泰平の階~17~

 僑紹達が蜂起したのは、劉六が準備を始めてちょうど一か月後のことであった。別に劉六の準備が終わるのを見計らってのことではなく、夷西藩の準備が整って費俊が号令を出したわけではなかった。


 僑紹達の密謀に参加している何某と言う男が官警に捕まったのである。捕まった理由は実にくだらなく、深夜に酒に酔って大通りで立ち小便をしてしまったというものであった。普通であれば一日勾留しただけで解放されるはずであり、事実捕まえた官警はそのつもりだった。しかし、何某が官警に捕まったという報せを受けた僑紹達の考え方は違っていた。


 「密事がばれた!」


 誰しもがそう考えた。一人として冷静になって、続報を待とうと言うものはいなかった。集団的な恐慌状態になったといい。


 「こうなれば、我らが一網打尽にされる前に決起してしまおう!」


 僑紹は仲間を集め、官警の牢を襲い、何某を救出したのである。そしてその勢いのまま、易迅のいる千山の政庁を強襲したのであった。




 僑紹達の突然の蜂起を当然ながら劉六は知らなかった。診療所の二階にある私室で眠っていると、激しく扉を叩く音がした。


 『始まったのか!』


 いつ蜂起してもおかしくないと考えていた劉六は動揺することなく寝台から起き上がった。そっと扉を開けると、隙間から僑秋と江文至の姿が見えた。


 「先生、夜分すみません。ついに始まりました」


 僑秋が言った。江文至はやや緊張した面持ちで指示を待つように劉六を見ていた。


 「江文至は湖畔の廃屋にある薬品と資材を運び出してくれ。全部である必要はない。当初予定していた分量だけでいい」


 江文至は黙って頷くとすぐに駆け出した。


 「先生、私は?」


 「今すぐ下の診療所を開ける。君は準備を手伝ってくれ」


 「は、はい」


 「ああ、その前に僑紹に連絡をやってくれ。怪我をした者は、敵味方関係なく送ってこいと」


 「分かりました」


 僑秋も階段を駆け下りていった。劉六は私室の鍵をかけるのも忘れ、部屋を飛び出していた。




 戦局がどう進んでいるか、劉六には分からなかったし、興味もなかった。しかし、日が昇って運ばれてくる兵士達を見ていると、おおよその戦況を知ることができた。


 『僑紹達が勝ったな』


 運ばれてくる兵士の数は味方の方が多い。これは動員している兵士数が味方の方が多いからであるが、重傷者は敵の方が多い。それだけ敵が必死の抵抗をしているということである。


 劉六の診療所にはすでに数十名の敵味方の兵士が運ばれていた。それだけの数を劉六と僑秋だけで対応するのは不可能なので、蜂起軍に参加している将兵の妻子に協力を求めた。簡易な怪我については劉六か僑秋が診立てて、彼女達に指示して処置してもらう。重傷な兵士のみ劉六が直々に手当てすることとなった。


 余談ながら当初、敵兵士の治療については味方の将校が難色を示した。どうして敵の命を救うのだ、とその将校は劉六に詰め寄った。劉六は顔色一つ変えず抗弁した。


 「私は医者だ。味方であろうが敵であろうが、怪我人、病人を救うのが仕事だ。仕事の邪魔をしないでもらいたい」


 「何だと!」


 「君らは正義のために決起したのだろう?人道的な正義を認めなくてどうするのだ」


 「貴様!」


 将校はさらに詰め寄ったが、そこに前線から僑紹が駆けつけてきて事なきを得た。




 深夜となった。運ばれてくる兵士が少なくなってきた。あらかたの処置を終えた劉六と僑秋は、今日初めての食事を取ることができた。疲労困憊としていた体が飯を受け付けそうにもなかったが、無理にでも食べることにした。もうしばらくはこの調子が続くかもしれない。劉六の正面に座っている僑秋に至っては、握り飯を手にしながらも、今にも寝そうになっていた。


 「疲れたか?」


 劉六が声をかけると、体をびくっと震わせて顔をあげた。


 「すみません。いえ、大丈夫です」


 「大丈夫じゃないな。君は少し寝ろ。どうやら我が軍は勝ったらしいから、しばらくは休めるはずだ」


 「勝ったのですか?」


 「負傷兵が運ばれてこないということはもう戦は終局だろう。それで味方が敗走している様子もないから蜂起は成功と言うことだろう」


 「そうですね……良かった」


 僑秋は眠気が吹っ飛んだかのように握り飯を一口食べた。劉六も無理して自分ももう一口食べた。

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