漂泊の翼~55~
楽乗と剛雛はひたすら南へと向かった。途中の寝泊りは、宿場町で宿を取ることもあったが、路銀のことを考えて野宿することも多かった。
『惨めなものだ……』
その日の夜も野宿となった。楽乗は隣で眠る剛雛の横で漫然と焚き火の火を眺めていた。基本、剛雛が起きて見張りをしてくれるのだが、一晩中起きているわけにはいかないので、数時間ばかり交代することになっていた。
『私が何をしたと言うのだ。どうしてこのような目に遭うのだ』
すでに翼国を出て十年以上経過している。十年以上、諸国を放浪した公子があったであろうか。別に楽乗は国主の座に着きたかったわけではない。あのまま許斗での生活が続けばそれでよかった。それなのに、楽乗の与り知らぬところで政争が発生し、生きるために逃げることを余儀なくされた。しかもひとつの国に落ち着いて余生を過ごすことができず、三つの国を渡り歩くはめになってしまった。
『もうよいのではないか……』
それでもこれまで耐えてこれたのは、胡兄弟が傍にいてくれたからであろう。胡兄弟だけではない。彼らの他に付き従ってくれた者達がいたからであった。
しかし、今は剛雛という陪臣しかない。この陪臣は元来無愛想なのか、それとも陪臣であるから遠慮しているのか、ひどく無口で必要不可欠なこと以外は口を利くこともなかった。その寂しさもあって、たとえ捕まる危険があっても胡旦達と合流するか、それとも翼国に帰るか。楽乗は真剣に考えるようになっていた。
『一層の事、剛雛を置いていってしまおうか……』
冗談半分でそう思い、横で寝ている剛雛を見てみると、彼は目を見開いてこちらを見返していた。
「そろそろ交代の頃でしょうか?」
「いや、うん……まぁ」
楽乗は今まで考えていたことを見透かされた気がして言葉を曖昧にした。剛雛は体を起こしたが、楽乗は横たわることなく、ずっと火を眺めていた。
「剛雛も十年近く、私達に付いてきたが、国に戻りたいとか思ったことはないのか?」
突然の質問に剛雛はやや驚いた風に目を丸くしたが、しばらく考えた風に首を傾げてから話始めた。
「私の父は羽氏との戦で亡くなりました。恩給の田畑をいただきましたが、私と母そして姉が食べていくにはとても足りませんでした。それで少しでも食い扶持を稼ぐためにと護衛兵に応募したのです」
訥々と語る剛雛は楽乗のことを批判しているのだろうか。だが、決して語気は強くなく、逆に優しさを感じるほどであった。
「私が故郷である里周を去る時、姉からは戻らぬ覚悟で行けと言われました。だからこそ私はまだ戻らぬわけにはいかないのです」
「それだけの理由か?」
「私には充分です」
楽乗は自分から話し掛けておいて、黙り込んでしまった。今の今まで自分の人生に悲観し、自暴自棄になりかけていた自分を恥じた。剛雛のこれまでの人生とこれからの覚悟を思えば、楽乗のそれはあまりにも恵まれていた。
「剛雛。私は道を踏み誤ろうとしていた。私が泉国を出たのは命を狙われたからだ。龍国でもそうだ。印国では政争に巻き込まれるのが嫌で逃げ出した。そして泉国でも捕われようとしてこうして逃げてきた。私の人生は逃げてばかりだ」
楽乗は乾いた笑い声を上げた。よくよく考えれば滑稽な人生である。
「私を含め楽乗様に生きていただきたいと思っております。それは何故でありましょうか。きっと皆様は生きて楽乗様が翼国に戻り、国主となって欲しいと願っているからではないですか?」
考えたこともないことであった。いや、そもそも楽乗には国主に対する希求はない。胡兄弟もそれを知っているからこそ、楽乗に対して国主になるべきだと面と向かって言ってこなかったのではないか。今の状況ではそれを確認することはできなかった。
「剛雛もそう思うのか?」
「私は陪臣ですし無学です。しかし、私も楽乗様を十年以上見てきました。楽乗様には人との温かみがあり、才がおありです。あの印国が公子の傅役を頼み、丞相にまでなさろうとしたのです。そしてなによりも胡兄弟のお二人が何があっても付き従ってきた。これは楽乗様の徳以外の何ものでもありません」
「むず痒いことを言うな」
楽乗が翼国に戻り、国主にならんことを欲したのは今まさにこの時であった。それこそが楽乗が生き残るための唯一の手段であると思えた。
「剛雛。そろそろ寝てくれ。明日も早くに動かないとな」
「はい」
剛雛は目を閉じた。楽乗はしばらく火を眺めていた。
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