泰平の階~15~

 時代が沸騰している。劉六は千山に帰ってきてからそのことをひしひしと感じていた。


 時代を千山に言い換えてもいい。千山において易迅に対する反発が日に日に強くなっていた。邑の至る所に易迅を糾弾する落書が掲げられ、公然と批判する者も少なくなかった。


 『どうも支配体制に対する不満は極限まで高められている』


 易迅個人だけではあるまい。多くの人々が条国という国家の体制そのものに諦めてと怒りを感じているのではないか。劉六にはそのように思えた。


 「劉六、劉六」


 調薬に必要な道具を買いに出た帰り、自宅近くの裏路地で声をかけられた。


 「僑紹じゃないか」


 顔見知りの男であった。千山の青年達の代表格のような男で、千山の元領主である毛僭の家臣の子息であった。劉六とは千山の師の下で学んだ時の同窓でもあった。劉六が千山に帰って来た時からちょいちょいと声をかけられたり、診療所を訪ねてきたりして他愛もない会話をすることはあった。妙になれなれしい所がある男だが、劉六からするとそれほど親しみを感じている相手でもなかった。


 「今晩遊びに行ってもいいか?ちょっと二人きりで話したいことがある」


 いい酒もある、と僑紹はにやっと笑った。


 「構わんが……」


 酒を酌み交わすほどの仲であるまい、と言いかけてやめた。わざわざ二人で酒を飲み交わしたいなどというのは初めてである。何か魂胆があるのではないかと思い、その魂胆が知りたくなった。


 夜になって診療所で片づけをしていると、一升瓶を片手に僑紹が尋ねてきた。


 「散らかっているが、まぁ座ってくれ」


 「薬臭い所だな」


 「そういう場所だ」


 文句を言いながらも、その辺にあった椅子を引いて座った僑紹は卓上に一升瓶を置いた。


 「酒は俺からだ。つまみはないのか?」


 「こんなものでよければ」


 劉六は薬皿に小粒の炒った前を乗せて出した。


 「なんだこれは?」


 「九粉という薬草になる実だ。少々苦いが、炒ると香ばしくなって美味い」


 ほおん、と言って僑紹は一粒つまんで口の中に入れた。美味いが酒は進まないなぁ、と感想を漏らした。


 「それでどういうつもりだ?君が私と酒を飲みたいだなんて、どういう魂胆だ?」


 劉六は率直に聞いた。


 「面白みのない男だな、お前は。単に親友として一献酌み交わしたいと思っただけなのだが?」


 「親友?君がどう思っているか分からんが、私は君を親友とは思っていない」


 精々知人だ、と劉六は座った。


 「つれない奴だ」


 僑紹は観念したように語り始めた、


 「近々、毛僭様がお立ちになる」


 毛僭のことは知っているし、僑紹の父が毛僭の家臣であったことも知っていた。


 「で?」


 知りながらも劉六は素っ気なく言った。


 「まぁ、飲め、劉六」


 「いらない。酔うと正常な判断ができなくなる」


 劉六は杯をひっくり返した。僑紹はため息をつきながらも続けた。


 「この千山一帯はもとを正せば毛家のものであった。それが条公の奸計で……」


 「前口上はいい。毛僭様が立つとして私に何の関わりが?」


 「お前さんにも参加して欲しい」


 「おいおい、私は医者だぞ」


 そんなこと百も承知だ、と僑紹は手酌で杯に酒を満たすと一気に飲み干した。


 「当然医者としてだ。易迅を追うためには戦闘にもなろう。そうなれば怪我人もでてくる。お前、軍医の経験もあるのだろう?」


 要するに劉六に野戦病院を作れてと言いたいのだろう。確かに、劉六にはそれだけの知識と経験がある。


 「そういうことであるのならば承知した。但し、お前達の仲間になるのではなく、戦闘で怪我をした兵士を助けるということで良いのだな」


 僑紹は怪訝な顔をした。今ひとつ劉六に言っていることを理解していない様子であった。


 「回りくどい言い方だが、それでいい。とにかく野戦病院を作ってくれ」


 僑紹は深く考えるのをやめた。兎に角これで劉六を引き入れることができたと勝手に思い込んでいた。

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