第10話 キヨ姫と盗人コブラ

 キヨ姫は心を躍らせていた。本当はもう少し聞いてみたかった。己と同じ姿をした少女について。目の前にドッペルゲンガーの可能性がある人達を見つけたのだ。興奮しないわけがなかった。


 彼女は家でいつもこの国の伝承などを飲み耽った。その中でも好きなのが『ドッペルゲンガー』の御伽噺である。父と母によく聞かされたそのお話が大好きであったのだ。彼女の興奮した足は足早に自分の部屋へと歩みを進める。


 そしてそっと扉を開いて、自分の部屋に入る。兄上に見つからなかった安堵で大きく息を吐く。


「ふぅー」


「おい。」


 聞き覚えのある声にキヨ姫はギョッと気を動転させて狼狽えた。


「ち、違うのですお兄様! す、少し厠へ向かっていた次第で!」


 声の方に向かって必死に弁明をするキヨ姫。しかし、いつもこのように弁明をすると、兄であるコブラ=ジェミニクスにバレて怒られるのを彼女はいつも学習しない。言いきった後、またやってしまったと自身の中で絶望する。


 しかし、彼女が想定した怒鳴り声が響かないことに彼女は驚いた。怒られると思って閉じていた目をそっと開いて目の前の兄を見つめる。


 実にみすぼらしい恰好をしている兄がそこにいた。


「どうやら本当にあの俺はお前の兄貴らしいな」


「えっ、お兄様?……ですよね?」


 戸惑っているキヨ姫に兄にそっくりな男は意地の悪い笑みを浮かべる。


「残念。俺はお前のお兄様じゃねぇよ。いわゆる侵入者だ」


 キヨ姫は理解できなかった。目の前にはみすぼらしい恰好の兄がいるのだ。確かに兄はこのような恰好をしない。しかし、容姿が兄とまったく同じなのだ。


「もしかして……『ドッペルゲンガー』さんでしょうか?」


「ドッペルゲンガー? まぁ、それでいいよ」


 そう言いながら目の前の兄は無造作にベッドに座る。普段の兄であれば言葉は乱暴ではあるが、このような行動は決してしない。となれば


「貴方が、ヤマト=スタージュンの仰っていたお兄様のソックリさんでいらっしゃいますね」


「おっ、ヤマトの奴、俺のこと話したのか。なんていってた」


「愚鈍で傲慢で救いようのない男だと仰っていました」


「……あいつ絶対に殺す」


 コブラは牢屋にいるであろうヤマトのことを思いながら、指の関節をパキパキと鳴らす。


 キヨ姫は思わず笑ってしまう。その癖は、兄、コブラ=ジェミニクスも自分を叱る時に行う仕草なのだ。


「本当にお兄様にそっくりです」


「あんな堅物そうな奴と一緒にすんじゃねぇ。俺は天下の盗人だぞ」


「盗人……ですか。でしたら私の部屋に来たのも何かを盗むためですか?」


 まっすぐとキヨ姫はコブラを見つめる。ここまでまっすぐ見つめられると思っておらず、コブラは困惑した。普通、夜に自分の部屋に会ったことのない者がいれば、もう少し怯えるだろう。それがたとえ兄と瓜二つの男だとしても。


「ったく。そっちこそうちのじゃじゃ馬とソックリってことか」


 コブラはじっと見つめるキヨ姫の目にキヨを見た。


「……ヤマトさんも仰っていた私と瓜二つの少女のことですね」


「ヤマトの奴、そこまで話していたのか。ちなみにキヨのことはなんていっていた。どうせ性格のひん曲がった野郎のことだ。影で悪口を言っているに違いねえ。足癖が悪いだの。我儘だの――」


「活発で、責任感のある良き女性だと仰っていました」


「あの野郎……俺のことだけぼろくそ言いやがって」


 コブラは今、牢で寝ているであろうヤマトに対してさらに殺意を抱く。


 牢で寝ているヤマトはなぜかくしゃみをし、監視していた看守を驚かせた。


「それで、盗むものはなんなのですか? 私は今すぐ叫んで貴方を追い出すこともできるのですよ」


「けどやらねぇ。もしやってしまえば、後がなくなった俺がどんな強行に出るかわからねぇからだろ? お姫様」


 キヨ姫は見透かされたことに顔をこわばらせる。目の前のコブラは、姿や言動こそ、我が兄に比べて粗暴だが、頭の回転においては兄に匹敵すると確信した。


「質問にお答えします。お譲りできるものでしたら大事にせずにそのまま持って行ってかまいませんので」


「随分と余裕で言うねぇ。ならここにある金目のものでも貰っていくのもありかもな。元々はヤマトを助けるつもりだったけど、腹立つし」


「いいでしょう。ならば持ってゆきなさい。それで貴方の生活が潤うのであれば、多少の窃盗。見逃しましょう」


「本当にいいのかよ。じゃあ何持って行こうかな」


 コブラは拍子抜けしたが、その後、すぐに彼女の部屋を漁った。その漁っている間もキヨ姫はじっとコブラを睨みつける。


「貴方、お名前はなんというのですか?」


 キヨはまだ漁っているコブラに対して話しかける。コブラはキヨ姫の方を見ず、物色を続けながら答える。


「コブラって言う。もちろん偽名だ」




「兄上と同じ名前。偽名ということはどういうことですか? 本当の名は?」


「知らねぇ。俺は孤児だったんだ。親の顔も知らねぇ」


「……そこまで兄上と同じ」


「なんだと?」


 キヨ姫の発言に驚いたコブラはキヨ姫の方を振り向いて目を丸くする。


「私の兄。コブラ=ジェミニクスは両親を亡くした孤児でした。たまたま兄を見つけた父と母が私の世話役として養子に取ったのが兄上なのです」


「へぇ、こっちの俺は随分ラッキーな人生歩んでいるんだな」


「貴方は……何をなさっていたのですか?」


 キヨ姫は興味を持ってしまった。目の前の男は兄と同じ容姿をしていながらも、兄とまったく違う生き方をしている者。その者の生き方を知りたくて仕方がなくなったのだ。


「だから、町中から食いもんとか、色々漁ったり、盗んだり、労働して対価として恵んでもらったり、色々だよ」


「この国でですか?」


「いや。違う。この国に来たのはつい先日だ」


「今牢にいるヤマト=スタージュンも同じ時期ですか?」


「あぁ。一緒に入ったからな」


「でしたら、ヤマト様からお聞きした私と瓜二つの少女は」


「そいつも一緒に来た」


「貴方たちの目的はなんなのですか?」


「あぁ? あぁー。ちょっとな。これ、話していいのかな? 星巡りっつう儀式のために各国を巡っている」


「各国……? 国の外に出ているのですか? この時代に? わ、私と瓜二つの少女もまた旅に? あ、兄上と貴方のように。私と瓜二つの少女も、身寄りのない方だったのでしょうか?」


 キヨ姫は必死にコブラに問いかけた。もし、ここでコブラが自分の想定している最悪の答えを提示すれば、自分は耐えることが出来ないからだ。違う。違うのだ。自分と瓜二つの少女なのだから。自分と同じ。あるいは真逆。そうであってほしい。そうでなければ困る。


 もし、自分と同じなのに真逆のことをしていたのならば――それは許し得ないことなのだ。


「いや。両親は死んじまっているが、王族だよ。キヨ=オフィックス。つっても国を追われた元女王様だな」


 キヨ姫の中で何かが砕けた。狼狽えて目が泳ぐ。


「お、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


「あぁ」


「貴方たちは旅に出ているとお聞きしました。山は登ったのでしょうか?」


「あぁ。登った」


「川。というものを見ましたか?」


「あぁ。見たもなにも、しょっちゅうそこで魚を取って食っている」


 コブラの言葉にキヨ姫はさらに動揺する。自分の姿をした少女が、山を登り、川を巡っている。外の世界で伸び伸びと生きている。その光景を想像する。


 自分が、お兄様と一緒に、世界へ旅に出る光景を。とても美しく見えた。そしてそれを、自分と瓜二つの少女が行っている。


「なんだ、どうした?」


 コブラは明らかに動揺しているキヨ姫を心配した。彼女の顏を覗き込もうとした時、彼女のベッドの下から何か物が見えた。それを拾う。


「へっ、やっぱり影法師か」


 コブラはカストルが言っていたことを納得した。彼女のベッドの下に入っていたのは、あの『ヘラクロスの冒険』だったのだ。さらに漁ると、城内にある噴水や、練習している騎士団たちの絵が描かれた画版がいくつか見つかった。キヨとまったく同じである。


「なるほどね」


 コブラは何かを納得し、懐から一枚の小さい画版を取り出す。手癖の悪い彼が、持ち運べそうだなと感じたが故にキヨからくすねた彼女の書いた絵だった。


「ほらよ」


 コブラはその絵をキヨ姫に渡す。


「これは?」


「あんたと瓜二つのキヨからくすねた絵だ。お前も絵を描くなら見たいんじゃないかってな」


 コブラから差し出された絵を受け取り、見つめる。コブラの懐に入るようなものだから手の平より少し大きい紙に書かれた繊細な絵だった。


「タウラス民国で少しだけ手に入れることが出来た紙が嬉しくて描いた絵だな。あいつ、俺がくすねたの気づいたら絶対蹴られるな。ハハッ」


 悪戯っぽく笑うコブラだが、単にいやがらせのためにくすねたのではない。キヨが描いたこの、一緒に旅をしている三人と、川の滝の迫力を描いたこの絵に対して感動を覚えたのである。


 自分が欲しいと思ったものはくすねるのがコブラの心情である。


「すごく、綺麗」


 キヨ姫は思わず声が漏れた。コブラの言っていた言葉を思い出した。ようやく手に入れた紙で丁寧に描かれた絵に嫉妬した。自分の部屋には大量の紙がある。しかし、その絵は全てこの城の中にあるものだけ。このような壮大な絵を書きあげたことはない。自分の描く絵なんかよりも小さい。両手に収まる程度の小さな紙に描かれた絵なのに、自分が贅沢に描いた大きな絵なんかよりもよほど迫力と、愛情が感じられた。キヨ姫が見たことのない滝のすさまじさが伝わってくる。


 キヨ姫は思わず下唇を噛む。悔しい。悔しい。自分と同じ存在が。王族なのに外に出て、自由に絵を描いている。自分の描きたいものを、自分よりも上手に、友にも恵まれている。自分には兄しかいないのに。狡い。狡い。狡い。狡い。狡い。狡い。狡い。羨ましい。羨ましい。羨ましい。羨ましい羨ましい羨ましい。


「いいなぁ」


「ん? どうした」


「……盗人様」


 静かな声でキヨ姫がコブラに話しかける。


「なんだ」


「私を連れ去ってください。そして、貴方の言う――。私と瓜二つの少女。キヨ=オフィックスに会わせてください」


 コブラは突然言い出した彼女の言い分に戸惑ったが、彼女の目が本気であることを理解した。


 コブラはこれから自分がする行動で面白いことになることを予感して思わずにやける。


「いいねぇ。盗人様として、あんたを誘拐してやるよ。気障な騎士団長なんてやっている俺に一泡吹かせるいい機会だ」






 その夜。ジェミニクス王国の女王。キヨ=ジェミニクスが行方不明となり、翌日のジェミニクス王国を激しく震撼させた。


 アステリオスはミノタウロスと『ラビリンス』のアジトで休み、ヤマトは牢の中で眠り、キヨは『影の町』で気を失う中、コブラはキヨ姫を抱えて夜の町の闇の中へと消えていった。

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