泰平の階~81~

 魏介の手引きによって栄倉を脱出した新莽は、かつての領地に潜伏していた。領民達は実直な武人である新莽を慕っており、必死になって匿ってくれた。特に新莽の姉―魏介の母は、自らが所有する山荘の一室を新莽に与えてくれた。


 しかし、この潜伏生活は長く続かなかった。しばらくして尊毅が斎治の側について慶師を陥落させたという情報が入ってきたのである。


 「叔父上、今こそ決起すべき時ではないですか?」


 同じく潜伏生活をしている魏介が、身を寄せるようにして熱っぽく語りかけてきた。すでに新莽のもとには斎治からの綸旨が届けられていた。また魏介は、槍置で釈放されて以来、斎興と誼を通じているようで、彼の密書を懐中に収めていた。


 「すでに斎興様が栄倉攻略のために軍を進めております。これで栄倉を落とせば、勲一等は叔父上にものになります」


 そのようなことは魏介に言われずとも分かっていた。新莽としても決起することにやぶさかではない。そのための準備はあらかた整っており、新莽が一声あげれば、千人近くの兵士が糾合できる手はずになっていた。


 『しかし、勝てるか……』


 一方で武人としての冷静さがそう思わせていた。斎興の軍は多く見積もっても二千名には満たないであろう。それは槍置での戦いから察することができた。合算して三千名程度の軍勢で、栄倉を落とすのは至難の技であろう。


 『尊毅が多くの軍を連れて出ているとはいえ、栄倉近隣の諸侯が与力すれば、条公は五千名以上の手勢を揃えることができる』


 人数だけではない。栄倉という地形を考えれば、攻めるのは非常に難しい。


 「叔父上が逡巡されているのも分かります。しかし、今は時勢に乗るべきです。たとえ我らが栄倉の門前で討ち死にしたとしても、斎興様が続いてもらえればそれでよいではありませんか」


 魏介の熱量は凄まじかった。それほど斎興に心酔しているということもあるだろうが、それよりも条高より受けた屈辱を思えば、剣を抜いて倒れるべきだというのが魏介の武人としての矜持なのだろう。新莽もまったくもって同じ気持であった。


 「やるか。事を起こせねば前には進まん。どうせ失うものなどもはやないのだ」


 新莽は立ち上がった。すぐに同心している者達に書状を出す一方で、近隣の諸侯に檄文を飛ばした。わずか五日で軍を組織することができた新莽は、疾風のように進撃した。




 新莽がまず目指したのは魏広という武人の屋敷であった。魏という姓で分かるように新莽の甥である魏介の縁者である。新莽の姉が嫁いだ魏家の頭領であり、新莽が罪人になっても姉に累が及んでいないのも魏広が奔走したからであった。


 魏広は、かつて新莽が有していた領地の管理を任されていた。縁者ということもあって新莽にはやや同情的で、新莽が栄倉から失踪したと聞かされた時も、そのまま密やかに生きて生を全うして欲しいと願っていた。


 しかし、新莽からすると、魏広のそのような気持など知らず、かつての自分の領地に居座っている条高の手先にしか映らなかった。新莽は魏広の屋敷を強襲した。魏広は突然の襲撃をよく凌いだが、ついには支えきれず、屋敷を脱出して敗走した。


 「我らには斎興の綸旨がある。心ある者は我の下に集まれ!」


 魏広の屋敷に入った新莽はさらに檄文を出し、こちらに向かいつつある斎興にも使者を出した。本来であるならば、新莽は斎興の来着を待って進軍してもよかったのだが、状況が許さなかった。敗走した魏広が自領で軍勢をまとめて反撃に出たのである。


 「ここは我らが父祖が築き、守り続けた土地ぞ。一歩たりとも敵を入れるな」


 魏広が反撃に出たと知った新莽は、守勢に立つのではなく、進軍してくる魏広軍に襲い掛かった。またしても新莽の強襲を受けた魏広は一戦するだけで粉砕され、これに恥じた魏広は戦場で自刎して果てた。


 この時、新莽軍は栄倉まで五舎近い距離にまで迫っていた。魏広軍と戦っているうちにそこまで移動していたわけだが、ここでも新莽は待つという判断を捨てた。


 「このまま栄倉へ進軍する!」


 新莽からすると勢いというものを大切にしたかった。そして、誰よりも早く栄倉に辿り着けば、また蝶夜を抱けるのではないかという淡い幻想を抱えていた。


 新莽軍の勢いは凄まじかった。新莽軍の行動は、すでに栄倉に知られるようになり、当然ながら迎撃の軍が出された。その将軍は円洞の子息である円完。数は五千名を越えていた。


 それに対して新莽が率いている戦力は二千名にも届いていない。それでも新莽は怯まなかった。


 「円完など何するものぞ。所詮は栄倉宮の隅で父親の裾に縋って生きてきたような男だ。粉砕してやれ!」


 騎虎の勢いの前に戦略や戦術など不要であった。円完軍が眼前に現れるや、止まることなく真正面から突っ込んできた新莽軍は、瞬く間に円完軍を蹂躙し、文字通り粉砕してしまった。後にこの戦いの詳細を見聞した劉六が、


 『緻密な戦術よりも、野蛮な勢いの方が恐ろしい』


 と評論づけたほど、新莽軍は何か取り憑かれるように栄倉へと猪突猛進していった。もはや新莽軍を遮る者はなく、栄倉へと続く七本の山道があるだけであった。

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