泰平の階~57~

 和芳喜と運命を共にしようとする者達は、夕刻に船丘に参集してから州口に向かって瞬発した。


 「州口の制圧は長九に任せろ。他の者は羊省の屋敷に襲え!」


 和芳喜は馬上から命じた。これもあらかじめ和長九によって提案されたことであった。


 『血気盛んな者達が州口に殺到すれば、略奪や暴行が行われます。そうなれば主上の名声も地の落ち、州口を今度の拠点とすることができなくなります。州口は私が制圧しますので、他の者達は羊氏の屋敷にやってください』


 羊省の屋敷ならば略奪もやり放題である。深夜近くになり、州口が近くなってきた。和長九は五十名ほどの手勢を率いて本体から離れて州口に向かった。和芳喜はそのまま本体を率いて羊省の屋敷を目指した。幸いなことに、これまで敵の姿はない。


 「これは上手くいく」


 和芳喜は確信していた。これで和氏の命運は良い方向に開ける。夜の闇の先に見えるのは眩いばかりの光であった。




 一方の羊省は完全に油断していた。この時点で斎治が哭島を脱出したことは承知していたが、探索隊を各方面に出すことしかしなかった。


 『権威を失った貴人に何ができよう』


 羊省はその程度にしか考えていなかった。斎治という人物の価値についてそれほど評価していないのは、栄倉や慶師から遠く離れた地にいる者の悲しさであった。たとえば和交政や少洪覇のような男がが近くにいれば、羊省も多少は違っていたのだろうが、そういう世情に対する疎さが羊省にとっては命取りとなった。


 その晩も、まったくの無警戒であった。お気に入りの家臣達を集めて酒を酌み交わしていた。


 「よいのですか、羊省様。斎治は条公からの預かり人。逃げられては色々とお叱りを受けるのではないですか?」


 赤ら顔の家臣を瓶を差し向けながら訊ねると、羊省はふんと鼻で笑った。


 「ふん、斎公など所詮過去の権威ではないか。今更何ができよう。どうせ寄る術もなく野垂れ死ぬだけであろうよ。その亡骸を回収しておけばいい」


 羊省は杯をあおりながら吠えるように言った。家臣達が阿諛するように笑った。その笑い声が近づきつつある馬蹄の音をかき消していた。




 「まるで警戒されておりませんな」


 副官が和芳喜の傍で囁くように言った。騎馬兵と歩兵を集めて百五十名。そこそこの軍勢が屋敷のすぐ傍まで来ているのに、敵からは一矢も飛んでこなかった。


 羊省の屋敷は山腹にある。屋敷に至るには麓の門を突破し、山道を進まなければならない。攻め難い場所ではある。しかし、兵士が配置されている様子はない。


 「一気呵成に行こう!こうなっては戦術など無用だ」


 和芳喜は騎馬から降りた。ここからは徒歩で行くしかない。


 「突撃だ!」


 和芳喜は自ら剣を抜いて駆け出した。


 「後れを取るな!」


 軍勢が波のように動いた。麓も門は閉じられていたが見張りはいない。瞬く間に門を破り壊すと、山道を駆けのぼった。屋敷の門にも兵士はおらず、和芳喜達は易々と屋敷に乱入することができた。


 「目標は羊省とその郎党共だ。見つけ次第、首を刎ねよ!」


 和芳喜自身、部屋から部屋を探しまわった。幾度目かの部屋の扉を開けた時に、ようやく羊省を見つけた。羊省はこの後の及んでも、騒動に気づいていなったようで、家臣達と大声で乱痴気騒ぎをしている最中であった。


 「何奴か!」


 流石に彼らは杯を投げ出した。宴の闖入者が襲撃者であることは理解したようだが、強かに酔っていて寸鉄も帯びておらず、足腰が立つ者もいなかった。


 「貴様!和芳喜!」


 羊省はすぐに和芳喜の顔に気が付いた。何度も顔を合わせているだけのことはある。


 「正義を知らぬ奸族め!天誅ぞ!」


 和芳喜は杯やら膳やらをひっくり返して羊省に斬りかかった。傍に剣を置いていない羊省は抵抗すらできずに斬られた。他の者達も、まるで抵抗できず、一方的に斬られてしまった。


 「不正義の奸族、羊省を討ったぞ!勝鬨をあげよ!」


 和芳喜は羊省の首を切ると、それを剣先に刺して高々と掲げた。えいえいおう、と勝鬨が屋敷に響いた。羊氏は一夜にして地上からその勢力が消滅した。




 州口の制圧と、羊省誅殺という吉報を船丘で聞いた斎治は、手を打って喜んだ。


 「芳喜はよくやってくれた。いや、これは従軍した者達すべての手柄だ」


 斎治は涙ぐみながら、和芳喜達の手柄を称えた。


 「主上。お喜びもほどほどに。これからでございます」


 北定が浮かれる斎治に釘を刺した。


 「う、うむ。そうだな。和芳喜達の力を得て、一気に慶師に帰還するか?」


 「いえ、和氏は一勢力ではあるでしょうが、条高を倒すにはまだ足りません。費俊の帰りを待ちつつ、綸旨を各地に出すのです」


 「綸旨……。条高を討て、という綸旨か?」


 「左様です。こうなれば相手を選ぶ必要はありません。条高に近い諸侯でも構いません」


 「誰彼構わず、ということだな」


 「はい。実際に味方にならずともよいのです。主上の勢いが加速する一方で、その綸旨が条高に味方する者達を疑心暗鬼に陥らすこともできます」


 「なるほど。よし、ならば早速に書こう」


 斎治は紙と筆を持ってくるように命じた。この綸旨こそが多くの人々の運命を変えることになる。

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