蒼天の雲~14~
天幕に入ってきた斎公は、そこにいる者達をざっと見渡すと、挨拶もせずにいきなり膝をついて頭を下げた。樹弘は面食らった。
「斎公、おやめください。そのようなことをなさっては……」
「いえ、泉公が尊毅討伐について諾と言っていただかなければ、頭をあげることはできません」
「弱ったな……」
斎公は完全に面子を捨てにかかっていた。こうなれば梃子をもってしても動くことはないだろう。
「ひとまずお顔をあげてください。顔を伏せられていては話もできません」
樹弘が言うと、斎公はゆっくりと顔をあげた。改めて近くで見ると、その瞳には鬼気迫るものがあった。
「先程の会盟では失礼しました。つい気分が高まり、暴言を吐きました。それをご容赦いただき、是非とも尊毅討伐の義軍にご参加ください」
斎公の尊毅への憎しみ、そして国主への執着心は常軌を逸しているように思えた。少なくとも樹弘には理解できなかった。
「斎公はどうしてそこまで国主という地位に拘るのですか?」
「何を仰る!斎家は斎国の国主たる家系なのです。国主となるべきは当然であるし、その地位に固執するのは当然でありましょう」
斎公は自らの発言に疑念を抱いていないようであった。やはり斎公は観念の人であり、国主という地位に執念を持つ亡者なのだと思った。樹弘とはまるで正反対の存在であった。
「斎公、僕は泉家の血を引いているようだが、市井の極貧の生活を過ごしました。それがどういうわけか色々あって今の地位にいます。僕は一度たりとも国主の座を欲したことはありません。そこにいる老人と仲間達に担ぎ出されて、国主となってしまいました」
樹弘は甲元亀を指さした。甲元亀は苦笑していた。
「極貧の生活から抜け出したのはありがたいですが、その代わりに国主としての責務を負わされてしまいました。正直なところ、今でも時々、国主の座をかなぐり捨てたい時がありますよ」
斎公は驚いたように目を丸くしていた。斎公からすると樹弘の発言の方が信じられないだろう。
「それでも僕が国主をしているのは、僕のことを信じてくれる家臣、臣民がいるからです。彼らが僕に国主をしろと言い続ける限り、僕は国主でいたいと思っています」
樹弘としては、国主とはこうあるべきであるということ自分の思いを斎公にぶつけたつもりであった。しかし、斎公には響くものがなかったようで、きょとんとしていた。
「家臣、人民があっての国主と言うことですよ、斎公。翼公も仰っていましたが、今の貴方は二人の従者しかいない。貴方が臣民から見放された何よりもの証拠です。もし、貴方が国主として慕われていたのなら、多くの家臣が従ってきただろうし、臣民も供に加えてくれと言ってきたでしょう。そのような人は一人でもいましたか?」
斎公は項垂れた。斎公からすれば、認めたくはない事実であろう。
「それだけではない。今の国情は分かりませんが、追われた斎公のために誰かが兵を挙げた様子もありません。貴方はそのことを噛み締めたことがありますか?」
「それは勿論のことだ!息子を失い、余が国主となることを助けてくれた者達が次々と去っていった。だが、その理由が分からぬのだ。神器がないからかと思っていたが、そうではないと北定に窘められた……」
「北定殿は我が国に使節として来られた方ですね。あの人は聡明であり、他者から学ぼうという謙虚さがありました。そういう人が朝堂から去ったというのも、今の斎公を見れば頷けます」
「……返す言葉もない」
「斎公、もし貴方が尊毅を討伐することを望むのなら、それを頼むのは義王でもなければ僕達でもない。斎国で貴方を信じ慕っている者ではないですか?」
今となってはそれも難しいだろう。斎公には気の毒であったが、斎公が自力で尊毅を討ち、斎国を取り戻すのは不可能であろうと思われた。
斎公が去ると、樹弘は大きくため息をついた。
「お疲れが出ましたか?」
景蒼葉が気を利かして茶を注いでくれた。
「どうも斎公という人と話していると気疲れする。僕と考え方が違うというか何というか……」
「斎公は条公が健在の時より国主という地位に対して並々ならぬ執念を燃やしておりました。そこら辺が主上と違いのでしょう」
「元亀様の言うとおりなら、僕だけじゃなくて章季さんもそうだし、龍公や極公も同じかもしれない。いや、翼公も同じかな。そこまで国主になりたいと思ったことがない」
「皮肉というものでしょうか。私も叔父上が亡くなって、消極的な状況で国主になりました。ですが、そのおかげで国主という地位がよく見えているような気がします。いかに自分の立場が危うく、家臣や国民から信頼を失えばすぐにその地位から転げ落ちてしまうかということを」
「章季さんの言うとおりかもしれないな。斎公は自分と国主としての自分の地位を見失ってしまったんだ」
樹弘は自分への戒めを込めて言った。
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