泰平の階~63~

 わずかな勝利ではあったが、敵を撃退したことで槍置の山城は勝利に湧いた。


 『この程度は当たり前のことだ』


 斎興を補佐するために自らも槍置の山城に入った劉六からすると、この緒戦の勝利は当然であった。劉六に言わせれば、勝つために槍置の山城を拠点として選び、改築したのである。しかし、こういう緒戦の勝利こそが味方の士気をあげることをも知っている劉六は何も言わなかった。


 「さて、そろそろ本業に戻るか」


 山城の本丸から少し下った山系の中腹部分に、野戦病院を設けていた。軍事参謀として槍置にやってきた劉六であったが、彼の本来の仕事も忘れていなかった。この野戦病院には先の戦いで負傷した敵味方の兵士が収容されていた。圧倒的な大勝だったので、味方の傷兵は少なく、ほとんど敵の兵士ばかりであった。


 敵の傷兵をも治療することについて、流石の斎興も最初は難色を示した。


 「条高に味方する者達を助けるというのか!」


 この手の説得は何度もしてきた劉六は即答した。


 「今でこそ条家に味方している者達かもしれませんが、ゆくゆくは斎公の兵となるものばかりです。治療して帰してやれば、斎公の徳の大きさを感じ、必ずや斎公のために働きましょう」


 元来、頑迷な質ではない斎興は、目から鱗とばかりに劉六の提案を受け入れ、寧ろ全軍に敵であっても傷兵は助けるようにと布告を出してくれた。


 野戦病院では僑秋が目まぐるしく働いていた。劉六はしばらく遠目から彼女の働き具合を観察していた。看護兵に出す指示も的確であったし、自らが下す処置も完璧であった。疲労はあろうが、目は生き生きとしていた。


 「君にばかり苦労をかけているな」


 劉六が声をかけると、はっとして目線をあげた僑秋は一礼をした。


 「先生、お疲れ様です」


 「もう一人前の医者だな。すっかり任せられるよ」


 「そんな……私なんてまだまだです」


 「謙遜することはない。医術というものは学問ではあるが、学問だけで終わることはない。実践を得てはじめて活きてくるんだ」


 そういう意味で言えば、僑秋の医術は学問から得たというよりも、実践の中から得たものであった。それだけに彼女の処置は実に適切で余分なことがなかった。


 『医者として彼女は充実している……』


 そのことを一応の師であり劉六は喜びを感じた。一方で、僑秋は幸せなのだろうかと思ったりもした。


 『年の頃ならば結婚して子供を成していてもおかしくないはずだ。ひょっとして彼女のそういう道を私が閉ざしてしまったのではないだろうか』


 劉六にはそういう後ろめたさがあった。


 「あの……先生?」


 「いや、君は辛くないか?その……女だてらに医者になって」


 「どうしたんですか、先生。先生がそんなことをお聞きになるなんて」


 「実は……」


 劉六は正直に自分が抱いていた後ろめたさを語った。僑秋はやや顔を赤らめながら聞いていたが、途中でぷっと笑い出した。


 「笑うところかね」


 「いえ……先生がそんなことを考えていたのかと思うと、正直言って面白くて……」


 「それは悪かったね」


 「先生。人の幸せなんて人それぞれです。私は医者として……先生の傍で働くことができて、それだけで十分幸せなんですよ」


 「それは本当に幸せなのかね?」


 疑問に思って劉六が問い返すと、僑秋は少し怒ったように頬を膨らました。




 それから一か月にわたり、新莽軍は度々槍置の山城を攻め続けてきたが、最初の砦すら突破することができなかった。


 『これは攻め方を変えた方がいい』


 ようやく発想を転換することにした新莽は、斥候によって周辺の地形を調べさせ、地図を作成させた。それによると、東にいったん戻り、北から槍置の後背に回れるのではないかと言う結論に達した。


 「敵が長期にわたって籠城するならどこかに輜重を運ぶ山道があるはず。そこから攻めて上るのだ」


 「叔父上!その部隊の指揮は私にお任せください!緒戦での汚名を晴らさせてください!」


 魏介が身を乗り出して名乗り出た。新莽として甥御に手柄を立てさせてやりたかった。


 「よし、新莽。任せたぞ。ただし、一気に軍を引きぬくと敵に気取られる。徐々に軍を切り離して迂回部隊を組織するのだ」


 新莽は、この作戦に光明を見出していた。今は焦る時ではない。しっかりと腰を据えて戦うことが、栄倉へと帰還する近道であると信じていた。

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