学園生活の始まり −3−

 授業じゅぎょうが始まって二時限じげん目にして、ディーノは今までに味わったことのない疲労感ひろうかんを味わっていた。

 一時限目の算術さんじゅつは特に大きな問題もなく、二度ほど指されたがそつなく回答することができた。

 どこまで複雑ふくざつになろうとも、公式をあてはめてかいみちびき出せば、誰もが納得なっとくする明確めいかくな答えが出てくる。

 その時は、こんなものかと思っていた自分をじたい気分だった。


「ここまでが一学期のおさらいですね。ロンドゴミア帝国の繁栄はんえいから衰退すいたい、そして暗黒時代あんこくじだい到来とうらいから、五つの都市国家の成り立ちまででした」

 今行われているのは歴史の授業だ。

王国歴前おうこくれきぜん一四五年。ヴィーネジア共和国、フェーリオ二世の時代に行われた幻獣討伐げんじゅうとうばつ作戦は、歴史上初めて魔術士まじゅつしふくめて編成へんせいされた兵団を組織し、その武力をアピールすることで治安ちあんの安定をはかることがねらいでしたが、これは失敗に終わりました。その理由を説明できる方はいますか?」


 休憩きゅうけい時間をはさんだものの、同じ席に座りっぱなし、初老しょろうの歴史教師が話す言葉が眠りの魔術を発動させる何かに思えてくる。

 そして、もう一つの原因が隣に座る金髪の女子。

『わからないことがありましたら、なんでも聞いて下さいね』

 一時限目の始まりにそう言われたが、先ほど名前を知ったばかりの相手にあけっぴろげになんでも聞けるかと言われればあまり気乗きのりはしない。

「はい! 当時の魔術はまだ技術的に未熟みじゅくで動員数が少なかったことと、前年の飢饉ききんによる食料問題への対処で国の予算を割かれ、十分な金額を軍備ぐんびに回せなかったからです」

「その通りです。さすがはアウローラさんですね」


 アウローラは真面目まじめに授業を聞き、板書を書き写すのに羽ペンを走らせ、教師の質問にハキハキと答えればクラス中が注目する。

 なにげない所作しょさ一つ一つに気品きひんが感じられ、住む世界が違うとはこういうことを指して言うものだと思わされた。

 優等生だからではなく、本当に学ぶことが好きだからこそできるような回答を発言する彼女は楽しそうだ。


(何が楽しいんだ……)

 アウローラとは対照的たいしょうてきに、ディーノの表情はかんばしくない。

 生まれてもいないほどの昔に、誰が何をしていようとも、今生きている自分たちに何の関係がある?

 結局、王族だの貴族だのが死んだ後まで自分たちの権威けんいを知らしめたい、ただの自慢話じまんばなし延々えんえんと読み聞かせられても、バカらしい気分になるだけだった。


 終業しゅうぎょうかねがなる頃には、下手な魔獣まじゅう住処すみかから生還せいかんした時のような疲労感が肩にのしかかる気分から解放されたことに安堵あんどを覚えるくらいだ。

「歴史はお嫌いですか?」

 そんな様子を気遣きづかってか、アウローラが話しかけてきた。

「術の一つも練習した方がマシだ」

 ディーノには、これが自分を高めることにつながるとは到底とうてい思えない。

 ただ無為むいに時間を過ごしているようで、苛立いらだってくる。


「お前こそ、どうしてそこまで楽しいんだ?」

「わたしたちの住んでいるこの国が、どんなできごとをり立っているのかを知るのはとても有意義ゆういぎなことだと思ってますよ」

 綺麗事きれいごとだ。

 ディーノは彼女の言葉に対し、そう思わずにはいられなかった。

「教科書にってる奴らがやった事がそんなにありがたいか? この国が出来るまでに何があった? 所詮しょせん差別さべつ暴力ぼうりょくころし合いとうばい合いのくり返しだ。教科書に載らないその他大勢おおぜいしかばねみ上げてふんぞり返った事を、偉業いぎょう功績こうせきだとごまかして賛美さんびしてるだけだろ」

 教科書をざっと見れば、何ページかに一度は戦争が書かれ、そしていくつもの国家が生まれてはほろびをくり返している。

 永遠に存在そんざいし続ける国などありはしないし、平和であり続けることもない。


「そんな言い方!」

 アウローラは思わず声を荒げていた。

 教室中の視線が、二人に向いているのに気付いた時はもう遅い。

「す、すみません皆さん!」

 クラスメイトたちが、信じられないと言わんばかりの表情を向けられて、アウローラは慌てて立ち上がり、周囲に頭を下げた。

 座り直したアウローラが、すような、それでいて少し悲しげな目でディーノを見る。

 次の授業が始まるまで、教室のどよめきがおさまることはなかった。


「二学期では応用に入る前に、一学期のおさらいから始めていきましょう。基本の六つのマナからです」

 三限目の授業は《マナ学》という科目で、教師はアンジェラだった。

 魔術を扱うためには、この世界にちているエネルギー《マナ》を用いる。

 世界に存在するあらゆる物質ぶっしつ、生物はマナを宿しており、マナが自然界に起こす現象を人為的に引き起こす方法、それが魔術。

 大きく分けて『地』『水』『火』『風』『光』『闇』の六つで相性あいしょうが存在し、『光』と『闇』はたがいに相反あいはんし、『火』は『水』で消されてしまい、『水』は『土』によってせき止められ、『土』は『風』でボロボロの砂となり果て、『風』は『火』を燃え広がらせる。

 しかし、中には複数ふくすうのマナによってできる物質や発生する現象げんしょうも存在し、ディーノとヴォルゴーレの力である《雷》もその一つだ。


 一見いっけん希少きしょうなマナを使えることは大きな利点りてんに見えるが、それは同時に大別たいべつされたマナよりも使いこなす術を見つけにくく、相性の良し悪しがわかりにくい欠点をあわせ持つ。

 そのためにも、マナに対する理解は必要不可欠ひつようふかけつというものだった。


 歴史と違って、自分自身の進退しんたい直結ちょっけつしている科目となれば、ディーノも当然真面目に聞いていた。

「この世界で、現在までに認知にんちされている強いマナを持つ存在は三つあります。それじゃあ、ディーノ君に聞いてみますか」

 考え事をしているのが目に入ったのか、アンジェラは自分を指名してきた。


「……《魔獣》と《幻獣》まではわかる。三つ目が分からない」

 ディーノはわかる範囲内の答えを口にする。

「意外ね……。でも、ちょうど良いおさらいになるか」

 アンジェラは少し怪訝な顔をしたが、説明を始めた。

「強いマナを持つ魔獣と、その上位種じょういしゅとされる幻獣は、その身にマナが凝縮ぎょうしゅくされた結晶……いわゆる《宝石》を宿しているのは、一般の人にも知られていることね。私たち人間でいう心臓しんぞうが、彼らにとってはマナとなるわけ。そしてもう一つ、私たちが持つ《アルマ》に使われている《製霊せいれい》ね」

 アンジェラの説明に対して、ディーノは要領を得なかった。


「話の腰を折ってすまないが、質問がある」

「他に何かわからないことがあるのかな? なんでも言ってみて。授業の基本はわからないことをわかるようにすることなんだから」

 挙手したディーノに、アンジェラは笑顔で発言を促した。

「アルマってなんだ? 製霊と言うのも初めて聞いた」

『えぇっ!?』

 真顔で聞いたディーノに、クラス全員が驚きの声をあげた。

「おいおい、聞いたか今の?」

「見かけによらず冗談じょうだんが上手いなぁ!」

「ヴィオレ先生の弟子が、アルマも製霊も知らない……?」

 ある者は笑いながら声をあげ、ある者は疑問ぎもんの目を向ける中で、アンジェラだけは一瞬だったが表情を失っていた。

「はいみんな、そこまで。どんなに偉大いだいな魔術士でも人間なんだから、万能じゃないわよ?」

 アンジェラは、シャツの胸ポケットから一枚のカードを取り出した。


「出でよ、我がアルマ!」

 彼女の発声でカードは光を発しながら、一本の杖に変化した。

 長さは一メートル前後、銀色の金属で作られた煌びやかなもので、先端には緑色の宝石がはめ込まれている。

「これが私のアルマよ。魔術を使うために必要な道具の一つ。そして、生徒のみんなが使うアルマに用いられている宝石は製霊のものなの。製霊は、魔術士がマナから作り上げた《人工の魔獣》と言ったところだけど、まだ納得いかない?」

 実演じつえんを含めて説明を受けても、ディーノの表情は変わらなかった。

「どうして、そんな回りくどい真似をしなきゃならない? 宝石は体に埋め込むんじゃないのか?」

 その発言で、今度はクラスメイトたちが一斉に疑問を抱く番だった。

 逆にアンジェラは、合点がいったという風だ。

「ヴィオレ先生に教わればそうなるのかもね。けど、誰もがあの人やディーノ君のようになれるわけでもないのよ? その回りくどいマネは、魔術士に危険が及ばないために必要なものだと、これから知ってほしいわ」

 終業の鐘が近づいたのを見計みはからい、アンジェラはそう言って今日の授業を締めくくった。


 三時限目が終わってからの休憩時間になると、クラスの面々は一斉に席を立って筆記用具をまとめて教室から次々と出て行った。

 隣のアウローラも例外ではない。

「何をしている?」

「次の授業は別の教室で受けるんです。ついてきてください」

 先ほどの一件で、自分のことなど見限ってしまうだろうとディーノは思っていたし、どうと言うことはなかった。

 しかし、口調くちょうからしてアウローラは表向きの態度を変えることもない。

 まして担任であるアンジェラの目が近くにあるかもしれない今、露骨ろこつ険悪けんあくな態度をとっては評判ひょうばんを大きく落とすことにつながる。

 おそらく、外からの評価ひょうかが下がることを懸念けねんしているからだと結論けつろん付けた。


 言われるがまま、彼女について行き、到着とうちゃくした教室は何をすべき場所なのかは一目で想像がついた。

 並べられた机の列は同じだが、その前の空間は教卓の代わりにピアノが鎮座し、黒板には五線譜ごせんふがあらかじめ書かれた特別製とくべつせいのものだ。

 四時限目の授業は音楽ということだ。

 歌や楽器が戦うために役立つと思えないのだから、ディーノはあんじょうやる気など持てるはずもない。

「このクラスは新しい子が入ったのでしたね。それなら今月の課題は歌にしましょうか」

 音楽教師は、ディーノの編入に合わせて単元たんげんを決めたようだが、当の本人はさして興味をかれていないことに気づいたのであろうか……。

「それじゃあ、五十二ページの『月夜に踊る妖精』あたりがいいかな。二十年くらい前の流行り歌カンツォーネです」


 クラス全員がページを開いている間に、音楽教師はピアノで演奏えんそうを始めた。

 曲調はおだやかで極端きょくたん起伏きふくもなく、そうじて歌いやすい部類ぶるいに入る曲なのだろう。

 夜とあるだけに静けさを思わせる調べから、曲が進んでいくと楽しげにくるくると音が増えていく。

 そして、再び静かな曲調に戻るが、明るい音で連想れんそうさせるのは朝だろうか。

「みんなが生まれる前の曲なんだけど、誰か歌えそうな人はいる?」

 教師が問いかけると、一人だけ静かに手を挙げる。


「私、やってみたいです。いいですか?」

「さ、さすがは委員長ね……。まぁほどほどに頑張って」

 立ち上がるアウローラを見て、心なしか教師の表情は若干じゃっかん引きつっていた。

 しかし、率先そっせんして参加の意義いぎを見せる生徒を、無下むげに扱うわけにもいかないのだろう、教師は再び同じ曲を演奏し始めた。

 アウローラが、教科書を見ながらリズムを刻み始めると、周りのクラスメイトたちはみんな、何かにおびえるように身構みがまえ始めた。

 数秒後、ディーノはその意味を知ることになる。

『満月の見下ろす森の中♪ 優しい光に連れられて♪』

 音楽室にり立った天使、そう形容するにふさわしい、天窓てんまどからそそぐ昼下がりの光に照らされるアウローラ。

 教会で流れる賛美歌さんびかのような空気の中で響く彼女の歌声は……音楽室を恐怖に染め上げた。

 ピアノの伴奏ばんそうから大きく外れた音程おんていは、旋律せんりつ崩壊ほうかいさせ不協和音ふきょうわおんを生み出す。

 うたがいのない自信にあふれ、よく通る声は決して小さくなることはない。

 おとぎ話の人魚のように、この歌声は船さえもしずめることができるだろう。

 船乗りも周りの生き物たちも、き入れれば耳が死ぬという意味で……。

 歌が終わるまでの数分間が、ディーノを含むクラスメイトたちにとっては数十分にも数時間にも感じる悪夢であった。


『これはひどい。人魚も顔負けだ』

 ディーノの頭の中で、他に聞く者のいない感想が飛び出した。

 アウローラの歌声は、ヴォルゴーレをも戦慄させる脅威であったようだ。

「よ、よくできました。では、次の授業から練習を始めていきましょうね……」

 耳をふさぐこともかなわず、ただひたすらピアノの伴奏を続けた教師の精神力に、この時ばかりは無関心なディーノも一種の敬意けいいひょうさざるをえなかった。

 クラスの様子を気にとめる事もなく、アウローラは上機嫌じょうきげんで席に座り直した。

 ディーノにとって初めての授業は、山あり谷ありで進んでいくのだった。

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