第7話 死神と大馬鹿者
数時間後。
ようやく落ち着いた和澄は、夏彦の家の縁側に座っていた。
最も泣き腫らした目の、その視線は地面を向いたままだ。
項垂れる和澄の目の前に、そっと温かいお茶が差し出された。
「そこにいるんだよね?はい、お茶」
「……ありがとう。」
お茶を手にし、フーフーと冷ます和澄。
突然宙に浮いたお茶を興味深く見つめた夏彦は、和澄の隣に座ると、お茶を手にした。
しばらく流れる、沈黙の時間。
その沈黙を破ったのは、夏彦だった。
「さっき聞いたけど、君は座敷童なんだね。だから、私には姿が視えないんだ」
「……そうや。我の姿は3種類の奴にしか視えへん。1つは霊力の強い者。2つは我と同じ異形の者。そして3つは――」
言葉を切る和澄。
そして顔をあげると、真っ直ぐと夏彦を見つめた。
「死者、もしくは死に近い者。つまり『死が確定している者』や」
「……私はその中の3つめってところかな」
夏彦の言葉に和澄は反応しない。
そのまま話を続ける。
「……我の声が聞こえる段階で、既に怪しかったんよ。普通なら声すら聞こえんから。でもたまに、子供や勘のいい大人が我の声を聞くことがある。やから夏彦も、そうなんだろと思ってた。でも違った」
和澄は夏彦にグッと顔を寄せた。
「なぁ、夏彦。今は我が見えるか?」
「いや、ハッキリとは見えない。でもたまに、裾や赤い袈裟が翻るのが見えたりするよ。本当に一瞬で、見間違いみたいなもんだけど」
その言葉に和澄は肩を落とした。
「例え着物だけでも一瞬視えるなら、間違いなく死が近づいてる。『宣告』みたいなもんや。夏彦は、そう遠くないうちに死ぬ」
「……そうかい」
夏彦は静かに頷く。
そこに、焦燥や恐怖の色はなかった。
「ふふ……死神のお告げやよ?お告げは、間違いなく的中するんやから」
「死神?君は座敷童じゃないのかい?」
「座敷童で『死神』。普通の人間からすれば、我は死ぬ間際の者にしか視えん。我の姿を視た者は死ぬ。死を連れてくるも同然や。やから我は『死神』なんよ」
そう言って自嘲気味に笑う和澄。
表情とは裏腹に、その目はハッキリと悲しい色を帯びていた。
「いつもは『関われる人』を避けてきた。驚かせて、怖がらせてきた。そんで終わりや。我は死神やから。我と話した者は、勝手にみんな死んでいってしまうから。でもな、夏彦の時は、その機会を逃してしもうた」
和澄がお茶を一口すする。
「一緒に話してな、朝顔の世話をしているうちに楽しくなって、いつからか怖くなったんよ。妖怪だってバレることも、夏彦がいつか死ぬことも。いつかこうなるって分かってたんに、見て見ぬ振りをした。楽しかったんに、心のどこかで寂しくて、怖かった」
お茶の水面に、ポタリと涙が落ちた。
「あん時夏彦に馬鹿って言ったけど、馬鹿は我やな……分かってたんに……分かってたんに……」
涙がとめどなくポロポロ零れる。
その手が、震える。
夏彦は和澄の話には返答せず、頭をそっと撫でると、視線を落としたまま尋ねた。
「……私の話も、聞いてくれるかい?」
「夏彦の、話?」
「そう。君には話していない、『朝顔畑を作ろうと思ったきっかけ』の話」
黙って頷く和澄。
沈黙を了解と捉えた夏彦は、独り言のように話し始めた。
「今は一人なんだけどね、数年前まで私には家族がいたんだ。三春っていう、君と同じか少し年下の娘がね」
「ミハル...三春。だいぶ前にそんな名前聞いたわ。夏彦、婚約してたんやな」
「意外かい?私だって昔はモテたんだよ?」
満更でもなさそうに笑った夏彦は、話を続けた。
「妻は三春が物心つかないうちに他界。男手1つで、あの子を育てたんだ。でも私も病気で寝込みがちでね、三春にはよく心配をかけたもんさ」
そう言って懐かしむように、空を見上げる。
「ある日、三春が朝顔の種をもらってきたんだ。それで言ったんだよ。『朝顔を庭いっぱいに咲かせて、私の病気を治して母にも会いに行く』ってね。植物は病を癒すし、朝顔はどこまでも伸びるから、お空の母にも会いに行けるんだと。子供の想像力は大したもんだね」
一口お茶をすする夏彦。
それから小指を宙に差しだした。
「その時に約束したんだ。『庭を朝顔でいっぱいにする』と。病気を治して妻にも会いに行くと。叶わない約束だったけどね。だけどそれは、思いもよらない、最悪な形で潰えることになった」
「最悪な形……?」
首を傾げる和澄に、夏彦は悲しそうに笑って頷いた。
「死んだんだ。追加の種を買いにいった先の町中で、侍の斬り合いに巻き込まれて。朝顔の種を最期まで、三春は手放さずにずっと持っていた。血塗れた巾着袋を見つけた時は、ただ泣くしかなかったよ。まさか、娘に先に逝かれてしまうなんてね」
夏彦は、ゆるりと首を振るとお茶を静かに置いた。
「生きる希望を無くしたよ。ただ毎日を消費した。死ぬのを今か今かと待ち続けた。でも、そんな絶望の中であの約束だけが忘れられなかったんだ」
「……朝顔?」
頷く夏彦。
「『朝顔を庭いっぱいに咲かせる』。あの約束と、娘の笑顔が忘れられなくて」
そう言って微笑むと、両手を広げた。
「私も信じてみたくなったんだ。娘が信じたお伽噺を。例え実現しない夢だったとしても、たった一つの私と娘を繋ぐ約束で、心の拠り所だったから」
「そっか……」
全てを失った夏彦が始めた、朝顔畑作り。
それは途方もない夢で、決して叶うことのない約束。
――それでも夏彦はすがりたかったんや。
僅かな希望を見出したくて。
どうしようもない喪失感を埋めたくて。
だから朝顔は、彼にとって生き甲斐で、希望なんだと。
「だからね、私も馬鹿なんだよ。もしかしたら和澄ちゃんより大馬鹿かもしれない。だってこれは、間違いなく実現しない夢なんだから。……そんな約束に、君を付き合わせてしまったのだから」
後半、申し訳なさそうに呟いた夏彦は、首を振ると顔をあげて微笑んだ。
「……和澄ちゃんと一緒に朝顔畑を作るのは楽しかったんだよ。騒々しくて、笑いが絶えなくて。三春が戻ってきたみたいで嬉しかったんだ。前から君が人間じゃないって薄々気づいてたけど、こんなに楽しい日々を終わらせたくなくて、ずっと黙ってた。私のほうこそ、ごめんよ。だけど、これだけは言わせてほしい」
そう言うと、夏彦は珍しく真顔で、和澄のいる方向を見据えた。
「君は死神じゃない。少なくとも私に、楽しい思い出をくれたんだ。だから、泣かないで。自分が死神だなんて蔑まないで。君は怖い死神なんかじゃなくて、朝顔よりも早起きを頑張る『和澄ちゃん』だろう?」
「な、つ……彦……」
自分が座敷童であること、視た者は死ぬこと。
普段ならみんな逃げ出すような内容を全部言ったにも関わらず、怖がらず黙って聞いていたこの男。
挙げ句の果てに、『死神』なんて言うなと励ましまでしてきた。
――ここで嫌われて、全部終わりにするつもりやったんに。
そうすれば、お互いに苦しむことはなくなるはずだった。
でも、それも出来なくなってしまった。
いったん止まっていた涙がもう一度溢れる。
一生懸命袖で拭った和澄は、震える声で辛うじて言葉を口にした。
「馬鹿や……やっぱり夏彦は馬鹿や……」
それから顔をあげる。
嬉しさと悲しさが入り交じった、泣き笑いの顔だった。
「ふふ、光栄だね」
柔らかく笑った夏彦は、「どうする?」と尋ねた。
「朝顔畑。話した通りで、これは『約束を守るため』なんかじゃない。最早、私の自己満足でしかないんだ。それでも君は、この途方もない夢を手伝ってくれるかい?」
「何言うてんの。元々我は、夏彦が作る朝顔畑を見たくて手伝ってるんよ?約束なんて知らへんわ!」
明るい調子で夏彦の肩をバシッと叩く。
和澄が触れられる――それは、夏彦が確実に死へと向かっている証拠。
一瞬顔を強ばらせた和澄だったが、首を振ると今度は優しい口調で言った。
「やから、最後まで付き合わせてもらうで。朝顔畑が満開に咲く、その瞬間まで」
その言葉に目を見開く夏彦。
一拍置いて、微笑んだ。
「和澄ちゃんもやっぱり馬鹿だよ。……ありがとう、最期までよろしくね」
それは花のように優しく、儚い笑みだった。
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