寂寞の海~39~
鑑京を制圧した章海は、真っ先に宮殿の焼け跡から章友の亡骸を捜させた。降伏した兵士からは章友が毒を仰いで亡くなったと複数の証言を得ていたが、実際に亡骸を見るまでは信じることはできなかった。
「図らずも章友を討つことになってしまった。せめて遺体だけでも丁重に葬ってやりたい」
章海は章友の亡骸を徹底的に捜す理由をそう説明したが、実際は章友の生死を確認しなければ安心できなかった。もし章友が生きていて、反逆の非を鳴らして決起すれば、章海は難しい立場に立たされてしまう。章海のこれからを安定させるためにも、是が非でも確認しておきたかった。
章友の亡骸を捜すと同時に、章海の今回の行動を正当化するために、張鹿を捕らえて梟首とした。章海軍が鑑京に突入し、各所で戦闘が行われている間、張鹿は自宅に籠っていた。しかし、籠城して抗戦するようなこともなく、松顔が指揮する部隊に包囲されると、あっさりと降伏して捕縛された。
松顔の前に引きずり出された張鹿はやつれていて、随分と老けた印象であった。
「火種だけは撒き散らして、火の始末もできんとはな。所詮は祐筆よ」
張鹿に侮蔑の言葉を投げつけた松顔は、容赦なくその首を刎ねた。張鹿はその死の瞬間まで何も言葉を発しなかったという。その後、張鹿の首は腐食するまで鑑京で晒されることになった。
鑑京制圧後から三日後、延臣から請われる形で章海は印公となった。その翌日、章海は鑑京近郊にある小さな祠へと向かった。そこに印国の神器である『天印の杖』が祀られていた。
印国では新しく国主になった者は、この祠を訪れて神器を拝することになっていた。しかし、章海が訪れた時、祠の至る所に蜘蛛の巣が張り巡らされ、扉の鍵も錆びついていた。少なくとも章友は国主になってからこの祠を訪れたことはないらしい。
「あるいは章穂も来ていないのかもしれないな」
章海は錆びついた鍵を壊させて祠の中に入った。
「神器とは何なのかと思うな。数百年、受け継がれてきた物にも関わらず、すでにその役目は形骸化している。それでもそれこそが真主の証であると信じている者は少なくない。我らは一体どちらを信じればいいのだろうな」
章海は独りごちた。祠には国主しか入れない。章海の言葉が祠内部に響いた。
章海は印公として正式に即位していた章友を倒すことによって国主となった。謂わば反逆して国主の座を奪い取ったことになる。歴史家は章海を反逆者としての汚名を被せるかもしれない。
『それでもいい』
と言う信念が章海にはあった。
章海は章友の命を奪うことまでは考えていなかった。国主であるという以前に章友は親族である。その命を奪うほど、章海は冷徹ではない。生きて降伏するのであれば、命だけは助けようと考えていた。
しかし、章友の死がほぼ確定的となった今、その方がよかったのではないかと思えた。印国が新たな時代を迎えるには、前国主の死という形で古い体制に終止符を打ち、灰燼から新しい芽吹きを示さねばならないのではないか。章海はそう考えるようになっていた。
「そういう意味では神器など不要なのかもしれないな」
章海は歩みを止めた。小さな台座の上に黒い杖が置かれていた。先端に青色の透き通った鉱物が埋め込まれていることぐらいしか特筆する点がなく、それがなければ道端に落ちている木の枝と言われても気が付かないであろうと思われた。
「神器など所詮こんなものだ」
章海は杖を手にした。ぱっと先端の鉱物が発光し始めた。章海を真主として認めたということなのだろう。
「私は真主か」
それはそれで嬉しいことではあったが、それだけのことであった。
「誰に認められる必要はない。私が国主の座を欲して奪ったのだ。それ以上の資格があろうか」
章海は神器を投げ出した。天印の杖は台座の上を転がり、下へと落下した。章海は拾い上げることもせず、台座に背を見せた。
国主となった章海は松顔を丞相とし、閣僚と将軍達の人事を一変させた。また人心を得るために租税や賦役を大幅に免除する旨の勅令を出した。その間も章海は章友の亡骸を捜させたが、ついには見つからず諦めることにした。
『そうなれば章理がどう出るかだ……』
存在として章海に反する勢力をまとめ上げることができる章友がいないとすると、次にその役目を担うことができるのは章理であった。しかも章理は聡明で行動力もある。さらに都合の悪いことに泉国に亡命し、泉公の保護下にある。
章海が最も恐れるのは、泉公が章理を奉戴して印国を攻めてくることであった。章友を討ったという不義は、正義の軍を起こすのには充分な大義名分であり、他の国の賛同を得やすいだろう。それに国内をまとめ切っていない今、中原においても精強とされる泉国軍とまともに戦って勝てるはずがなかった。
『しかし、伯ですら討つのを躊躇っていた泉公が海を渡って攻めてくるとは思えんが……』
章海として泉公の慎重さに賭けるしかなかった。章理を保護して終わりならばそれでよし、として章海は新しい印公として泉公に書状を出した。
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