5章・2節

 透はその日は学校に登校した。

 気が重かったが、巻き込まれた土門達の様子と、女生徒の容態が気になったからだ。

 学校では休みの事を少しだけ詰られたり心配されたりしたが、あまり深く突っ込んで聞いてくる生徒はいなかったので、透は内心胸を撫で下ろしていた。ただ、目の前の今泉は何か言いたげな目であったが、透はそれとなく話を逸らす事で受け流してしまった。

 昼休みになると透は適当に言い訳をして逃げるように教室を出た。

 向かった先は理科準備室。透が扉に手をかけると、扉は抵抗もなく横にスライドした。

 中に入ると、本を読んでいる土門がいた。中央の黒机に、次の授業で必要なプリント等が置かれている。

 中に入ってきた透に気付くと、土門は本を閉じた。ふと、本を閉じた時に表紙とタイトルが見えた。それは透も知っている小説で、時間旅行ものの小説だった。

「よ。珍しいな、俺に用なんて」

「土門君。結構平常運転だね」

「まあな。正直今でも夢みたいだと思ってるけど、それで説明出来ない事があるから、ま、現実に起きた事なんだよな」

 そう言って、土門は背伸びをする。

「良かった。正直、土門君が休んだらどうしようって不安だったから」

「悩んだっちゃあ悩んだけど、これが自分でも驚くくらい平静なんだ。だからもし俺の事心配してんなら、それは無駄だぜ」

「うん。そうみたいだね。でも、あの時土門君と一緒にいた女の子はどうかな?」

「あの子も特に問題ない。今朝いつも通り登校してたし、話したら、怖かったけど貴重な経験になったって言ってた。無茶苦茶怯えてたのにな」

「タフだね。そっか。良かった」

 場合によっては記憶を封印する催眠術をかけないといけないと透は考えていたが、それは杞憂だと理解した。自分の事について知られてしまったかもしれないが、どうせ誰かに信じられる様な内容ではないし、第一、簡単に記憶に封をするのは何となく嫌だった。

「話ってのはそれだけか?」

「いや」

「……里中さんの事か」

「うん」

 土門に里中の事を任せてから、その後の事を聞けずじまいであった。不安だったが、病院に押しかけるわけにも行かず、昨日から透は悶々としていた。

 関係のないいさかいに巻き込まれた生徒。辛うじて平穏だった筈の日常を、決定的な形で侵された。

「そんなら安心しろ、滋丘。命に別状はないそうだ」

「そう、なの?」

「ああ。まだ数日は安静だけどな」

 ほっと透は胸を撫で下ろす。

「丁度いいから、こっちもお前に聞いとこうと思う」

「……何を」

「あのさ、何か、力になれる事はないか?」

「え」

 覚悟はしていたが、少し予想外の方向からの問いだった。

「お前が特殊な生業してるのは分かったよ。勝手で悪いが、滋丘って家の事も調べさせてもらった。滋丘、お前はその筋じゃ由緒ある家の人間なんだってな」

 滋丘はこくりと頷く。どうせ隠した所でいつかばれるのだ。

「でも、人並み外れた運動神経や精神力を持ってるってわけでもないんだろ。それならさ、人手とか多い方がいいんじゃないか」

「どうして、そんなに構うの?」

「どうしてって、見ていられないからだよ」

「見ていられない?」

「無理してるだろ、お前。一人で色々抱え込んでそうでさ。実際、色々抱え込んでるし」

「でも土門君は」

「もうとっくに巻き込まれてる。お前は、まだ俺に関係ないって言い張るつもりか」

「そう、だね。うん、土門君ももう立派な関係者になってる。でも、やっぱり駄目」

 透は言った。土門は何を言うでもなく、透の次の言葉を待っているようだった。

「話せる事は話すよ。巻き込まれたのにお前は知らなくていいなんて事は言わない。でも」

 透は言葉に詰まる。自分の事を心配してくれる人に、そんな言葉をかけられる程、透は非情にはなり切れなかった。

 土門は場の雰囲気を和ませるかの様に笑う。

「そんな構えなくていいって。はっきり言ってくれ」

 その言葉に、透は静かに頷いた。中途半端な思いやりなど、彼は期待していない。

「土門君。ありがとう。じゃあ、はっきり言います」


 貴方では、足手まといです。


 一瞬、その場がしんとした。

 それから間もなくして、土門は笑みを浮かべる。

「土門君?」

「いや、はっきり言ってくれてありがと。もしかしたら何かで力になれるかなって少しは期待してた。けど、勝手なお節介かけて迷惑になるだけならいいや」

「迷惑だなんて……」

「それより飯はいいのか? 今泉待たせてんだろ?」

「あ、ごめん。それじゃあ」

 透は踵を返し、理科準備室を後にする。

「結局、今回も傍観してるだけか」

 透の足音が聞こえなくなった後、一人準備室に残った土門はぽつりと呟いた。


「透、透さん」

「いたっ」

 放課後も間近の帰りのホームルーム前、額を軽く指で弾かれて透は我に返った。目の前には、怪訝そうな顔をしている今泉がいた。

「どうしたんよ、最近上の空が多いようだけど」

「え。そう、かな」

「そうだよ。話しかけても生返事だったり、そもそも返事すらないこともあったりするし」

「あー、ごめん。ちょっとここんとこ色々バタバタしていて、余裕がなかったから」

「ふーん」

 余裕がないのは事実であった。先日のアーサーとの件といい、学校の一件といい、頭を抱えるようなことが次々に起きていたからだ。体はさして疲れてはいないようなのだが、精神的な疲労が応えているのか、心持ち体まで重く感じてしまう。

 ふと、今泉は「あー」と一人納得したように顔をにやけさせた。

「ひょっとして、これですかい」

 そう言って今泉は小指を立ててみせたが、透は眉をひそめる。

「いや、そんなんじゃないって」

「えー、遠慮しなくていいのに。ほらこっそり言ってご覧なさいな」

 今泉はぐいと顔を近付ける。しかし、透はそれを鬱陶うっとうしそうに引き離そうとする。

「だから、違うんやって。大体、私恋愛とかよく分かんないし」

 これは透の本音だった。何故か女子は思春期を迎えるとそういう話を嬉々として話したがるようだが、彼女にはその感覚が今いち理解出来なかった。透も恋愛漫画は読んだことがあるので、恋愛をした時に起こる人間の心理状態を知識としては知っていた。しかし一目惚れだの何だのといったもの、そんな情動が起きた覚えはこれまで彼女にはなかった。

 漫画は日常的な出来事に軸を置いているものでも、所詮はファンタジーなのだ。大体、揃いも揃って美男美女だったりするのはどういう了見なのだろう。それに、何故男女揃いも揃って恋愛に夢中なのか。それは等身大なのか。現実の男子を見てみるといい。誰かが可愛いだのと言う事はあれども、それは極めて雄的な発情の結露から来るものなのだ。透は恋バナというもので肩身の狭い思いをする時、よく心の中でこんな悪態をついていた。

「皆そんなもんだって。大体、恋バナしてる当人達だって、合わせてるだけで一体どれくらいが恋愛を経験してるやら疑わしいもんだし、要するにさ、あれよあれ。ファッションみたいなやつ。楽しいから、もしくは話題が無いからとりあえず場を保たせるためとか。後、恋バナしてる私って年頃の女子っぽいとか、そんな雰囲気でやってる感じ」

「そんなに面白いんかね」

「さあ。ただ言えるのは実際高校で付き合い始める人なんてそんな多くないってこと」

 そんなものだろう、と透は思った。高校生が恋愛するのは普通、だなんてメディアが作り上げたファンタジーでしかない。実際問題、どんなに魅力的な人間を見ても恋愛と呼べる感情が発生しない高校生だってある程度いるだろう。今の自分のように。

「と、そんなことはいい。恋愛じゃないなら何なのさ」

「うーん」

 今泉は透にとって大事な友人ではあったが、だからといって現在抱えている悩みの種を話せる筈もなかった。大体、魔術師だの何だのと言われても答えにきゅうするだろう。自分が同じ立場だったら、愈々いよいよ友人が疲れているのかと思うかもしれないし、下手をすれば気が触れたかとでも疑ってしまうかもしれない、そんな後ろめたい自信が透にはあった。

 やがて、今泉は納得したようにふむ、とわざとらしく声を出す。

「仕方ない。仕方がないから、今度の休日遊びに行こう」

「え」

「だーかーら、遊びに行くのよ」

「え、でも部活は」

「休み。だから至って問題なし。それとも何、予定が入ってるっていうの?」

「入ってるというか、いないというか」

 透には予定は入っていない。しかし、次の戦いと調査に備えてなるべく準備はしておきたかった。たとえ焼け石に水だとしても。

「とにかく行くったら行くの。鬱陶うっとうしい友人で悪かったな。だけど私と出会ってしまったが運の尽きだ。何か反論は?」

「ないけど。ちょっと、家に帰ってから返事していい?」

 今泉は首を傾げる。

「まあよかろう。流石にのっぴきならない事情を無視しろなんてことは言えないからな」

「ごめん。ありがとね、遥」


 今泉と学校で別れてから、透は校門を出た。昼休みの件以後、土門を何度か見たが、こちらを気にしている素振りもなくいつも通りで、放課後に呼び止められる事もなかった。

 透は下校途中、ふと昼休みの事を思い返した。

 多分、土門が自ら首を突っ込む事はないであろうと透は確信していた。そんなに話をするような仲ではないが、彼がそういう男ではない事はこれまで知り得た彼の性格から分かっていたからだ。

「だけど」

 透は自分でも気付かずに呟いていた。土門の明朗な態度が、何か引っかかったからだ。

「いや」

 透は首を振る。もう終わった事だ。それより、これからの事を考えなくては。悠長な事をしていられない。このままじゃ、今度こそ犠牲者が出るかもしれないのだから。

「ただいま」

 透は玄関の扉を開けて言った。

「あれ」

 透は首を傾げる。いつもはイツキが「お帰りなさい」と返してきたのに、今日に限ってそれがなかったからだ。

 まあいいや、と透は学生靴を脱いで居間の方へと赴く。

「お帰りなさい、透」

 居間に入るなり透にかけられた挨拶。しかし、その声の主はイツキではなかった。

 そこにいたのは、透の父親である滋丘満しげおかみつるであった。

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