え」

マンワイは振り返る事もせず、質問にも答えなかった。非番じゃないのかよと、シンは小さく毒づく。

シンは決して衛生的とはいえないキッチンから、いつの時代のものか分からない電気ケトルを探し出し、湯を沸かす。

「なあ、あんた昨日は飯食ったの?朝御飯は?」

マンワイは相変わらずキーを叩きながら黙っている。全く耳に入っていないようだ。カチッと湯の沸いた合図をよこした電気ケトルを持ち上げながらシンは呟いた。

「なあ、あんたさぁ」

突然くらりと目の前が真っ暗になった。気付いたら湯と即席麺で汚れたカーペットに横たわっていた。頭が痛い。

「おいおいおい、何やってんだよ、おめぇは」視覚デバイスを額に上げたマンワイが大股で近付いてくるのが見えた。

「あー、もうほんとなんなんだよ、頭打っただろ、湯被らなかったか?」

マンワイがシンの上半身をゆっくり引き摺り上げる。背中にマンワイの胸が当たり「こいつ胸あったんだな」と全然関係無い煩悩が脳内を巡っているシンの額にマンワイは手を当てた。

「熱あんのかよ・・・・・・傷化膿してんじゃねぇのか?馬鹿が。ここ病院じゃねぇんだって」

「悪い、カーペットが、すまん」

「・・・・・・・・・・・・そうだよ、カーペットどうしてくれるんだよ、ったく。くそ、高いんだからな、これ。おい、肉屋行くぞ」

「闇医者は嫌いだ。寝てれば治る」

「うちで寝るな。私はこれから出かけんだよ」

「何処に?いつ戻る?」

「留守番しようとすんな!お前も出てけっつってんだよ!」

動揺している時のマンワイは若干声が高くなる。最近気が付いた癖だ。

今は殆ど白髪になった髪をサイドで一つにまとめているが、シンは昨日みたいに髪を下ろしているマンワイの方が好きだなとまた関係の無い煩悩で頭に一杯になっていた。あ、そうだ、カーペット。

「悪い、なんか、雑巾とかある?」

バラバラになった即席麺をちまちまと拾い集め出した病人に呆れながら、マンワイは自分より身長の高いシンを苦労して抱き起こし、傷付いていない方の腕を自分の肩に回した。

「後で私が片付ける!いいからお前は車に乗れ!何処かで落としてやる!」

「悪いな」

「ったく、悪い悪いってそればっかだな」

「悪い」シンはぼんやりした頭でやっぱりマンワイが好きだと思った。


「エンジンかかるまでちょっと待ってろよ」

「随分古い車だな」

「ま、色々カスタムしてるがな。良いだろ。ちゃんと走るぞ」

マンワイは古いものに最新式のデバイスを色々積み込むのが好きらしい。外から見たらただのヴィンテージの車だが、中はダッシュボードのあたり等に何やらごてごてとパソコンらしき機械まで搭載されている。果たしてエアバッグはちゃんと作動するんだろうか。

「まあ、近頃ちょっと調子が悪くてな・・・・・・」

マンワイが顔を曇らせる。

「・・・・・・お前も前はそんなんじゃなかっただろ」

「そうだな」

「何で」

「理由は既に言った」

シンはエンジンキーをいじり続ける彼女の手が骨ばっていて美しいと思った。マンワイはまた大きくため息を吐いてシンの方を見上げる。

「で、私は、諦めてくれ、と言ったはずだな?」

「そうだな。そろそろ、そうしたいところだ」シンは歯を見せて笑った。

マンワイは彼女の子供っぽいところが苦手だった。何故、殺し屋がこんなに子供のように無邪気に笑うのだろう。昨日は一体誰を殺してきたのだろう。

「もう来ない」

エンジンが大きな音を立てて動き出したたので、マンワイには彼女の低い声が聞こえなかった。

「かかったかかった。肉屋?職場?」

「家」

「家、家ね・・・・・・ってお前んち何処だよ」

シンは既に目をつぶって眠り出していた。

「ったく、甘えやがって」

マンワイはグローブボックスから視覚デバイスを取り出して、自家製の検索システムを立ち上げた。


「おら!着いたぞ!」マンワイは手の甲でシンの頰を叩いた。

「ったく、ぐーぐー寝てんじゃねーよ、こっちは徹夜明けだってのに」

「私用で、だろ?」

シンは猫のように手を前に突き出して伸びをした。

「私のセーフハウス、よく分かったな」

「次はもっと分かりにくいとこに住めよ。私が見つけられないくらいの」

「密林に住めって言うのか?」シンがまたあの笑い方をする。

繊細なブルーバードのドアを乱暴に開けて出て行くシンを思わず咎めたくなったが、立ち上がった彼女が日常的な仕草で自分のジャケットの下のコルトパイソンを確かめたので、マンワイは何も言えなかった。

「悪いな。迷惑かけた」

急に真顔になったシンが背を向けて去っていくのを見て、どうにも声をかけずにいられなくなったマンワイは背中に向かって叫んだ。

「そういう無駄な怪我は今後一切しない事だな!お前の価値は精密さにあると私は思うんだが!?」

「ああ、次はない」彼女は振り向かない。

「だが、もう来るなとは言わない!いつでも来いとも言わないが」

彼女は立ち止まって空を見上げ、勢いよく振り返ってチンピラのように背を曲げながら車の前までのしのし戻ってきた。運転席側の窓に回り込む。

「私を諦めさせたいのかそうじゃないのかどっちなんだ」

「妥協案だ、妥協案!」

マンワイは疲れた目を両手でおさえながら吐き捨てるように言う。

「若くもないが、無視出来る程老いてもいないんだよ」

「はーん、御老体なんだから手加減しろって事か?」

「まさしくそういう事だ」

シンが笑いながら窓枠に手を乗せる。

おい、体重をかけるな。繊細なんだぞ、この車は。

「成程ね。分かった」

「ほんとか?」

「ああ」彼女がまた笑う。熱があるのに、顔が白くて心配だ。

汚い仕事はお互い様だ。きっと彼女に殺される未来もあるだろう。だが、今はただこの子供のように笑うギリギリ36の女をどうしても追い払えないのだ。ああ、何でこんな面倒臭い奴に目を付けられてしまったんだろう。

「おら、分かったならさっさと行け。私もお前も暇じゃない」

「ありがとう」

彼女がマンワイの右手を素早く握ってすぐに放した。その素早さが怖ろしかったが、もう遅い。彼女を受け入れてしまった。

銃を脇に携帯している者特有の偏った歩き方で去っていく彼女の後ろ姿を眺めながらマンワイは既に後悔していた。

長くハンドルに突っ伏した後、握られた右手をじっと見つめた。

「ま、帰ってまず掃除だな・・・・・・」

口に出した途端、シンとの交際の事より自宅のカーペットの状態の方が気になってきた。

所詮、彼女らは似た者同士だった。

きっと短く共に生きた後、二人仲良く殺される運命なんだろう。

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