泰平の階~67~
新莽軍の同士討ちが終わり、槍置に静謐が戻ったのは翌日の昼前であった。劉六と斎興は、戦場となった場所で合流したが、敵の同士討ちがあまりにも凄惨で、勝利の喜びを分かち合う気になれなかった。
「勝利したとはいえ、この光景の前では素直に喜べないな」
斎興は正直な感想を漏らした。戦場であった場所には敵兵の遺骸や武具で埋め尽くされていた。生き残った者達は逃げ出せたか、斎興軍に降伏した。
『斎興様は有徳の人だ……』
劉六は斎興という人物に魅せられはじめていた。ここで勝利を無邪気に喜ぶようであれば、斎興は天下に対して大事を成せないであろう。斎興は貴人であるかもしれないが、その半生は決して恵まれたものではなかった。そのことが人格形成に大きく影響し、今に活きているのだろう。
「斎興様。差し出がましいことですが、ここでの光景を目に焼き付けておきましょう。我らが少しでも誤りを犯すと、次にこうなるのは我らです」
「尤もなことだ、劉六。これは我らにとっての戒めともしなければならない」
斎興は亡骸となった敵味方将兵の埋葬を命じると、山城へと引き上げていった。
斎興には大将としてやるべきことがあった。捕虜とした降将と会うことであった。
劉六が捕らえた魏介は、戦闘が本格的に終了するまで山城の牢に入れられていた。数刻前から山城の雰囲気からして、新莽軍が大敗したことは察していた。そして牢から出され、斎興と引見するに及んで、自軍の負けを確信するに及んだ。
「我が軍は負けたのですか?」
魏介は、床几に座る斎興を前にして確認するように訊ねた。
「武運つたなく、貴軍は敗れたが、勝敗は武人の常だ。この敗北で気に病むことはない。一手間違えれば、俺が戦場の骸となっていたのかもしれないのだ」
意外にも斎興は温かい言葉をかけてくれた。それだけではなく自らの手で縄目も解いてくれた。
「勝敗が決した以上、俺としては無用な殺生を好まない。数日分の食料を与える故、放免とする」
「放免ですと……」
条高に仕える武人として処刑されると思っていただけに、放免とは予想外であった。
「言ったであろう。俺は戦場以外での殺生を好まない。次にまた戦場でまみえるかもしれないが、その時は手加減してくれれば嬉しい」
斎興は笑いながら言った。そこには勝者の驕りなどなく、純粋に諧謔を楽しんでいるように見えた。
『このお方は……』
魏介は斎興に人物的な魅力を感じていた。人柄として引きつけられるものが斎興にあった。
『条公とは違う……』
条高と対面した時も魏介は感動を覚えた。しかし、それは条公という権威を纏った条高に相対したからであり、権威が剥がれた条高に同じような魅力を感じただろうか。いや、条高の人間的な魅力など分かるはずもなかった。条高には条公という権威しか見えなかった。
それに対して斎興には包み込む権威などない。いや、斎治に子息という立場ではあるが、今のところそのような身分にほとんど価値がなかった。それでも斎興に魅力があるのは、生の人間としての魅力が溢れんばかりに輝いているからであろう。斎興という貴人は、生まれながらにして人の上に立つ素養を持っているのかもしれない。
『仕えるべきはこういうお方なのかもしれない……』
そのようなことをほんのりと思った魏介は、燻る何かを抱きながら、ひとまず槍置の山城を去る道を選んだ。
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