泰平の階~50~

 風が強く、波が荒い。


 吹き付けてくる風と呼応するかのように、波が容赦なく岸壁に叩きつけてくる。


 南部は気候が温暖で、波も穏やかであると聞いていたが、哭島だけはどうやら違うらしい。


 「だからこそ流刑地となったのだろう」


 斎治は哭島北端の岸壁の立つのが日課となっていた。視線の先には条国の本土があるのだが、海のかなたには何も見えなかった。


 哭島は半日もあれば一周回ることができる小島である。住む人はわずかであり、そのほとんどが羊氏の兵士とその家族である。彼らの主な仕事は海上警備であるが、流刑者が配流されるとその監視も加わった。


 斎治が立つ岸壁から南へ行くと、斎治達の住居があり、そのさらに南には小規模は集落がある。哭島の唯一の津には、その集落をさらに南へと抜けるしかなかった。


 「ここに船を寄せたとしても……」


 斎治は岸壁の先から下を見下ろした。何度見ても足がすくむ高さである。しかも荒波が絶えず岩を叩くように押し寄せている。降りるのは不可能だし、船を寄せるのも難しいだろう。


 「やはり、ここの者達を手懐ける他ないか……」


 最も安全な脱出方法は、哭島の者達を手懐けて、彼らの力を借りて南の津から出るほかないだろう。気の長い計画ではあったが、斎治は我慢してその計画を進めていた。


 「主上、こちらにいらっしゃいましたか」


 振り向くと阿望の姿があった。集落の住人を手懐ける計画は、彼女を中心に進められていた。


 阿望は斎治の愛妾であった。正妃―斎興の母―が病で早々に亡くなり、以後、妾ならが事実上阿望がその地位にあった。妾とはいえ家柄は良く、斎治に侍る女性としての美貌と品格を備えていた。だからと言ってお高くとまるようなことはなく、斎慶宮にいた頃は岩殿のような賊にも分け隔てなく接していた。


 「どうかしたか?」


 「実は集落の者から聞いたのですが、本土から見知らぬ者がやってきたようです」


 「ほう……。忍び込んだわけではないのか?」


 「はい。津から船で入って来たようです。商人とのことですが、北定殿は気を付けるべきだと申しております」


 確かにその通りだろう。斎治に与力する者であれば、忍んでくるはずである。堂々と来島したとなると、当然ながら羊氏に関わる者であろう。


 「単なる商人であると良いのだが……」


 「とりあえずは千綜には御所の警備をしっかりとさせるように申しておきます」


 「うむ……」


 と言いながらも、斎治は何事か波乱が起こるような気がしていた。




 哭島に来島したのは和交政とその仲間達であった。彼らは商人として堂々と哭島にやってくることができた。


 『哭島近辺の海流を調べたいので、しばらく滞在させていただければ助かります』


 和交政は多額の献金と共に申し出ると、あっさりと許された。


 「ここまでは順当だ。問題はこれからだ」


 入島する際に、斎治が軟禁されている建物には近づかないように釘を刺されていた。ひとまずは、斎治の御所近くの邑に拠点を構えることができたが、御所へと繋がる道は羊氏の兵によって厳重に警備されていた。


 「どうすべきか?」


 和交政は部下達に諮った。しばらく様子を見て、御所へと繋がる抜け道を捜そうと言うもの。警備の兵士を買収してしまおうと提案する者。意見は百出したが、どの意見も和交政は決めかねていた。


 そのような矢先であった。哭島に来て五日ばかり過ぎたころであったろうか。和交政が海流調査のふりをしながら脱出路の検討すべく島を歩き回っていると、羊氏の兵士が何者かともめている姿が見えた。


 「そう出歩かれるよ困るのですが……」


 「そう言われても、あのような場所に閉じ込められていては体がなまります。運動せずにいると太ってしまい、主上に嫌われてしまいます」


 兵士と揉めているのは女であった。


 『今、主上と言ってな』


 和交政は茂みに身を隠し、様子を窺った。その女性は和交政がこれまで出会ったきたどの女性よりも美しく、一瞬にして心を奪われてしまった。


 『あの方が主上の愛妾である阿望様か……』


 阿望の存在については費俊から聞かされていた。美しい女性であるとは聞いていたが、その美貌は和交政の想像をはるかに超えていた。


 やがて阿望と兵士達は行き交うようにして別れた。和交政は兵士達の姿が見えなくなるのを確認すると、茂みから出て阿望に近づいた。


 「誰か!」


 和交政の気配に気が付いた阿望が声を上げた。和交政は前に進み出て平伏した。


 「先ほどの兵士が戻ってくるかもしれませんので、詳細はいずれ。ひとまずはこの書を主上にお渡しください」


 和交政は費俊からの書状を阿望に押し付けるように差し出すと、すぐに立ち去った。

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