泰平の階~103~

  斎治による新政が揺らぎ始めている頃、当の斎治はあることに熱中していた。それは神器を探すことであった。


 斎国には『地斎の矛』という神器が存在していた。しかし、初代条公である条元によって領土と国号を奪われて以来、神器は行方知れずになっていた。それからすでに二百年以上も経過しているので、斎国の誰しもが神器などすでに無いものとして考えていた。斎治も神器に対する意識は極めて低かったが、ここ最近では、


 『余の政が上手くいっていないのは神器がないからではないか?』


 と思うようになっていた。これには斎治にそのように吹き込んだ人物がいた。中務卿の覚然であった。


 「やはり神器は必要でございます。古今、神器なくして聖人、名君となられた者はおりません。現在の中原で賢君といわれている静公、翼公、そして泉公はいずれも神器をもった真主です。我が国が百年安定の国家を作るためにも、神器の探索は必要です」


 覚然という男は、長きに渡り斎家に仕え、祭礼を司ってきた。費資による一回目の決起の時も、斎治の慶師脱出から哭島に流された時も、巧みに身を隠しており、条家が滅びて斎国が復活すると、さも当然とばかりに中務卿という要職に収まったのである。坊忠と並び、諸侯や武人達の怨嗟の的になっている一人でもあった。


 覚然に神器のことを言われ、初めてその必要性を感じた斎治は、一度北定に諮問したことがあった。北定の返答はにべもなかった。


 「神器など必要ありますまい。神器をもたなかった条国は二百年の歴史を積み重ねてきたのである。神器がなければ国がまとまらぬというのは迷信。そのようなことは万事に余裕ができた時にするものです」


 丞相である費俊も同様の考え方であり、


 「今、我々に必要なのは神器ではなく、国を整備するための資金と人力です。その二つを放出するような事業を行うほど余裕はありません」


 北定と費俊。この二人に言われれば無理を通すことができない斎治であったが、諸国歴訪していて北定はいない。ましてや諸侯や武人達が斎治に心服せずに、きな臭い状況になりつつある。斎治は断行することを決意した。


 「なんとしても神器を探し出すのだ」


 斎治は密かに覚然に多額の資金を与え、神器探索を命じた。しかし、覚然はその資金の大半を着服し、後にこれが発覚して大問題となるのであった。




 斎治は神器探索に積極的になっていたが、それどころではない動きが進行しつつあった。恩賞の不満により自領に帰った赤崔心が、自らの籠る砦に兵糧や武器を運び込んでいるという情報がもたらされたのである。赤崔心の反逆の意思はもはや明確であり、それを隠そうともしないということは、近いうちにその意思を白日の下にしようとしているのは間違いなかった。


 「すぐさま討伐すべきであろう!先祖のことはどうであれ、野盗の如き人物が主上の恩賞に不満を持つなど許されることではない」


 六官の卿と将軍達が列席する朝議で赤崔心の話が持ち上がると、坊忠が声を荒げて主張した。これに対して真っ向から異見を述べたのは尊毅であった。


 「身分のことではなく、赤殿も主上の御一新に尽力した一人ではないか!しかも、早い段階から探題が守る慶師を脅かし、条家を疲弊させてきた。その働きは一軍にも勝るとも劣らないものであった。赤殿は評価されて然るべきであるし、一方で主上が大変な時期に沈黙して何もしてこなかった連中が莫大な恩賞を貰えれば、不満も起こりましょう」


 尊毅の言っていることは、多くの武人の不平不満を代弁していた。このところ尊毅は公的な場所でも坊忠達への対立姿勢や現在の政治への不満を隠そうとしなかった。


 「黙れ!武人共は我らの言に従っておればいいのだ!」


 坊忠の言葉に尊毅の後に控えている将軍達が騒ぎ出した。


 「黙るのは貴様だ!いつから我らは式部卿の配下となったのだ!」


 「我らが戦っていた時、貴様はどこにいたのだ!言ってみろ!」


 朝堂が騒然とした。武人達と文官の坊忠達の対立を煽る。これこそ尊毅が狙ったことであった。


 尊毅は密かに騒ぐ武人達を見た。ここで騒いでいる者達は将来味方になる。ほとんどの武人が騒ぎ喚いていたが、新莽などはじっと何かを堪える様に黙り込んでいた。


 「大将軍、何か仰ってください」


 尊毅は矛先を斎興に向けた。斎興は静かに口を開いた。


 「坊忠。お前が言うとおりなら、俺もお前に従わなければならないのか?」


 斎興がひと睨みにすると、坊忠は顔をひきつらせた。


 「そ、そういうわけでは……」


 「では、黙っておけ。主上、赤崔心の件は今しばらくお待ちください。できる限り、戦がないように収めたいと思います」


 斎興はもはや坊忠を見ることなく、斎治に向かって発言した。


 「分かった。この件、大将軍に任せる。穏便にな」


 「はっ!」


 このやり取りに、先程まで騒いでいた武人達は感嘆の声を漏らし、手を打って称賛の意を表した。武人達は斎興が坊忠に対して強く出たことを喜び、武人達の代表となってくれると信じたようである。


 そう上手くいくかな、と尊毅は、心のうちとは裏腹に自らも手を打って斎興に賛同する意を表した。

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