第4話 ミノタウロス

 部屋の窓から光が差し込んでコブラは唸り声を上げて目を覚ます。まだ寝ていたいのに、光と外からの騒音がそれを許さない。


 ヤマトに負けてソファーで寝ることになったけれど、それでもコブラからしたら贅沢な寝床であった。


 だからであろうか、コブラが起きたのはもう昼もとっくに過ぎていた。


 と、いっても一度は朝の陽ざしに目を覚ました。


 しかし、ふかふかのソファーというのはここまで寝心地がいいものなのかとコブラは起き上がることが出来ずに二度寝をして、結局このような時間になってしまった。ここまで熟睡したのはアリエス王国で閉じ込められた以来であった。


「あら、随分とお寝坊さんなのね。ヤマトくんとキヨちゃんはとっくに出かけたと言うのに」


 階段を下りるとクミルが声をかけてくる。


 台所で何か料理をしているみたいだ。


「……何これ?」


 起きてテーブルに座ると、そこには大量の小さい器があった。まだ寝ぼけ眼のコブラは目を擦ってもう一度それを見る。自分が寝ぼけてたくさんに見えているわけではない。確かにテーブルいっぱいに器があるのだ。


「そうだコブラちゃん。これの詰め込み手伝ってくれない?」


 そういうとコブラの目の前に巨大な窯を出すクミル。その中には香ばしい匂いが放たれ、寝起きのコブラの食欲をそそるには十分だった。


「なぁ、これ食っていいか?」


「んー、じゃあ全部容器によそったらね」


 そういってしゃもじを渡してくるクミル。コブラはテーブルの上の容器に入れていけばいいのかとすぐに納得して、窯から順に容器によそっていく。


「これ? なんなの?」


「祭りのときに配るのさ。家で飯食っている暇なんかないからねぇ。これでちょっと小遣いを稼ぐのよ。喧嘩祭りをするときは、女は金を稼ぐために必死に出店を出すのさぁ。こうして朝から準備してね」


 コブラがよそった容器には蓋が付いており、よそい終わるとそれを閉じる。粘り気の強く、適当によそっても、丸まった団子のようになる。これは団子状の物を手でつかんで食べる物なのだろう。少しベタつきそうだなとコブラは感じながらよそってゆく。


「コブラちゃんは喧嘩祭り出ないの?」


「出るに決まってんだろ。こんな楽しそうなこと」


 一通りよそい終えた後、うち一つをもらって食べる。オフィックスでは食う機会がなかった米を炒めた料理で香ばしい匂いと少しモチっとした食感がコブラには新鮮ですぐに平らげてしまう。


「だったらお昼まで寝ていちゃダメなんじゃないの?」


「あぁ? どういうことだよ」


 コブラはクミルが軽く微笑んだことを挑発と受け取って、少し強気で彼女を睨みつける。


「ここの男たちは勝つことにだけは必死だからねぇ」


 クミルは腕を組んでニヤニヤと笑みを浮かべる。


「ここの連中はそんな強いのか?」


「えぇ、けれどコブラちゃんも、悪くない身体はしているわね。鍛えているの?」


 クミルの視線がコブラの脚に行く。屈強に、しかししなやかについた筋肉を感じる。


「いんや。ふつうに生きていたらこうなってた」


「あらあら、頼もしいね。まっ、頑張ってみな」


 クミルは一瞬同情したような表情をしたが、すぐににこやかに笑った。


 ここまで鍛え抜かれた脚と細い身体を何の努力もせず生きてゆくのみで身に着けたのであれば、それだけで彼が過酷な生活を送っていることが見てとれる。


「外でも見てくるよ。ご馳走さまでした」


 コブラは礼を言って、宿を出る。外はとてつもなく活気に溢れており、町中に人々の会話が聞こえる。コブラは周りの人間に聞いて、喧嘩祭りの会場の場所を探す。


 しかし、ここの女たちも強いな。とコブラは感嘆としていた。こっそり飯の一つでも盗もうと考えていたが、やはりあの筋肉集団を支えるのが女だと自負しているだけある。大事にならずに盗むことが出来ないくらい、ここの女性たちに隙がない。必ず数人での行動を心がけているから大きな荷物を持っている奴の横にはまるで警護のつもりのように手ぶらの女性がいる。あるいは男が荷物を持ち、女が周りを見ている。と言ったところか。盗もうと思えば盗める。


 しかし、バレて逃げるという行動をせざるを得ない。そうなるとヤマトに怒られて面倒どころか、喧嘩祭りに出ることさえ難しい。


 コブラは仕方なく、盗むことは諦めて会場まで足を運ぶ。住人たちの会話を聞いていればおのずと会場の在処はわかった。


 大きな広場に出ると、たくさんの男が既に集まっていた。一つテントを張っている建物を見つける。そこに男たちが並んでいるので、きっと参加表明をするための列だと理解した。


 コブラもその列に並び始める。全員自分なんかよりも背が高く、いけ好かない。


「おいおい、今回はチビも出るのか?」


 コブラの後ろに並んだ男がコブラの頭に手を置いて声をかけてきた。コブラの倍はるのではないかと錯覚するほどの大男であった。


 コブラは頭上にいる男に睨みつける。


「おい、手ぇ離せよ」


「まだおめぇには早いんじゃねぇか? おじさん、潰しちゃいそうで怖いぜぇ」


 コブラはその言葉を聞いた後、瞬時に男のふとももに向かって思いきり拳を放った。股関節手前に重い音が響く。


「いてぇ!」


 悲鳴を上げ、太ももに手をつこうとした男の肩に手を置き、腕を思いっきり下に向かって引っ張り男を地面に叩きつける。


「てめぇ!」


「おいおい。君たち何を……コブラくん!」


 叫ぶ男の声を聞きつけてやってきたバイソンはコブラの存在に気づく。


 コブラは面倒なことになると予感し、大きく溜息をつく。


「何をしているんだ」


「悪い。こいつが絡んできたからな。けど、さっきのも止められないような奴、そもそも出る資格ねぇだろ」


 コブラは手で口を隠してプププと嘲笑して見せる。尻もちをついている男が顔を真っ赤にしてコブラを睨みつけた。その真っ赤になった顔を見て、コブラはさらに嘲笑う。


「こらこらやめなさい」


 バイソンは困った顔でコブラを静止する。


「はっはっは。バイソンさん。仕方ないですよ。前で私見ていましたけどね? そこの尻もちついている彼、その少年を見下したように話しかけていましたよ。この列に並ぶ以上、子どもだろうが戦士だ。そこを理解してねぇそいつが悪い」


 コブラの前に立っていた男が大笑いしながらコブラの肩に手を置いた。それを聞いたバイソンは頭を掻きながら事を収めようと考える。


「今回は異国から来たコブラくんの行いだ。一度のみ許す。君も、参加する戦士に対しての無礼は控えるように、コブラくんも不意打ちでの攻撃は男のすることじゃない。以後は控えるように」


 そういうとバイソンは列の最前に戻っていった。どうやら彼が参加者の管理を行っているようだ。本人は出るのだろうか? とコブラは考えた。


「なぁ、バイソンのおっさん。あんたも出るのかい?」


「もちろんさ。闘えるといいね」


「バイソンさんは強いよ。優しい顔して鬼人のような人さ。かっはっは」


 コブラの前に並ぶ男がコブラとバイソンの会話に入って笑う。前の男はよほど陽気な男なのか、バイソンが去った後もコブラを讃えるように話しかけてくる。


 コブラに倒された男は興が冷めたのか、もうコブラの後ろにはおらず、今日は観戦に徹する様子だった。コブラは彼に見えないようにケラケラと笑った。


 列が少しずつ短くなっている時だった。後ろからざわめきが聞こえてきた。思わず振り返ったコブラの後ろに一人の男が立つ。


「ミノタウロスだ……」


「ミノタウロスが来たぞ」


「今日は稼ぎ時だぞ!」


 コブラは見上げる。どっしりと立つ男。さっき立っていた男が小さく見えてしまう。彼は他の声を聞いても、動揺も、興奮もしていない。ただただ列を待つことに集中している様子だった。盗人業をしているコブラには直観で逃げたほうがいい。と内心で警告が響いたが、この男も自分と同じく出場するのだからと、すぐに気を持ち直した。


 列がだんだん減り、コブラの出番になり、名前を記入する。その後、ミノタウロスも同様に文字を書こうとする。拙い書き方にコブラはシンパシーを感じた。バイソンが持つ参加者リストの最後二つ並んで読みづらい汚い字が並ぶ。


「コブラ、なんとか間に合ったようだな」


 コブラがぶらぶらと歩いていると、前からこちらに向かってくるヤマトを見つける。彼も同様にコブラを見つけ、話しかけてくる。


「貴様、一度帰ってから揺すっても起きなかったからな」


「……うるさい。お前にベッドとられたから寝つけなかったんだよ」


 ヤマトの方を直視できずに適当に答えるコブラ。その様子に気づかなかったヤマトは言葉を続ける。


「コブラ、キヨを見ていないか? 探しているのだが見つからなくてな。資金の入った袋だけは宿に帰った時に戻されていたんだが……」


「おっ、おめぇ金持ってんのか?」


「なんだ、何か食べたいのか?」


「この辺りにいろいろ出店あるからな。腹ごしらえしたいと思っていたんだよ」


「……お前だったら盗めばいいんじゃ」


「お前仮にも騎士だろ。犯罪助長させんなよ。喧嘩祭りの参加で来ているからな。バレて参加権失うとかになったらバカだろ?」


 コブラの笑いながら言った言葉に、ヤマトはコブラが純粋に今日を楽しもうとしていることに気づき、コブラに対して少し詫びを入れる。


「気持ち悪いな。謝るなよ」


「つくづくお前は勘に触るな。そうだ、良い屋台がある。そこに案内してやる」


 ヤマトはコブラを誘導する。


 ヤマトが向かうのはあのアステリオスがやっていた爆ぜもろこしをやっている店だ。コブラもよくわからないが、金をヤマトが持っている都合上ついていくしか食べ物にありつく道はなく、ヤマトの後を追う。


「あれ? いないのか……」


 ヤマトが立ち止まったところには出店自体はあったが、そこに誰もいなかった。


「おっ、珍しい。君ら噂の客人かい」


 アステリオスのいない出店の隣でソーセージを焼いていたお爺さんに話しかけられる。


 髭も少し白くなっている初老の男性で、ヤマトはこうして定年を過ぎてしまった男性になってはじめて、店などをするのかと再認識した。


「なんだ兄ちゃん。俺がもう爺だから引退していると思っているのか?」


 ヤマトがじろじろ見ていることに気づいたとなりのおじいさんに凄まれる。その威圧感に思わずヤマトは生唾を飲んだ。


「舐めてもらっちゃあ困るね。俺はいわゆる殿堂入りって奴だよ。見てくれよ」


 そういうとおじさんは屋台の奥を指さす。そこにはベルトが飾られていた。


「バイソンの奴が記念に作ってくれたんだ。100戦100勝の記念でな。そっから無敗だったから、喧嘩祭りの運営側から殿堂入りとして不参加を言い渡されちまったんだよ。いつまでもトップにいられちゃあみんなのモチベーションに響くっつってなぁ。寂しいもんだぜ」


 お爺さんは少し残念そうにため息を吐くが、少し満足げでもあった。


「ではご老人。ミノタウロスについては?」


「あぁ、もちろん。俺が引退ってなったときに、一から争ったチャンピオン無しのサドンデスマッチ! 奴は突如現れて王者の権威を掴みやがった。俺も挑みたいねぇと思うんだが、バイソンの奴が『生ける伝説は大人しく隠居しておいてください』なんて止めやがるからよぉ。今はガキを育てんのに必死だわ。俺が現役のときに出てきて欲しかったぜ。まったく……」


 おじいさんは空を見上げながら答えた。彼は今も本当は戦いたいのか、腕を何度も握り広げている。


「おいヤマト。もうそのアステリオスって奴いねぇんならおっさんとこのソーセージ食おうぜ」


「あぁ、しょうがないな」


「あいよ! まいどあり」


 そういうとお爺さんは容器に入ったソーセージにトマトを潰して作ったソースをかけたものを二つ渡してくる。こちらも相手が提示している金額を渡す。


「お前さんら、他国から来た奴らだろ? やっぱり出るのか。大会」


「えぇ、私とこの男の二人が参加します」


「ほぇー、お兄さんのほうは身体付きも申し分ない。そっちのお前は……いや、背丈が足りないだけだな。よく見たらしっかりした筋肉している。鍛えたものじゃなくて、自然と身についたものだ。なんか……訳ありか?」


 お爺さんの鋭い目にコブラも一瞬たじろぐ。目の前の爺さんの目が全てを見透かしているかのようにギロっとコブラを睨みつける。


「あ、あぁ。故郷の国ではわりと名のしれた盗賊だったんだ」


「盗賊? ただの盗人小僧だろ」


「うるさい。ちょっとくらい見栄張らせろよ。空気読めねえな」


「えっ、す、済まない」


「がっはっは。まぁ俺の息子も出るし、バイソンも強いぞぉー、それにミノタウロス。あいつはさらに格上だ。負けねえようにな。俺はてめぇらを見世物に婆さんが作ったソーセージ売っているから」


「あぁ。今度は優勝記念でこのソーセージ食ってやるよ。うまいし」


 コブラはソーセージを頬張りながら男に答えた。ヤマトは勝手すぐに頬張るとは、品のない奴とコブラを見下していた。


「あぁ、てめぇが優勝したらそんときゃソーセージタダでご馳走してやるよ」


 豪快に笑った後、威圧感溢れる鋭い目つきで睨む。その眼を見てコブラはニヤリと笑う。


「では、私たちはこれで。そろそろ祭りの始まりだ」


 ヤマトは手に持っている時計を確認してコブラの肩を軽く叩いた。


「じゃあなおっさん」


 お爺さんは去っていくコブラとヤマトに対して手を振った。


 静かな熱気が、タウラス民国の広場を包み込む。多くの男たちの闘志が空気に混じり、気温自体は上がっていないのに、多くの人の体温はふつふつと上がっていく。


 まだか、まだかとタウラス民国の者たちはその時を待ち、身体を震わせていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る