孤龍の碑~24~

 騎馬隊の真ん中先頭にいるのは極国軍きっての猛将石宇徳であった。傍らには呂徳が馬を並べていた。


 「流石は譜天の軍略よ。まんまと敵を嚢中深くに誘い込んだわ!」


 嬉々として石宇徳は自慢の長槍を振り回した。


 「皆の者!先代が天より見ており、今上が地で見ておる!存分に手柄を立てよ!」


 突撃、と石宇徳が叫ぶと、全騎が龍信に向かって馬を走らせた。




 すべては譜天が仕掛けた罠であった。連敗して後退する呂徳を追うようにして敵を奥深くに入り込ませ、油断したところを一気に逆襲する。しかもすでに開城した五つの邑と新合でも潜んでいた兵士を決起させ、大規模に龍国軍を包囲する。これこそが譜天が打ち立てた戦略であった。


 この戦略に呂徳という将は打ってつけであった。呂徳は元は譜天の部下であり、臥龍湖の決起に協同した一人であった。武勇も智謀もまずまずであるものの、これまでは目立った活躍をしてこなかった。しかし、譜天は呂徳という将の長所を見抜いていた。


 『呂徳は擬態を必要とする時に大いに活躍しよう』


 要するに囮であったり、撤退するふりをして敵を誘引するのに最適な指揮官であった。呂徳は譜天の期待に見事に応えた。




 牙玉から石宇徳が出撃した時、龍信はまだ事の重大さに気がついていなかった。ただ呂徳に騙されたのだと思っただけで、かっと体を熱くさせた。


 「恐れるな!敵が自ら門扉を開けてくれただけではないか!」


 龍信は決して臆病ではなかった。寧ろ武人としての勇気はある方であり、この時も自ら剣を抜いて駆け出そうとして周りの止められ、後退させられるほどであった。ただこれは蛮勇というべきものであり、しかも相手が龍信よりも輪をかけて勇猛な石宇徳であったことが龍国軍の不幸であった。


 「敵は大軍だが烏合の衆だ!見よや!」


 極国軍の先陣を駆けるのは石宇徳は、手綱を放して槍を振り回した。突撃して向かってくる龍国軍の中に踏み入ると、一瞬で数名の首を飛ばした。それは彼の部下も同様であり、石宇徳が駆け抜けた後には頭と胴が離れた敵兵が無数に転がっていた。


 「我は石宇徳なるぞ!誰ぞ我が首を刎ねる者はおらぬか!」


 石宇徳は馬体を巡らせて叫んだ。龍国軍の将兵は、この鬼神のような男が石宇徳であるとはじめて知ったのだった。


 当然ながら石宇徳の名は龍国軍に知れ渡っていた。というよりも龍国全体にとって恐怖の対象であり、泣き叫ぶ幼子も石宇徳が来ると言われると泣き止んだという逸話が残されていた。


 石宇徳の突撃により、龍国軍の先陣はずたずたに引き裂かれた。それを遠望していた龍信は怒りのあまり剣を地面に叩きつけた。


 「なんたる醜態!石宇徳とはいえ小勢ではないか!囲んで押しつぶせ!」


 龍信は叫び散らした。それは命令というよりも罵声に近く、具体的な指示を出す夏進は困惑した表情を浮かべた。というよりもどのように対処してよいのか分からずにいる様でもあった。


 「夏進様。一度軍容を整えた方がよろしいのではないでしょうか?」


 とある参謀が耳打ちすれば、その気になって龍信に進言しようとするが、


 「押せ押せ!我が軍は押しているではないか!」


 という龍信の威勢のいい言葉を聴けば、なるほどそうかもしれないと思い、進言を思い留まった。結局、夏進は戦術的作戦を預かる参謀として何一つ有益な助言をすることができず、徒に時を浪費し、兵を消耗していった。


 事実として夕刻近くまでは戦線は膠着していた。極国軍の方が少数なので、膠着していたということは極国軍が優勢であったわけだが、夕刻にその均衡が一気に崩れた。烏慶が指揮する別働隊が極国軍の後背に進出したのである。


 「見ろ、間抜けな敵は我らに気がついていないぞ。石宇徳ごときに夢中になっている。本当の手柄を立てるのは我らぞ!」


 烏慶も石宇徳と並ぶ極国きっての猛将であった。だが石宇徳ほど直情的ではなく、精神的な沈着さもあった。遊撃や陽動、奇襲に最適な将として珍重されていた。


 静かに動き出した烏慶隊は敵に発見されるぎりぎりまで近づき、気づかれるや否や猛然と駆け出した。龍国軍の後背はずたずたに寸断され、逃げ出し将兵は前方に駆け出した。これによって龍国軍は大混乱した。前方からは石宇徳に追い立てられ、後方は烏慶にかき乱され、龍国軍は瞬く間に軍集団としてのまとまりを失ってしまった。


 日が落ちた。極国軍は日没と共に引き上げ、龍国軍は全軍の崩壊をなんとか免れた。これは龍信の指揮が優れていたわけではなく、夏進の作戦が的を得ていたわけではない。ただ大軍の龍国軍を絶滅させるのに極国軍の兵士数が少なかっただけであった。


 尤も、譜天自身は牙玉近郊で敵を絶滅させようという意図を持っていなかった。彼の作戦はあくまでも大規模な包囲戦であり、牙玉の戦いは彼の遠大な計画の序章でしかなかった。


 だが、思いもよらぬ形で事態が進行していた。龍国軍の総大将である龍信が本陣から忽然と姿を消したのである。


 その報せを聞いた夏進は、飛び上がらんほどに驚いた。


 『まさか私に内緒で……』


 夏進は元龍信の近侍として信頼されているという自負があった。もし龍信が逃げ出したとなれば、自分には一声かけるだろうと思っていた。しかし、夏進の天幕に入ると、そこに主の姿はなく、近侍も寵姫もいなくなっていた。


 「このことは内密にしろ。少なくとも夜が明けるまでは一切漏らすな」


 夏進は釘を刺すように命令したが、手遅れであった。敗軍の雰囲気の中では悪い噂ほど漏れやすく伝播するのが速かった。龍信が逐電したと知られ真夜中ながら龍国軍の陣は混乱した。


 これを石宇徳も烏慶も見逃さなかった。先に動いたのは石宇徳であった。流石に龍信が逃げ出したとは思わず、


 「はん!烏慶の奴が抜け駆けしよった!こちらも夜襲を仕掛けるぞ!」


 龍国軍の混乱を烏慶の夜襲によるものだと判断したのだった。これを受けて烏慶の方も、


 「宇徳が夜襲を仕掛けたか!功をやつだけに持っていかれるな!」


 烏慶隊も突撃を開始した。夜であるということと、昼間の劣勢の余韻が残る龍国軍はなす術がなかった。龍国軍はすり鉢の底で擂粉木ですり潰されるようにしてその数を瞬く間に減らしていった。夏進は戦うこともできず、逃げ出すこともできず、大混乱の中でめった刺しにされて果てた。

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