泰平の階~92~

 それか頻繁に斎香は劉六のもとを訪ねてきた。最初の頃は医学校の教室に入り込む程度であったが、最近では劉六の宿に押し掛けることもあった。


 『奇妙な姫様だ』


 単なる冷やかしではなく、劉六が話を始めると、斎香は身を傾けて熱心に聞き入っていた。だからと言って専門的分野を作ろうというわけでもなく、劉六が話す内容は多岐に渡った。しばらくそのような日々を送っていると、劉六はひとつの結論に辿り着いた。


 『彼女は好奇心が強く、全身で知識を渇望しているのだ』


 劉六のように生業として知識を取得しようとしているのではなく、謂わば学者が専門分野での真理を極めようと学問をしているのに似ていた。いや、斎香のそれは、学者のように禁欲的ではなく、無邪気で好奇心旺盛な子供が親にあれやこれやと訊ねているようなものと言った方がよいかもしれない。話をする劉六の方も、斎香の熱心さに影響され、ついつい熱っぽく語ってしまった。


 その日も劉六は、宿に押し掛けてきた斎香に戦略と戦術について講義をしていた。


 「このように戦術のみを理解していては駄目なのです。戦略を正しく理解してからこそ戦術が活きてくるのであり、逆に戦術を知らなければ戦略も立てられないのです」


 「戦略は大なるもので、戦術は戦略を実現するための手法ということですね」


 「簡潔に言えばそうです。しかし、斎香様はこのような話を聞いて面白いですか?」


 「面白いですわ。先生の話を聞いていたら、頭の中に敵味方が入り乱れる戦場が思い浮かびます。そうは思いません?」


 斎香に同意を求められたのは僑秋であった。僑秋は複雑そうな表情で、はぁと生返事をした。斎香は僑秋にも話をねだることもあったが、僑秋の方はやや迷惑そうであった。


 「そうそう、先生。今日はお誘いしたいことがありますの」


 「お誘い?」


 「そうです。今度、斎慶宮で宴がございますの。ぜひ先生と僑秋さんにも参加していただきたいんです」


 劉六は顔をしかめた。どうにもそういう席は苦手であった。これまでも斎興や結十に誘われたことがあったが、劉六は常に断ってきていた。


 「私は仕事があります」


 「そんな一日中お仕事をなさっているわけではないじゃないですか。たまには息抜きをなさってもよろしいかと思います。ねぇ、僑秋さん?」


 またまた同意を求められた僑秋は、ひっくり返るような声ではいと答えた。


 「息抜きね……」


 劉六にとっては煩わしい宴は息抜きになるはずもなかった。しかし、その劉六の得意な体質に僑秋を付き合わせていたとなれば、師匠として失格かもしれない。


 「わが師、適庵先生も休学の時は私達弟子を酒の席に誘ったものだ」


 劉六が唯一、そのような会合に参加したのは、適庵門下にいた時ぐらいであろう。それ以来、まるで枷のように禁じてきたが、一日ぐらいはいいかもしれない。


 「よろしいでしょう。一日ぐらいならお付き合いしましょう」


 「やった!」


 斎香は手を打って喜んだ。本当にこの女性は姫君なのだろうか。劉六は好奇心からそれを確かめたくなっていた。




 条家が倒れ、斎治が斎公として国主になって以来、斎慶宮では連日連夜、何かしらの宴が行われていた。もともと国主というものは現実的な政以外にも祭礼を行うという要素もあり、それにまつわる宴も多かった。しかし、それを除いたとしても連日連夜は多すぎというべきであり、北定などはほどほどにするように忠告していた。


 「今宵は御一新に功績があった武人の方々を顕彰する宴なんですのよ。ふふ、先生には相応しいですわね」


 斎慶宮の門前で劉六を出迎えてくれた斎香は眩いばかりの衣装を着飾っていた。


 『やはりこの人は姫君であったか』


 劉六は妙なことで納得してしまった。


 「それにしても先生、僑秋さん。もうちょっといい服はなかったんですか?」


 斎香は劉六と僑秋の全身をじっくりと見ていた。


 「今日の昼間に古着屋で見つけてきた。一張羅だと思ったんだけどな」


 劉六は自分の衣装を改めてみたが、それほどみすぼらしいとも思わなかった。


 「ま、先生はそれでもいいでしょう。でも、僑秋さんは可哀そうですわ。それも古着?」


 「え、ええ」


 僑秋が恥ずかしそうに頷いた。


 「じゃあ、私のを貸して差し上げますわ。いつも楽しいお話を聞かせてもらっているお礼です。ささ、どうぞどうぞ。先生はその間、お待ちください」


 斎香は僑秋の手を取って、どこかへ連れて行った。侍女達が慌てて斎香達を追いかけていった。


 「やはり姫君じゃないのかもな」


 劉六は呟きながら、残った侍女に案内されて斎慶宮の奥へと向かった。

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