第3話 旅立ちの日

 ヤマトは浮かない表情で扉の前に立ち尽くす。家は石材で作られた立派な家だ。二階立てで横にも広い所謂豪邸の前で、ヤマトは生唾を飲む。ドアノブを握り、ゆっくりと扉を開けると今もゆらゆらと燃えて部屋を照らす暖炉と二階へと通じる大きな階段。真っ赤な敷物が敷かれた床が視界に移る。


「あら、ヤマト。おかえりなさい」


 扉が開かれた音に反応して降りてきたのか、大きな階段から一歩ずつゆっくり降りてくるご婦人。


「スタージュン夫人。ただいま、帰宅いたしました」


「こーら。また夫人だなんて、しっかり母とお呼びなさい。何かあったの?」


 夫人は階段から降りてヤマトの目をじっと見つめて、心配そうに彼の手を握った。


「貴方、何かあるとわたくしのことを母と呼ぶのを忘れるんですもの。わかりやすいわ」


 そういうと夫人はヤマトに背を向けて居間へ通じる扉まで近づく。扉を開ける直前に、ヤマトの方へ振り返る。


「ほーら。早く上がりなさいな。今晩はシチューを作ったのよ」


 夫人はそういって居間へと移動する。ヤマトは自身の部屋へ移動する。ヤマトの部屋は大きなベッドと、服が何着か入ったクローゼット。字をしたためるための机と椅子、それと練習用に木刀が二本壁にかけてあるだけの簡素な部屋だ。


 着替え終えると居間へと移動する。夫人はもう机の上にシチューを置いており、ヤマトが座る席の向かいには、眼鏡をかけた初老の男性が落ち着いた様子で座っている。彼こそがこの家の家主であるスタージュン卿である。


「ヤマト。おかえり」


 初老の男性はにこやかな笑みでヤマトの方を見る。その表情にいたたまれなくなり、無言で彼の向かいへ座る。


「どうしたんだ? ヤマト」


「そうなんですよ。何かあったみたいなの」


 夫人がスタージュン卿に器へよそったシチューを渡す。ヤマトの方にもシチューを置いて、自分も卿の隣に座る。


 スタージュン夫婦は貴族としてオフィックス王国でも有名なのだが、気張った感じはなく、夫人の方は普通に市民と同じ場所で買い物をして家事を行う変わり者で、この屋敷に召使がいないことがその最たるものだろう。ヤマトはここに拾われたことを本当に感謝している。だからこそ、言葉を告げるのに些かの躊躇いが出てきてしまう。


「そのですね。スタージュン卿、折り入って報告が」


「ほう。ヤマトからの報告とな。また出世かい?」


「えぇ、わたくしヤマト=スタージュン。国王様の命令で、国外へ出ることとなりました」


 ヤマトの言葉にスタージュン夫妻は共に沈黙してしまう。しばらくして、スタージュン卿がシチューを軽くかき混ぜながら言葉を始める。


「そうか……。喜ばしいことではないか。国王直々の命とは。して、いつに戻れそうなのだ?」


「わかりません。国を十二程回らなければなりませんので」


「……寂しくなるわね」


 夫人は、手に持った珈琲を啜り、珈琲の水面に映った自分の表情を見つめる。


「その、ご安心ください。王国からの命令です。しっかりと国の外から任務を終えた時、必ずやこの家に戻ってこられるでしょう」


「だといいんだが……」


「旅の途中で貴方に何かあればと思うと心配だわ」


 二人が心配するのも仕方ない。ヤマトはオフィックスの人間ではない。十五年前、まだ壁が建設を始めようとしている頃。ヤマトは傷だらけでオフィックス王国の外部周辺で見つかった。


 多くの市民が彼を恐れた中、スタージュン夫婦がこれを受け入れた。国内有数の貴族が受け入れたとあっては、他の者も黙るほかなかった。しかし、そのことも影響してか、壁の強化がさらに進み、究極の防壁『ウロボロス』が今も町を守っている。この国の人間は外部に冷たい。ヤマトが全ての仕事を終え、戻ってきた時、オフィックスの国民は、また彼を蔑むことはしないだろうか。スタージュン夫婦はその事が気がかりとなっていた。


「仮に、そういったことになったとしても、私には。あなた方がいます。良い母と良い父。その二人がいればそれで充分でございます」


 ヤマトの言葉を聞いて、スタージュン夫妻は安堵の息を漏らした。


「それで、いつ出発するのだ?」


「それが、明日なのです」


「それは急ね。でしたら今日は身体が許す限り、別れを惜しんで語らいましょう。大丈夫、この旅は貴方をきっと成長させてくれます」


 そういうと夫人はニコリと笑みを浮かべながらシチューを口に含んだ。


 スタージュン邸の光は、普段よりも長く、家を灯していたという。




 牢屋の中から月の光に照らされて思わず目を開くコブラ。寝ようと思っていたのが、落ち着かず、身体を起こす。牢屋の中は石で造られた立方体の部屋に便座が一つと、毛布。身体を清めるためのバケツにたまった水が端っこに置かれていた。


 正直、この部屋は自分が住んでいたアジトよりずっと良かった。毛布も上質なものだし、しっかりと便を行う場所も配備されている。


 しかし、ここからは出られない。それだけがコブラにとっては苦痛以外の何物でもなかった。


「まっ、明日にはこんな国とおさらばできるんだし、ゆっくりと眠るか」


 そういってもう一度横になる。しかし寝付けない。自分では気づいていないほど、コブラにとって、この街への執着があるのかと驚いている。


「ガキ共元気かねぇ」


 コブラは盗みを働かない時には、小さな子どもたちに色々と教えたり、一緒に遊んだりしていた。悲鳴を上げる客も多いが、コブラ本人は街で認める者も多い。コブラは敵対しない人間にはむしろ親切だった。主婦に頼まれた仕事をして、そのお駄賃を貰って、茶屋へ向かうこともある。きっとその主婦の人達は、コブラが孤児で、家がない存在であることにも同情して、しかし依存されたくないが故に、この雇われ関係を保ってくれていたのだろう。


 コブラとしても、それが助かった。彼はどこかに所属せずに奔放に生きたかったのだ。今更何かに所属することは、経験がないが故に、彼はそれを拒み続けた。


「あぁー。姉ちゃんの茶屋でモルカ飲みたいなぁ」


 頼りない声を漏らしながら、コブラは月明りを見つめ続けた。明日、ヤマトへ交渉してみようか。そんなことを考えている間に、彼の視界は暗闇へと包まれた。






 縄に縛られたまま、コブラはこの国の出入り口である扉の前に連れ出された。扉正面には監視兵が二人ほど、にやりと笑ってコブラたちを見ていた。


 コブラは目の前に立ちはだかっている巨大な壁を睨みつける。何者も寄せ付けない重厚感を真っ黒は壁が放っている。


「我がオフィックス王国は外敵に襲われないためにこの巨大な壁『ウロボロス』でこの国を覆っている。これにより、我々は外敵に襲われることなく、平和に内政を行えるのだ」


「あぁ、それは知っているよ」


 隣にやってきたヤマトが誇らしげにコブラに語る。コブラは不服そうに答えた。不服な理由は二つ。知っていることをわざわざ言われたことと、頼んだのにモルカの茶屋に寄ってくれなかったからである。


「では、罪人の搬送ご苦労さまです」


 ヤマトは俺を引き連れていた兵士に向かって敬礼をする。兵士もそれに続いて、俺の縄を離して、ゆっくりと去っていった。


「なぁ、あの扉から出るのか?」


 コブラはその言葉の後、アゴを前につき出して扉を示す。重々しい鉄の扉が壁に付属されていた。その扉は不思議な構造をしていた。押戸にしか対応していない。この扉を引いて開けることができないようになっていた。


「ああ。あれがオフィックス王国の出口だ」


「出口? こういうときは出入り口じゃねぇのか」


「何を言っている入り口でもあったら意味がない。他の国の人が入れないようにするための壁だぞ? この扉から外敵が入ってきたらどうするんだよ。はっはっは」


 そう話しながらもヤマトはコブラの縄を引っ張り、扉を開けて、勇ましく外へ出る。


「なるほど。外敵から守る壁であると共に内部の敵も追い出すと、俺みてぇに」


「何を言う。お前は罪を償うために、その上このような大任を任されたのだぞ? ほら、こうして中に入れてもらえる許可証も発行されている」


 そういうとヤマトは掌大の大きさの紙を鞄から取り出してコブラに見せつける。


 コブラはなんだかうさんくさい感じがしてそれを拒否するように手で払う。


 森に出ると、国からは匂わない自然の香りがヤマトとコブラの鼻を通る。木々も巨木が多く、よく晴れているのに葉が作った影のおかげで涼しく感じる。コブラは何かを探す用に森を見渡す。


「つまり。貴様が私の監視下でしっかりと任務をこなせば何も問題はないということだ」


「へいへい。わかったからこの縄を解いてくれ」


「そうだな。いつまでも縛られたままでは旅もままならんだろう」


 そういうとヤマトはコブラの後ろに回って縄をほどく。その間コブラはヤマトに見えないようにニヤリと笑いながら手をわきわきと動かしている。


「ほら、ほどけたぞ――」


 その直後だった。ヤマトは肩にかけていた鞄が途端に軽くなったのを感じた。


 目の前にコブラの姿もないという事実にも気づく。


「はっ! 誰がお前と一緒に長旅なんかするかよ!」


 コブラは、即座に目星をつけていた大木に登り、近くの木の枝で立っていた。その手にはごろっとしたものが入った袋だった。ヤマトは自分の鞄が軽くなっている原因に気づく。


「貴様っ! それは私と貴様の食料だぞ!」


「違うね、俺の食料だ。せっかくあんなつまんねぇ国から出ることができたんだから後は一人でのんびり浮浪人生活でもすんだよ」


「貴様ぁー!」


 ヤマトの怒号が響き渡り木々に隠れていた鳥たちが一斉に羽ばたいていく。その直後、ヤマトはその腰に携えている大剣を抜き、コブラが乗っている木を思いっきり打ち付ける。


 切り裂くことこそできなかったが、その衝撃は木を大きく揺らし、コブラをそこから落とすのには十分だった。コブラはバランスを崩してその場から落下する。


「てめえ! 何しやがる」


「貴様に無事任務を遂行してもらうのがこの私の仕事なのだから当然だ。さぁ。食料をこちらへ渡せ、私が管理しなければ次の町まで絶対にもたない」


「もたせる必要はねぇよ。お前がここで飢え死にすればいいだけだからなぁ」


「返せと言っているだろう!」


 ヤマトは大剣を振るってコブラに襲いかかる。それをコブラは軽いステップで避ける。意地になってきているヤマトは叫び声を上げながら大剣を振るう。


「確かにすげぇスピードだけど、この俺には当たらねぇよ!」


 コブラは後ろに飛んで、一度両手で地面に両手をついて腕で身体を持ち上げてヤマトと距離を取るように移動をする。


「ん? おいコブラ。食料袋はどこにやった」


「え。あっ、うっかりその辺に」


 コブラは自分が置いたと思われる場所に視線を移す。すると牛の頭蓋を被った人物が、今まさに袋を掴んでいる最中だった。頭蓋を被っていて表情が見えないが、その人物は慌てたように袋を持って走って逃げていく。


「しまった! 食料泥棒だ!」


「どの口が言うか。とにかく、追わなければ」


 牛頭蓋はジャンプして木の枝に飛び乗る。そしてまた次の木の枝へとどんどん飛んでいく。


「待ちやがれぇ! 俺の飯!」


 ヤマトは剣を鞘に戻してコブラたちの走った方を見る。


 コブラは牛頭蓋を追いかけるために枝から枝へと飛んでいく。足場にされている木の枝は、激しく揺れて追っているヤマトの頭上に葉が降ってくる。ヤマトは、剣術は学んだが、あんな猿みたいな走法を覚えているはずがなかった。


「はぁ。ここはコブラに任せるか。私にはあんな超人じみた移動はできない」


それでも逃げられては困るので、ヤマトはコブラを見失わないように走って追いかけていく。

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