【お題】自由落下

落ち落ちて


 私は今落ちていた。天高く見えるあの《楽園》の果てから。



 宙に投げ出された私の身は何かの力に従って《楽園》から引き剥がされる。そしてまた別の力が私を引っ張るような感触がある。そのため、私は今自分は確かに「落ちている」と認識できるのだ。

 どこへ落ちて行くのだろうか、とんとわからない。ただ、落ちることは「落下」とも言うので、私は今下へ下へと落ちているのだろう。

 しかし、下とは一体何処をさしているのか。今はまだ視線の先にすっかり小さくなった《楽園》の木が見えるので、そこが今私から見た上であり、下は私の背中の方である……。

 ふむ、不思議だ。《楽園》に過ごしていた少し前までの私にとって、上は果てし無い空であり、下は《楽園》の大地であった。しかし、今 《楽園》の大地ははるか上空にある。すなわち、私の認識のなかで上下の概念がクルリと半回転、いや一回転? とにかく何度か回った結果、常識が変わってしまっているのだ。

 ではここでまた私がクルリと体を捻ってみたらどうなるだろう。上と認識していた《楽園》に下に向いていた背中を向けるとどうなるか。上はどちらで下はどちらか。

 自分を引っ張る力が腹にかかる。はたまた《楽園》から引き剥がす力が背中にかかる。なるほど、私の身の上下を変えても空間の上下は変わらないのか。私は今、身体の上を空間の下に向けている。つまり身体の下は上を向いているわけだ。

 まてよ、身体の上下はどう決めているのか?一般的には腹を横に切って胸から上の方を上半身 、腰から下を下半身と言う。今の私はどうだった?身体を縦に切って背骨より前を上、それより後ろを下と捉えてはいなかったか?一体どこから見たらそのような上下と認識するのか。

 相当高いところから落ちている私の身体は未だ下に到着しない。四方八方、何処をみても雄大な青空の中だ。空が上であるなら、私の下に見えるこの青空はなんだ?私の身は上にあって上にない。なんとも不可思議だ。


 身体に感じる引き剥がす力と引っ張る力が次第に強くなってきている。相変わらず周りは青空だ。最早自分が今向いている方向が上なのか下なのか判然としなかった。ただ、白雲が、たまに私の左右をすさまじい速度で通りすぎていく。落ちているのは自分だから、白雲は上にあることになるのだろう。



 一体人は、何を基準にしているのだろうか。常識は果たして正しいことなのか。もしかしたら、自分達は騙されていて、その常識に縛られているだけなのではなかろうか?

 《楽園》は悩みや苦しみのない安楽の場である。裏を返せばそれさえも、ただの常識として広くまかり通っているだけだ。私は果たして《楽園》で安楽を得ていたのか。よくよく考えたら、私は《楽園》の外を知らない。知らないのに、そこを安楽の場と信じて疑わなかった。全てが常識に縛られた世界から飛び出し、上下もわからない今この時がひょっとしたら一番 《自由》なのではないだろうか。

 私は今自分の身体が上を向いているのか、下を向いているのかわからない。わからないから、《自由》なのだ。どんなことも自分で決められるのだから。

 

 自由な落下、なかなかに面白いではないか。





 はてさて、何やら考えることも疲れてきた。この身体は一向に下に着かないため、そろそろ自分が落ちているのかも怪しくなってきた。相変わらず四方八方は青空、私はその中に身を投げ出して上と思われる方向に身体を向けてただひたすらに落ちる。



 自由なことはいいが、自由すぎることも考えものだな。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る