泰平の階~38~
夜が深まり、宴席がお開きとなった。完全に酔い潰れた魏介は女官達に介抱されながら別室に運ばれていった。
「新莽、そなたはまだいけるか?」
条高が席を立とうとする新莽に声をかけた。
「は、はい」
「二人きりで飲むか。ふむ……酒と肴を余の部屋に持ってこい。円洞も下がってよいぞ。行くか、新莽」
「はい」
新莽は条高に付き従った。条高に案内されるままに、離宮の中を歩いていると、一番奥まった部屋に通された。部屋には至る所に絵がかけられていた。条高が描いたものなのか、それとも高名な画家のものなのか、新莽には全く判断できなかった。
「よいだろう。それらは余が描いたものの中でも傑作ばかりを飾っておる」
全部条高が描いたらしい。
「上手いものでございますな」
「ほほ。そなたの絵に比べれば上手かろう。それでもまだまだ極意に達したとは言えん」
「いえ、見事なものです」
「人には得手不得手がある。それだけのことだ」
扉が開き、女官が酒と肴を運んできた。この女官が酌でもしてくれるのかと思っていると、盆を置いて行っただけで去っていった。
「たまには男二人で飲むのもよかろう」
条高が先に瓶を取り、新莽の杯に酒を注いでくれた。
酒を飲みながら他愛もない話をしていると、扉が開かれた。条高の愛妾である蝶夜が入ってきた。蝶夜は相変わらず目のやり場に困る露出の激しい衣装を着ていた。一瞬、視線があったが、新莽の方から顔をそむけた。
「蝶夜もそなたの武勇伝を聞きたいらしくてな。呼んでおいた。ささ、物語ってくれ」
「は、はぁ……」
新莽は求められるまま戦場でのことを語った。蝶夜は時に笑い、時には真剣な表情で新莽の話を聞いていた。そして時折、新莽を誘うかのような妖艶な視線も送っていた。
「ん?酒がなくなったか。蝶夜、すまんが取ってきてくれぬか?」
新莽の話が一区切りついたところで、条高が瓶を蝶夜に渡した。蝶夜は嫌がる素振りもなく、瓶を胸に抱え部屋を出ていった。
「良い女であろう。蝶夜は?」
蝶夜が出ていくのを確認すると、条高は目顔を寄せて囁いた。
「は、はぁ……」
「良き抱き心地であったろう?」
条高の声が急に冷えたような気がした。新莽の全身から血液が抜け、心臓を鷲掴みにされたような緊張が走った。
「お、お戯れを」
「隠す必要はない。余は見ておったのだからな……」
意地の悪く条高が口端をあげた。蝶夜との情事を条高はどこかからか覗いていたのだと言う。ということは、蝶夜が新莽の寝所に忍び込んだのも条高の差し金であったのか。新莽は絶句するよりなかった。
「気を悪くしたか?許せ。あの時は無骨なそなたがどのように女を抱くか興味があったのだが……」
条高は急に真顔になった。新莽は今にも失神しそうであった。
「蝶夜をくれてやってもいいぞ」
「主上……お戯れもほどほどに」
「戯れではない。蝶夜は余の第一の愛妾だ。それをくれてやるというのだから、それなりの意味がある」
「は……」
「分からんか?余とそなたの紐帯が強くなったということだ」
条高が喉を潤すように酒を飲んだ。
「少々困ったことになっていてな。尊毅のことだ」
「尊毅……」
真面目な話になる。新莽は思わず居住まいを正した。
「知っておろうが、今回の反乱討伐で尊毅には恩賞を渡した。もはや我らには恩賞としてやれる土地がないにも関わらず、あやつは強引にねだってきた。当然ながら尊毅と同等か、それ以上の活躍をしたそなたにも恩賞をやらねばならないからやれぬと言ったのに、あやつは言うことを聞かなかったので、やむを得ず余の直轄地を渋々割譲した」
新莽は勿論知らないし、気が付いていない。条高の話していることがすべて嘘であるということを。無骨で政治的な駆け引きなどできない新莽は一言一句信じた。
「それは……なんとも……」
「丞相と尊毅は縁戚だ。あの二人の繋がりに対抗するにはそなたとの結びつきを強くするしかない。分かるか?」
「は、はい……」
「その証として蝶夜をくれてやるのだ。恩賞のことも今はひとまず涙を飲んでくれ。頼む」
条高は頭を下げた。突然のことに驚いた新莽は思わず条高の手を取ってしまった。
「主上、お顔をお上げください。主上のお気持ち、然りと承りました。不肖、この新莽、主上のために一身を捧げる所存です。一時の不遇など、気には致しません。どうぞ何でもお申し付けください」
新莽は涙しながら忠誠を誓った。条高は新莽の手を握り返しながらも、心底では大いにほくそ笑んでいた。
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