第三章 双子迷宮のジェミ共和国

第1話 4人の旅

 力の国、タウラス民国を抜けたコブラ、ヤマト、キヨ、アステリオスの4人が出発した日から既に14日の歳月が立っていた。次の目的地であるジェミ共和国らしき建物が遠くに見える。だが、まだまだかかりそうであった。


 川岸にて上半身裸で素振りをするヤマトを後目に、コブラは麻袋の中身を確認する。いくつか軽食用に確保していた果実、使い勝手がいいからオフィックス国にいた頃から愛用している小ナイフ、飲み物を入れるためのひょうたん、変装用のメガネや帽子や羽織、中身が全部あるのを確認する。空っぽになった麻袋を嗅ぐと、酸っぱい匂いがする


「ほら! コブラ、早くそれを渡して!」


「へいへーい」


 コブラは辟易としながらその麻袋をアステリオスに渡す。アステリオスはそれを乱暴に奪う。


「服も、早く」


 アステリオスの代わりの布を渡されてそれと今着ている服を着替える。着替え終えて、辺りを見渡すと、キヨも変わりの布を被って素振りをしているヤマトの方を見ながら木の板に筆を走らせている。コブラから見えるのは素振りをしているヤマト、絵を描いているキヨ。そして川岸で洗濯をしているアステリオスだった。


 アステリオスがこの旅の仲間に入って数日が経ったが、大きく変わった所は二つ。一つは、次の国への進行が遅れている事だ。ヤマトの憶測では、10日も歩けばジェミ共和国につくだろうと考えていた。


 理由はアステリオスである。彼は衣・食に対して口うるさかった。コブラ、ヤマト、キヨの三人だけの時は三日に一度、キヨが軽く水浴びをしていれば文句はなく、コブラとヤマトはその辺の衛生を気にしなかった。そのことについて、アステリオスが激怒した。


 衣類が臭い、食べ物の管理がどうだとか、アステリオスは繊細な男だった。


 コブラは布が落ちないように身体に巻き付けて括った後、森の方へと出て果物を漁った。


 コブラは食糧調達、キヨは絵画を描き、ヤマトは鍛錬に勤しむ。その全てが、アステリオスの洗濯を待っている暇つぶしなのであった。


 二つ目は、いわゆる家事において彼が力を発揮したことだった。コブラが拾ってきた果実も、アステリオスにかかれば美味しい食事へと変化を遂げる。さらに、前回のような食べ物の争奪戦はなくなった。均等に管理してくれる存在が出来たことは大きい。おかげで彼らはマズイ食事を食べることはなくなった。


 だからなのか、コブラたち三人は、いつもなら後数時間は前に進むであろう時も、早々に歩みを止めて、そこを拠点に食材を集めることが多くなった。この事が災いし、一日に進む距離がガクっと下がってしまった。


「よし、後はゆっくりと干していけばよいや」


「ありがとうね。アステリオス」


 キヨが木板を持ちながら、アステリオスに礼を言った。アステリオスは木の枝を拾って作った物干しと竿に衣類を干していった。


「キヨの方こそ、絵は順調かい?」


「うん。結構絵になるのよねぇ。滝って」


 アステリオスが覗き込むと、滝の前で、ヤマトが素振りしている様子が描かれていた。


 滝の荒々しさと、ヤマトの丁寧にゆっくりした所作をしっかりと表現できている。


「染料を手に入れるのって大変じゃない?」


「うん。だから、定期的に集めているんだけど、青ってすぐに無くなっちゃうのよねぇ」


 キヨは再び、筆を青色の塗料に付けて、木板に塗ってゆく。アステリオスはキヨが海辺の絵を描くのが好きなのが大きな原因だと考えた。アステリオスが仲間になってすぐに見せてもらった『アリエス王国』の絵も、噴水の水しぶきのために青と白をふんだんに使っていた。彼女は『水』というものが好きなのかもしれない。


「紙にかけばいいのに」


「あたしがいた所は紙なんて物は元の国から持ってきた物以外にはないくらい貴重だったのよ」


 キヨは視線を木版から移さずにアステリオスと話す。


「でも、今ならタウラスから僕が持ってきたものもたくさんあるし、ヤマトの報告書用の予備用紙もたくさんあるでしょう?」


「んー、確かに言われてみればそれもあるね……なんでだろ」


 キヨは今の自分達は紙を多く所持していることを思い出してきょとんと首を傾げる。その後、しばらく考えるために「んー」と小さく唸る。


「なんだろう。ずっと昔から木板で描いていたから、そういう発想なかったなぁ」


 アステリオスは、彼女の後ろにある、大量の木板に視線が移る。まだ何も描かれていないもの。荒々しい滝を描いたもの。町の風景を描いたもの。タウラス民国での闘いの様子を描いたものもある。


「非効率でも、気に入ったやり方があるっていうのはいいよね」


「うん。木に描くことで浮き上がる木の荒い跡とか、この画版にするために木を削っている時間も好きなんだと思う」


 照れくさそうに笑うキヨを見て、アステリオスは思わず微笑んでしまった。彼女と一度闘った際に見せた気迫とはまた違う可憐な姿に、自身が闘った『アンチン』でも、普段ヤマトやコブラに悪態をついている少女でもない。この微笑みこそが彼女の本性なのだろうと感じる。


「だったらキヨのためにその木板を簡単に作れる伐採道具でも作ろうかな。僕は。あるいは持ち運びが簡単になりそうな収納箱なんか」


「あぁー、それは助かる」


 キヨは嬉しそうにそう答えるも、今もなお、画版から視線を移さない。少しずつ彩られてゆく絵にアステリオスは思わず夢中で見てしまう。


「よし、後は乾くのを待つのみ!」


 キヨが大きく息を吐き、そっと木板を置いた。


 アステリオスは改めて、描き終えたその絵をまじまじと見る。


 アステリオスは感嘆の声を上げた。料理やカガクには精通しているアステリオスも、こういった芸術にはまるで知識がなく、目で見たものを形に出来るキヨに素直な感心があった。「いや、何度か見ているけれど、何もない木の板に情景を形作るってすごいよね」


「私からしたら頭の中の絵空事を形に出来ているアステリオスもすごいと思うけど。貴方がいたら、私の集落はもっと助かっていたと思う」


「いやいや、僕は原材料などがないと結局何もできない男だよ。タウラス民国の周辺は鉱物もよく採れたいい立地だったし」


 アステリオスはキヨの後ろの画版たちにまた目線が移る。


「手に取って見てもいい?」


「うん。いいよ」


「ありがと」


 アステリオスは彼女の許可を得て、何枚か物色してみる。一つ、人々が大きな灯りを囲っている絵を手に取る。なんとなく、心が温まる印象を受けた。


「この絵は?」


「あぁ、私の集落の絵。確か、ヤマトとコブラが私の所に来たときのことを思い出しながら描いたやつ」


「へぇー、じゃあキヨも最初からコブラとヤマトの仲間じゃなかったんだ」


「うん。そうなの」


 言われてみれば、アステリオスはその辺りの話をゆっくり聞いたことはなかったなと考えた。


 アステリオス自身、遠出の旅は初めてで、この14日間は慣れるために必死だった。コブラたちの衛生観念の矯正と、限られた道具と食材で料理をすることで手いっぱいで、やっとこういった世間話をする余裕が生まれたのだ。そう気づくと、一気に彼ら三人に興味が湧いた。


「コブラとヤマトがオフィックスから来ていたのは知っているけれど、キヨはどうして二人についていこうとしたの?」


 アステリオスは興味があった。自分と同じように、任務という形ではなく。彼らについてきたキヨについて知りたかったのだ。


「んー、絵が描きたかったのと、あたしも旅ってのに、興味があってね。まぁ、正直に言えば追い出されたみたいなものだけど」


「えっ!? 追い出された?」


 想像以上に驚いたアステリオスの姿を見て、ヘラヘラと笑いながら、キヨはアステリオスに訂正するように手を何度も横に振る。


「あぁー安心して。そんな暗い話じゃないの。村のみんなが私を送ってくれるためにね。私ね。実は結構良い身分の人間なのよ?」


 ニヤリと笑いながらキヨはアステリオスの方を見た。アステリオスは驚くように目を丸くしている。


「今はこんなに髪もボロボロだけど」


「へぇー。そうだったんだ。村長の娘とか?」


「それどころじゃねぇぞアステリオス」


 二人の会話に、森の方へ出ていたコブラが割り込んでくる。彼は拾った果実を齧っている。本人もニヤニヤしながらキヨを見ていた。キヨはバツが悪そうに唇を尖らせてコブラを見る。


「おいキヨ~。何もったいぶってんだよ~。仲間に隠し事はよくねぇと思うぜ? ん?」


 コブラが意地の悪い顔をしながらキヨにじりじりと顔を近づける。キヨは鬱陶しそうに手でコブラの顔を押しのける。その様子を見てアステリオスは戸惑っている。


「ちょっとやめてよ。アステリオスには対等にいて欲しかったのに」


「どういうこと? コブラ?」


 アステリオスがコブラに対して質問をする。


 しかし、それに答えたのは鍛錬を終えたヤマトだった。


「キヨ様は、我がオフィックスの王だった者の娘だ。キヨ=オフィックス様であらせられる」


「ちょ! ヤマトもそういう態度やめてって言っているでしょ?」


 キヨは戸惑ってあたふたとしている。コブラはニヤリと笑い、ヤマトも少し意地悪な顔をしていた。ヤマトもキヨが困るのをわかっていてあえて敬意を払った態度を取っていた。


 アステリオスはそんな二人の対応とあたふたするキヨを見て驚きで首を傾げた。


「キヨが王族?」


「あぁ、まっ。どこの国にも闇はあるってもんだ」


 コブラはそういいながら、また一つ、取ってきた果物を一つ丸かじりにする。


「そうだね。タウラスは民主国だったから王って人がいなかったし、新鮮な気持ちだ。ねぇ」


「ん? 何」


 全てを聞いた後、アステリオスはキヨに対して質問をする。


「キヨはじゃあ王女様だったわけだよね? 戻りたいとかってあるの? 王族に」


 その質問に、キヨはしばらく黙り込んだ。この質問はコブラとヤマトも興味があったのか、にこやかな表情もやめて真剣な表情で彼女を見つめる。


「んー……どうなんだろ。あたし、集落で狩りとかしていた時が長かったから、王族よりも、伸び伸びと生きていた方が楽しいのかも」


「そうだな。喧嘩祭りにこっそり参加するほどのじゃじゃ馬娘にゃあ王女様は無理だな」


「ちょっとコブラ?」


「いやぁ、事実じゃねぇかよ。あっ。でもやっぱりキレイなドレスは着たいんじゃねぇの? こないだの――」


 コブラが思い出したように意地の悪い顏をすると、大声で何かを言おうとした。


 コブラの言おうとした言葉を察したキヨは、木の板を削るためのナイフをコブラに向ける。


「コブラ? それ以上は……」


「やっべ。逃げろー」


「ちょ! 待ちなさいよ! だからあれは忘れてって言ってるじゃない!」


 コブラはすぐにその場から逃げ、キヨはそんなコブラを怒りながら追いかけている。


「二人とも楽しそうだなぁ」


「キヨは、小さな集落にいた頃は、王の娘としての責務を全うしようと、あの年で、誰よりも努力をしていたそうなのだ」


「そうなんだ……」


 アステリオスはヤマトの言葉に納得がいく。キヨの年齢は自分よりも少し上の印象。タウラスにいた女性はみな度胸があって、強い人が多いけれど、それでもキヨほどの年齢の子は未熟さがある。しかし、キヨとは、闘ったからこそわかる。女性だからとか、関係のない。あの身のこなしと戦闘能力。タウラスの男たちをも翻弄するあの戦闘技術は、過酷な環境で鍛え続けないと身につかないものだ。


「僕、彼女を見ていると少し恥ずかしいよ。体格に恵まれないからって鍛えることを疎かにしていたんだ。僕も彼女のように強く生きていたら、この小さな身体でも、彼女のように強くなれたかもしれないのに」


「そう自分を卑下するものではない。アステリオスが肉体を鍛えることを諦めたことで生まれた多くのモノもあるだろう? 君はそちらを誇ればよい」


 ヤマトはそういいながらキヨが置きっぱなしにしている画版を漁る。その中に見つけたのはアリエス王国での羊の絵だった。


「よく覚えていたな。キヨのやつ」


 ヤマトはその絵を見て感心したように独り言を呟いた。


「なんなの? その沢山の羊」


「これはアリエス王国での試練だ」


「試練って?」


「あぁ、君はあまり知らないまま喧嘩祭りに参加していたのか」


 ヤマトはアステリオスの反応に納得した後、自分の麻袋の近くまで行った後、何かを持って、再びアステリオスの元へ戻ってくる。


「あっ、僕がチャンピオンの称号として持っていたやつだ」


「そうだ。この護符を12枚回収することが私とコブラの任務なんだ」


「それで? 試練って」


「一度、『星巡り』については話したな?」


 アステリオスは頷いた。この旅がなんのためのものか。それはコブラとヤマトが『星巡り』という儀式のために各国を回っていること。そして次の目的地がジェミ共和国なこと。その二点は聞いていたが、言われてみればしっかりと聞いたことはなかったかもしれない。


「星巡りは、各国で行わる『儀式』を踏破した結果と護符の二つを得ることで完了する。


君の国、タウラス民国では『力比べ』をすることそのものが儀式だったようだ。つまり――」


「喧嘩祭りは『星巡り』の儀式の一環だったと」


「あぁ。元々は私たちのような儀式の挑戦者が来たときに行うものだったのが、国のお祭りへと変化したものだそうだ」


 アステリオスはその説明を聞いて納得する。だからコブラたちは喧嘩祭りに参加して、アステリオスの前に立ちはだかった。


「じゃあ、ヤマトたちは最初から僕を倒すつもりだったんだね」


「そういうことになる」


「知らず知らずのうちに君たちの試練になっていたわけか」


 アステリオスは思わず笑ってしまう。その小さな身体でヤマトを見上げて首を傾げる。


「僕は手ごわかったかい?」


「あぁ。私もキドウ殿からあの体術を学んでいなければ君には勝てなかったからね。危なかったよ」


「へっへー、『勝てない』と言われるのは、悪い気がしないね」


 照れくさそうにアステリオスは鼻を掻く。


「ねぇ、僕の前にはどんな試練があったの? その絵と関係あるんだよね?」


 アステリオスは楽しくなってきて、ヤマトが持っていた絵を指さした。


「あぁ、アリエス王国は住民のほとんどが眠っている不思議な国だった。私たちはその国の術に嵌り、夢の中へと閉じ込められる」


「夢の中!? 夢ってあの寝ている時にたまに見る。あれ?」


「あぁ。あの夢だ」


「僕、よくムキムキマッチョになって美人のお姉さんと結婚している夢見るなぁ。いつか実現したい……。その夢の中で何をさせられたの?」


「夢の中で、私たち三人が行った儀式は羊を数えろという奇妙なものだった」


「へぇー、国によって全然違うんだねぇ。ちょっと面白いかも。もっと聞かせてよ。僕が来る前の事」


 アステリオスはヤマトに問い続けた。ヤマトも上機嫌にそれを語ってくれた。追いかけっこをやめたコブラとキヨもその輪に入り、談笑を続けた。コブラはオフィックスで盗人をやっていた頃のこともなぜか上機嫌に話し始めた。国の偉い方も知らない住民たちだけがこっそり食べ物を貯蔵している蔵に入っただの。住民同士の色恋沙汰のために情報集めで金を稼いでいたことがあるだの。オフィックスで知る人ぞ知る名店があっただの。これはヤマトとキヨも聞いてこなかった話なので、興味津々に耳を傾けた。


 一通り盛り上がった後には、干した衣類は乾き、アステリオスの用意した食事にありつき、まもなく辿りつくジェミ共和国を夢想して眠りについた。


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