泰平の階~69~

 槍置で大敗した新莽は、着の身着のままで栄倉へと逃げ帰った。


 本来ならば途中の拠点で態勢を立て直すべきだったのだが、それらは別動隊である少洪覇によって悉く制圧されており、栄倉まで逃げ帰るしかなかった。


 供回りは十名ほどしかいない。家重代の鎧も逃げるのには重すぎて打ち捨てており、汚れた粗衣しか纏っていない。そのみすぼらしい格好は、条国きっての名家である新家の武人とは思えなかった。


 すでに敗報は栄倉に伝わっているだろう。果たしてどのような処遇を受けるだろうか。少なくとも温かく迎えられることはないだろう。


 『せめて条公にお目通りし、謝罪した上で挽回の機会を頂きたい……』


 敗北の将として厚かましい願いであろう。しかし、自分は条高の愛妾を貰い受けた身である。条守全と尊毅と対抗するために紐帯を強めたいと条高が直々に言ってくれた仲である。あるいは条高は温情をかけてくれるかもしれない。


 淡い期待を抱きながら、栄倉へと続く山道を下っていくと、関所が見えてきた。平時ならば門番の兵士が数人いるだけであるが、数十人はいるだろうか。


 『もしや敵が近くまで……』


 自分が敗戦したがために、敵が押し寄せてきたのではないか。胸騒ぎを覚えた新莽は駆け出した。


 「我は新莽である。て、敵はいずこか……」


 もし敵が近くにいるとすれば、すぐにでも自分が指揮を執らねばならない。新莽の焦りを余所に、門番の兵士達は実に冷静であった。


 「新莽殿ですか?」


 隊長らしき男が出てきた。疑わし気に新莽を見ている。


 「いかにも新莽だ。主上にお目にかかり、迎撃の指揮を……」


 「主上より貴殿を拘禁するように指示を受けております。ご無礼を」


 隊長が手をあげると、兵士達が新莽を取り囲み、押さえつけられた。そのまま後ろ手に縄をかけられた。新莽は何をされているのか分からず、呆然とされるがままであった。




 拘禁された新莽は自らの邸宅に軟禁された。新莽の邸宅は、条高の兵士達によって占拠されており、家臣や使用人達もいなかった。そこでようやく新莽は途轍もない事態になっていることに気づかされた。


 「主上に!主上に目通らせてくれ!頼み!」


 人気がまるでない部屋に押し込められた新莽は枯れんばかりに声を張り上げたが、応える者はいなかった。


 「そうだ!蝶夜だ、蝶夜はどこだ!蝶夜は!」


 当然ながら蝶夜が答えることはなかった。


 数日間、新莽は軟禁されていた。食事は与えられ、邸宅内なら行動の自由は許されたが、新莽はろくに食事も取らず、じっと私室の中で端座して動かなかった。それはまるで進んで謹慎しているようであり、見張りの兵士達は、


 「流石名のある武人だ」


 「いやいや、もう諦めておられるのだよ」


 と口々に勝手なことを言い合っていた。


 そして軟禁されて一週間ほど過ぎて、条高の使者として円洞が訪れた。


 新莽が閉じこもっている部屋に入ると、むっとした臭気が襲ってきた。


 「風呂にも入っていないのか?」


 円洞は堪らず見張りの兵士に聞いた。


 「はい。我々はおすすめしたのですが……」


 「後で無理やりにでも風呂に投げ込め」


 ひとまず円洞は臭気を逃がすために窓を開けさせた。


 部屋の中央で端座している新莽の前に進み出ると、その容貌に驚かされた。頬はやせこけ、髪は乱れ果てていた。しかし、瞳だけは鈍く輝き、じっと円洞を見上げていた。


 『これがかつての武人か……』


 変わり果てた姿、と言うべきだろう。新莽が意図してそのようにしているとなると、この軟禁に対して抗議しているのが明らかであった。


 「主上から御沙汰があった。謹んで聞くように」


 果たして素直に聞き入れるか。円洞は多少不安に思いながら勅諚を読み上げた。


 「臣、新莽。賊徒討伐を命じられながらも、それを果たせず多くの兵士を死なせた罪は重い。よって領地没収の上、新家は断絶。新莽は死罪とする」


 円洞は書状を文面を新莽に見せた。じっと食い入るような眼で文章を追った新莽は、読み終わると呻き声を漏らして俯いた。


 「刑は明後日に行われる。何か言いたいことはないか?」


 「蝶夜は……蝶夜はどうしましたか?」


 この期に及んで女のことか。唾棄したい気持ちになった円洞であったが、死にゆく相手に教えぬのも酷であろうとも思った。


 「蝶夜様は主上のお屋敷に戻られた」


 感情を押さえて冷厳に言い放つと、新莽の大きな嗚咽を漏らした。円洞はなんとも情けない気持ちになった。


 『かつての武人も女に溺れて、武人の矜持を忘れたか』


 だから千山軍のような庶人の寄せ集め軍に敗れるのだ。こうなるのも仕方あるまいと思った円洞はもはや言わず、新莽の邸宅を後にした。

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