第3話 クラメルの花

 コブラたちは疲弊していた。ヤマトへの罪悪感が働いた彼らは日が昇ったと同時に目を覚まし、そこから休憩もなく太陽が真上を向くまで、そして自分たちの腹が何度も鳴るまで歩みを続ける。


「うぅ……。そろそろ休まねえか。だいぶ近づいただろ」


 ヘロヘロになったコブラが提案する。その頃にはもうキヨもアステリオスもくたくたであった。


「そ、そうだね。もう少ししたら水辺に出るはずだから」


 コブラたちは少し歩いて水辺を探す。ようやく見つけた水辺にコブラは流れるように衣類を脱ぎ捨てて飛び込んだ。


「ちょっとコブラ!」


 コブラの真っ裸が視界に入りそうになったキヨは手で目を伏せて怒鳴る。


「あぁー、気持ちいい」


「じゃあ、僕は少し調理の準備と、少し木の実でも探してくるよ」


「あたしは器材の準備でもしておこうかな」


 キヨはそういうとアステリオスの包みから調理用の道具を取り出して、木の板を固い棒と紐で何度も擦り、火をつける用意をした。


 アステリオスは湖でくつろぐコブラと、火の用意をしてくれているキヨを見てから、森の方へと入ってゆく。


 辺りを見ると、一つ大きな山が見える。それにこの辺りは道が整備されている。コブラの言う通り、キャンス王国までもう少しなことが理解出来た。ここで食事を終えた後に、向かえば日が沈むころにはついているだろうと思った。


「さて、なんか食うことが出来るものはあるかなぁ」


 森を歩く中で、食べることができるキノコや木の実を拾ってゆく。


 しばらく歩いてゆくと、遠くに平野が見える。そこの場所だけ木々がないのだ。アステリオスは気になってその方向に歩いていった。近づくのとても甘い香りがした。


 花の匂いだ。恐らくこの先の平野には花が咲き誇っている場所がある。いい蜜がとれるかもしれないと、アステリオスは木々の間を抜け、広い平野に出る。


 その時だった。アステリオスは一人の女性と目が合う。花の甘い香りと、目の前で座り込んでいる青みがかった緑の瞳をした淡い木の葉のような髪色の女性であった。


 女性は驚いた様子ですぐに顔をそむける。アステリオスは先ほどの目の色が忘れられなかった。


「あ、あの!」


「は、はい!」


 アステリオスは思わず目の前の女性に声をかけてしまった。女性も声をかけられて驚いたようにビクりと肩を震わせる。


「な、なんでしょうか」


 アステリオスも聞き返されると困ってしまった。なぜか声をかけてしまった。なんてタウラス民国にいたクロノスのような浮ついた言葉を言うことはできない。


「あっ、えっと。わ、私はキャンス王国を目指しているんですが、もしかしてキャンス王国の方でしょうか」


「…………。キャンス王国ならば、ここから少し歩いたところですが」


「本当ですか!? よかった」


 アステリオスは良かったと言いながらも次の言葉を探した。


「こ、ここの花はなんでしょうか」


 アステリオスの言葉を聞いて、目の前の女性の頬が少し緩んだ。


「えぇ、クラメルの花畑です。匂いが好きなので、よくここでゆったりとしています」


「そうですね。とてもいい香りだと僕も思います」


「あの、よろしければこちらにきませんか?」


 女性は座りながら微笑み、アステリオスに語りかける。アステリオスは少し恥ずかしくなりながらも、彼女の元へと歩みを進める。


 近づけば近づくほどクラメルの香りが花を通る。これが鼻に空気を一気に通すような心地のよい香りである。


「ふふっ。この鼻の香り、結構刺激的なので、嫌いな方が多いのに」


「そうなのですか?」


 アステリオスは驚きながらも、目の前の女性に敬意を示すように言葉遣いを丁寧にする。


 近くで見るとより彼女の青みがかった緑の瞳の美しさが際立った。


「あの、そのようにまっすぐ見つめられると」


「す、すみません」


 アステリオスは彼女を見つめることをやめ、彼女と目線を合わせるために花畑に座る。


「この花畑の真ん中で座ってられる人って意外と貴重なんですよ?」


 目の前の女性はクスクスと微笑む。その笑みもまたアステリオスの目を奪った。


 女性はアステリオスが持っている木の実やキノコが目に映る。


「食材調達……旅の方ですか?」


「えぇ、近くの湖で仲間と食事をとろうかと」


「どの食材も調理次第ではとても美味しいですよ。よく慣れぬ土地で、よくこれらを選べますね」


「えぇ、食べ物については色々と試しているので」


 アステリオスは普段となれない言葉遣いの自分に少々むず痒くなってきた。


「このクラメルの花も蜜を吸うととっても爽やかな気分になって眠気なんか吹き飛んでしまうのですよ。先ほど申した通り、刺激的なので毛嫌いする方が多いのですが」


「先ほども言いましたが、僕はとても心地が良いです」


 一度大きく鼻で息を吸う。すぅーっと空気が入ってくるのが確かに刺激的だが、これがとても落ち着く。アステリオスは安堵の溜息を吐く。


「それに眠気覚ましになるなら、一人寝起きの悪いのがいるのでちょうどいいかもしれませんね」


 アステリオスはコブラのことを考えた。彼は寝相が悪く何度かアステリオスのことを蹴っている。起きてからもうだうだと身体をくねらせるだけの時間が長く、いつもキヨに蹴り飛ばしてもらっている。これを使えば一発で目が覚めるだろう


「あぁ、けれど。あまり引き抜きすぎるのも良くないし、ここで満喫します」


「良いのですか? よろしければこちらにある蜜瓶を分けますが」


「いいのですか?」


「えぇ、この匂いが好きな人に出会えたのはとても嬉しいので」


 そういうと彼女はアステリオスに瓶を渡して立ち上がる。アステリオスは思わず見上げた。自分が座っていることもあるが、目の前の女性はとても身長が高かった。


 アステリオスが立ち上がっても彼女の胸部か腹部ほどまでしかないのではないかと思った。彼女はヤマトよりも背が高かった


「きれいだな」


 アステリオスは思わず声が漏れた。それを目の前の女性は聞きのがさなかった。


 驚いたように目を丸くしている彼女に、アステリオスは自身が思っていたことを声に出していることに気付き、彼もまた目を丸くして動揺する。


 二人して二秒ほど沈黙が走り、先に耐えきれずに笑ったのは女性の方だった。


「ありがとうございます。私背も高いので、あまりそういうことを言われないので」


「い、いえいえ。ぼ、僕の国ではむしろみんな大きいので女性も背が高い方の方が美しいとされていますよ」


「あら、そうなのですか? 私もそちらの国に行くことが出来たら良いのですが」


「ぜ、是非来てください!」


「そうですねぇ、外に出ることが出来れば、お邪魔してみたいですね」


「確かに女性一人で行くには遠いですね」


「貴方は一人ではないのですか?」


「は、はい! 実は向こうに一緒に旅をしている者が二人ほど」


「なるほど、その持っている食材たちは彼らと食べるための者ですね」


 女性がにこやかに微笑むと、その表情をアステリオスは呆然と見つめるも、キヨやコブラが待っていることを思い出した。


 彼らが自分を探してこの女性と出会うのはなぜか避けたかった。


 アステリオスは初めての感情に戸惑いを見せる。


「では、貴方のご友人も待っていると思いますので、この辺で私も帰ろうかと思います」


「あ、あの僕アステリオスと言います。貴方の名前はなんですか?」


 アステリオスは背を向ける彼女に食い下がるように声をかける。


「ロロン。と申します。また会えるといいですね。アステリオス君」


 その瞬間、突風が吹き荒れる。アステリオスは風を防ぐために顔を腕で覆う。


 風が止み、目を開くと、もうそこにロロンの姿はなかった。


「……きれいな人だったなぁ」


 アステリオスは何かに化かされたのではないかと疑う。自分の手に持っているクラメルの蜜が入った瓶をぐっと握りしめる。


 不思議な感覚であった。刺激的な香りに包まれ、胸は何かわからないもので


満ち足りていた。


 自分でもなぜあそこまでロロンに話しかけたのかわからなかった。


 自分でもなぜあそこまで取り繕った態度を取ってしまったのかわからなかった。


 自分でもなぜあの時間をコブラやキヨに邪魔されたくないと感じたのかわからなかった。


「あっ、戻らないと」


 クラメルの瓶を開けて香りを吸う。この刺激的な匂いがなぜか安心感を与えてくれた。


 アステリオスは集めた食材を持って、クラメルの蜜が入った瓶を懐にしまって、コブラたちの元へと戻っていった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る