漂泊の翼~39~

 楽伝の後継を巡って、意図せず重要な地位にいる人物がいた。楽玄紹の末弟である楽成である。彼もまた後継に相応しい立場にあった。


 血筋は勿論のことながら、楽成には動員できる軍事力があった。北の守りを任されているのが楽乗なら、東方即ち泉国に対して守りを固めているんが楽成であり、配下には約一万名の兵士がいた。しかも、楽伝が重篤と聞いて見舞いのために広鳳に滞在しており、およそ三百名の兵士を広鳳近郊の邑に滞在させていた。


 もし楽成が国主になるという野心を持っていれば、容易く実現できたであろう。広鳳に兵を入れ、宮殿を制圧してしまえば、有無を言わせず国主の座に収まることもできた。そして、そのような乱暴な真似をしたとしても、楽成の血筋のよさを思えば、否と言える者もいなかったであろう。しかし、楽成にはそのような野心を持ち合わせていなかった。


 『後継には登はよかろう』


 兄を深く敬愛していた楽成は、なによりも血筋を大切にした。当主とは長兄が継いでいくものであるという観念が楽成の中にあり続けた。そのため楽伝の長子であった楽慶の子である楽登こそ国主に相応しいと考えていた。


 『登が国主となり、乗が摂するようになれば、万事上手くいくであろう』


 幸いにして両者は龍国にいる。楽成は楽伝の訃報に接すると、早速龍国に使者を送った。その返答が返ってくる前に厳虎という閣僚が尋ねてきた。


 「後継に相応しいのは宣施様です。是非とも楽成様の御尽力を賜りたい」


 厳虎は真っ正直に話を持ちかけた。彼こそが郭文の言う、条国から賄賂を貰っている閣僚の筆頭であった。


 「後継には登様が相応しかろう。乗を摂政にすれば問題あるまい」


 楽成は持論を展開したが、厳虎はわざとらしく首を捻って見せた。


 「それはどうでありましょう。筋目としては登様でもよろしいでしょう。また乗様も摂政としては申し分ありません。しかし、幼君に対して有能な血族の摂政を置けば、それもまた乱のもとになりましょう。乗様が国主の座への野心をお持ちではないとどうして言い切れましょう」


 厳虎に脅すように言われれば、楽成もなるほどそうかもしれぬ、と思ってしまった。


 「その点、宣施様はすでにご成人あそばされております。それに宣施様を保護されている条国と広鳳は目と鼻の先。龍国との距離を考えれば、よからぬ策動をする者達に時間を与えることもありません」


 「よからぬ策動とは条西のことか?」


 楽成は条西のことを嫌っていた。ああいう女が毒婦だと公言し、楽伝は亡くなったのもあの妖女に精を吸い取られたのだと本気で思っていた。


 「左様です。条西も条公の一族ですが、すでに見捨てられた存在。それでもかの女を利用して権力を得ようとする狐狸の類は多いのです。ここは速やかに楽成様の力を持ってあやかしを排除し、正当なる後継者を向かえ、社稷の繁栄をお図りください」


 楽成は武人であった。軍事以外のことには疎く、この時も厳虎に説得された形となった。


 「分かった。貴君の言うとおりにしよう」


 楽成は近隣に駐留している部隊に伝令を送り、出動を命じた。




 厳虎と楽成に比べれば、条西と融尹のやり方はあまりにも粗雑であった。後継を指名することなく楽伝が亡くなったことにより条西と融尹は慌てた。この二人の権力の源泉は楽伝であり、その楽伝を失うことは翼国でのすべてを失うことを意味していた。失わないようにするには、新たな権力の源泉を作る、即ち楽安を国主にするしかなかった。


 しかし、後宮において権威を振るってきた条西も、閣僚達に対しては影響力は低かった。そしてなによりも条西と融尹の最大の弱点は、軍事力を背景とせず、逆に軽視していたことであった。


 「明日、主上の喪が発せられ、閣僚達が後継について話し合われます。その前に私が生前の主上の遺言として発表するしかありまえん」


 融尹は条西にそのように提案した。国主の秘書官として融尹ができ得る最大限の方策であった。これが実現されていたら、翼国の歴史はどうなっていたか分からなかったであろう。


 「それならば早い方がよいのではないか?夜中のことながら、閣僚共を叩き起こしても、主上のご遺言とやらを発表すればよいのではないか?」


 融尹の話を聞いて条西はその気になった。起死回生の光明が見えたとなると、いても立ってもいられなくなった。


 「すぐに起草しますが、公文書として起草しますので、それなりに時間が……」


 「どのくらいかかる?」


 明日の早朝には、と言ったのが、二人の会話の最後となった。突如として乱入した兵士によって、場が乱された。


 「ぶ、無礼であろう!妃の私室に断りもなく!」


 「ほう。それならば、何故その男はここにいるのですかな?主上の正妃でありながら、不貞ではないですかな?」


 乱入してきた兵士を指揮していたのが楽成と分かって、愕然としたのは融尹であった。今更になって楽成の重要性とそれを軽視していたことに気がついた。


 「ふ、不貞などとは……」


 「では、どうして主上の秘書官たる貴様がここにいる」


 「そ、それは……」


 「奸族め!」


 楽成自信が剣を抜いて、融尹を斬った。融尹は抵抗することもなく、斬られて倒れた。


 「ひいいいい!」


 条西は悲鳴を上げて逃れようとした。しかし、すぐに兵士達に取り押さえられた。


 「斬れ!翼国を惑わした妖怪め!」


 楽成が命じると、兵士達は無慈悲に条西の首を剣で刺した。ひゅう、と空気が漏れる音を立てて血を噴出しながら絶命した。


 「さて、幼子には罪はないが……、恨むのなら母を恨むのだな」


 次に楽成が命じたのは、隣室で眠っている条西の子である楽安を殺害することであった。子供を殺すのは忍びなかったが、後顧の憂いをなくすためにもやむを得なかった。隣室での異変に気がついていない楽安は、眠ったまま首を絞められこの世を去った。


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