第9話 ヤクモ=オフィックス
「ははは。驚いたな。俺は化かされたのか?」
ヤクモは額に汗をかき、引きつった笑いを浮かべながら目の前の淑女に問いかけた。
「いいえ。私は貴方たちが見たドラゴンそのもの、この人の姿のほうが変化した姿なのです」
セバスたち四人は、すぐにヤクモのそばに駆け寄った。セバス以外はいまだに受け入れることが出来ず、目の前の淑女を見つめている。
セバスはヤクモの身を案じて彼の身体を見つめているが、特に目立った傷はなく、彼の足元の地面がひどく焼け焦げているのみだ。
セバスはすぐに理解した。一歩でもヤクモが逃げれば、彼はきっと大怪我を負っていた。
目の前の、ドラゴンから姿を変えた淑女は、ヤクモが一歩も動かないと信じて攻撃を仕掛けていたのだ。
目の前の淑女は深々と頭を下げる。
「申し遅れました。私、名をロロンと申します」
「ご丁寧にどうも。私はオフィックス王国の次期国王ヤクモ=オフィックスと申します」
「その執事のセバスと申します」
「ヤクモ王子の同行者のヒルデ=スタージュンと申します」
「ヒルデ様の護衛についている騎士見習いグルドと申します」
「その辺で拾われた山賊のリザベラだ。よろしく」
リザベラの言葉でロロンと名乗った淑女は思わず微笑んでしまった。
「姐さん! ここは礼儀を尽くす場所ですよ」
「つったって私にはあんたらほど大層な名乗りはないんでね」
拗ねた感じで四人からそっぽ向いたリザベラを四人は笑う。
「いえいえ。皆さまとても勇敢な方でした。私がこの姿を見せたことがその証明です」
ロロンは丁寧な口調で五人に語りかける。
「さて、ではお嬢さん。貴方がなぜドラゴンの姿をしていたのか。そしてなぜ、ヤクモさまに直接攻撃を仕掛けなかったのかをお聞かせくださいませんか?」
セバスがロロンに対して膝をつき、最大限の礼儀を示して問いかけた。
残りの四人も興味深くロロンを見つめた。
「えぇ、説明致しましょう。まず、先ほども話しましたが、私はドラゴンであります。この国に仕える守護竜です」
「今は俺達と話をするために人の姿に化けてくれているっていうことですか?」
ヤクモがロロンの言葉にさらに問いかける。
「えぇ、その通りです。私は守護竜として、この祠にあるキャンス王国に代々受け継がれている宝物を守っています」
ロロンが五人の視線を遥か先に見える祠へと誘導する。
「へぇ、あの中に代々の財宝がねぇ……」
「リザベラさん。ダメですよぉ」
リザベラが宝の存在に舌舐めずりをするも、すぐにヒルデに止められる。
リザベラ自身は本気で狙っていたわけではなく、こうして誰かに制止されるのが少し心地よかったが故の冗談であった。
「それで? なぜカルニコス王はそんな貴方と私たちを対峙させるようにしたのでしょうか?」
次は首を捻っていたグルドがロロンに問いかけた。
「キャンス王国の伝統的な星巡りの儀式なのです。他国よりもオフィックスの王位継承を重要視している我が国では、オフィックスの王は幻の怪物にすら怯えぬ強靭な精神を持たねばならぬ。というのが代々キャンス王国の願いだそうです。
元々は、ヘラクロスがこの地にて邪龍となったドラゴンを征伐したことがきっかけだそうですが」
「へぇ、ヘラクロスが。本当なのかねぇ」
「本当ですよ。ヘラクロスは実在していらっしゃいました」
リザベラがヘラヘラとヘラクロスの存在を疑っていると、とても真剣な眼差しでロロンがリザベラを見つめる。リザベラもあまり真剣な眼差しに信じがたく眉を細める。
「ほ、本当にいるのか? ヘラクロスは?」
「えぇ、私はこの眼で見ていますので、ヘラクロスを――」
ロロンは自身の眼を指さす。よく凝視すれば、その目は一瞬だけ爬虫類の眼へと変貌し、横に瞼が閉じられる。
リザベラは彼女が嘘を言っているとは思えず、生唾を飲む。
「あ、あの! ほ、本当にヘラクロスが実在していたのでしたら!」
緊張した様子でヒルデがリザベラとロロンの間に入っていった。
「し、失礼なのですが、ロ、ロロン様は現在、何歳でいらっしゃるのでしょうか?」
申し訳なさそうにロロンと目を合わせないヒルデに対してロロンはきょとんとした表情を浮かべた。
(あぁ……この少女は、ドラゴンである私を見てもまだ『人間の女性』として扱ってくれているのか)
脳裏に浮かんだ言葉に思わず頬が緩む。
「お教えしましょう。私の年齢は八百二十五歳です」
「は、八百二十五!? そ、その間、ずっと一人でこの洞窟に?」
「……えぇ。そうですね。少なくとも八百年はこの洞窟で代々試練に来られる『星巡り』の者たちが来訪されるくらいですね」
「なんか、退屈じゃねぇか? それ」
「……」
「ちょっと姐さん。これは彼女の使命なのですから、そういう問題では」
「いや、だってよ。八百年だぞ? お前八百年一生騎士やれって言われて出来るか?」
「で、できるさ!」
「グルド。今の発言は実際に八百年生きている彼女の前では無礼に当たるぞ」
ヤクモが真剣な表情でグルドを叱責する。グルドも強がりで言った自分の言葉を恥じた。
「申し訳ありません。私の部下が失礼を」
「いいえ。人間には八百年の歳月を想像するのは難しいでしょう。彼のオフィックス王国への忠誠心がわかっただけ良しとします」
「…………」
ヤクモとロロンの会話をヒルデはじっと見つめていた。
「さて、話が逸れてしまいました。私が直接ヤクモさまを攻撃しなかったのは、貴方の精神力を見るためで、貴方を傷つけるつもりはなかったからです。目の前のドラゴンの攻撃に怯えず、どっしりと構えることが出来るものこそ、オフィックスの王にふさわしいと言うことです。そしてヤクモ=オフィックス様。セバス様。グルド様。ヒルデ様。リザベラ様の五人は全員が私に恐れず、王を信じた行動。素晴らしいものでした。これにて『星巡り』の儀式を終了いたします」
ロロンは深々と頭を下げた。ヤクモはピンと張り詰めていた緊張感が抜けて大きなため息を吐いた。
「いやぁ。良かった良かった。正直に言うと、君が攻撃を当ててこないというのは勘でしかなかった。カルニコス王が『守護竜の許しを得れば』と言っていた。討伐ではないので、もしや闘う必要はないのかと。いやはや、勘が当たってよかった」
「あたしが止めなかったらグルドの奴斬りかかろうとしていたけれどな」
「や、やめてくださいよ姐さん。バラさないでください!」
「行っていたら儀式は失敗だったなぁ」
リザベラがニヤニヤ笑いながらグルドをからかった。
その様子を見ながらロロンは自身の腕の皮膚を一瞬ドラゴンの状態に戻し、その鱗を一枚剥がす。
「これを」
ヤクモは恐る恐るその鱗を受け取る。
「鱗は私が自分で引きはがさない限りはなかなか剥がれるものではありません。故に、王にそのドラゴンの皮膚をお見せすれば、貴方がたは私から許しを得た勇者である。と納得していただけるでしょう」
「ありがとう。ロロン。君の攻撃からは優しさを感じた。守護の仕事がないのであれば、共に他の国を巡ってみたいと思ったほどにだ」
「それはとても光栄なお言葉です。ヤクモ王子こそ、この儀式を一日で到達した者は八百年の歴史を見ても一人もいらっしゃいませんでした。きっと貴方は良き王になるでしょう。私もこの洞窟から祝福致します」
「ははは。ドラゴンの祝福があれば我が国は安泰だな」
ヤクモは豪快に笑う。ロロンも口元を軽く隠しながら微笑んだ。
「さて、では。さっそくこの鱗をカルニコス王の元へと持って行こう」
「えぇ。そういたしましょう」
「なぁ、やっぱりあの祠から一つくらい」
「姐さん。冗談がきついですよ」
ヤクモ一行はロロンに別れを告げて、彼女に背を向けて洞窟を出ようとする。
ロロンにとっては寂しいものがあった。まただ。こうして儀式の挑戦者は自分との儀式を終えるとまた次の場所へと向かってゆく。
ロロンは無意識に表情が沈む。
その時だった。ヒルデがヤクモに何か説明した後、ロロンの元へと戻っていった。
「あの、ロロンさん」
ロロンは驚いた。少女が自分にわざわざ話しかけるようなことなどあるのかと考えた。
「八百年の歳月は想像できないですが、自身の役割を背負う気持ちは少しわかります。私は貴族の娘ですので、それで……その……」
ヒルデは次の言葉を言おうか迷った。いらぬお世話である。ロロンにそのような悩みはないかもしれない。その場合は失礼かもしれない。しかし、自分が言いたくなってしまったのだ。伝えたくなってしまったのだ。
ヒルデは一度鼻で深呼吸をした後に言葉を出す。
「なんでしょうか?」
ロロンはたどたどしいヒルデと目線を合わせて言葉を待つ。彼女の顏は少し紅潮している。
「ろ、ロロンさんはその、ここから出たいって思ったことはありますか?」
ヒルデの言葉にロロンは思わず沈黙してしまう。
まったく考えたことがないわけでもない。しかし、あの日、自ら名乗りを上げた日からそのような夢を持つことは諦めた。今や、その感情に襲われたことはない。
「あ、貴方はとても聡明な方です。所作でわかります。もし、これから先、祠の宝を守ること以上に、貴方にこの洞窟を出たい理由が出来た時は、難しいとは思いますが、その感情を大事にしてください。本当にいらないお世話だと思いますが」
突然の言葉にロロンは戸惑った。遥か昔。自分がまだ人間の頃のような話題で思わず失笑してしまった。
ヒルデは余計なことを口走ってしまったかと狼狽した。
「ありがとうございます。八百年もここで一人の私を心配してくださっているのですね。その優しさに感謝いたします。そうですね。もし、私に外に出たくなるようなことがありましたら、その時は貴方の言葉を思い出すことにします。貴方にも、家を出てでもこの旅に同行したかった理由がおありで?」
ロロンはからかうように笑う。ヒルデは少し頬を紅潮させる。ロロンはヒルデの感情を察すると、その甘酸っぱい感情に思わず頬が緩む。
「もしかして、あの小さな騎士さまでしょうか?」
ロロンはカマをかけてみると、ヒルデはさらに頬を紅潮させた。
「そ、そのようなわけでは。た、確かにグルドはとても優しい騎士ですが」
「今日は貴方のその初々しい頬の染まりで十分満たされました。大きくなったら是非またお会いしましょう」
ロロンは少女に小指を出して微笑んだ。
懐かしい。昔妹のように可愛がっていた少女とこのように指を結んで約束をしたものだった。
「えぇ! えぇ! その時には私は貴方のようなきれいな淑女になって見せます!」
ヒルデは満面の笑みでロロンと指を結んだ。
そしてロロンに対して深々と頭を下げて、ヤクモたちを追うように洞窟の出口に向かって走ってゆく。
ロロンはそんなヒルデの背中を見つめながら、まだ自分がただの町娘であった過去を思い出して物悲しい気持ちになった。
ヒルデの姿も見えなくなったのを確認すると、ロロンはドラゴンの姿へと戻り、身体の力を抜き、その場で目を閉じる。
いつか、来るのであろうか。自分がこの国から、この使命から逃げだしたくなる時が。
否。自分がこの席を下りれば、自分がドラゴンであることをやめれば、また誰かがこの孤独を背負う。それだけは決してあってはならない。
ヒルデがこの洞窟にまた訪れてくれるのはいつになるだろう。十年。二十年。また長い年月ドラゴンである自分と対話する者が現れるのを待つしかなかった。
そしてロロンは眠りについた。
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