黄昏の泉~11~

 話はやや樹弘から離れる。公子淡のことである。


 結論から言えば、貴輝で蜂起した公子淡は偽者であった。本名は趙行という。貴輝にある市場を監理している下級役人であった。周囲からは小才子と言われる程度に知恵が回り、人望もそれなりにあった。ただ野心だけは人一倍にあり、ここ最近では、


 『神器を持たぬ相房が仮主となってのだ。俺が仮主となってなんの問題があろう』


 と怪気炎をあげていた。しかし、そのために具体的な行動を起こすほどの勇気もなく、役人としての職務を全うする日々を過ごしていた。


 そこへ泉春から納税の督促があった。半年の一度、泉春から納税を督促する使者がやってくるのだが、今回の使者が提示した金額に趙行は愕然とした。通年の三倍であったのだ。


 『こんな金額払えるはずがない……』


 市場の商店から税金を徴収する役目にある趙行は、各商店の経営状況を知っている。それを考えれば、あまりにも法外な金額であった。


 「払えるわけがない!」


 趙行は使者の応対している同僚の甘嬰に詰め寄った。


 「分かっている。しかし、使者に盾突くわけには……」


 甘嬰は苦りきった表情を浮かべた。彼とて提示してきた金額が現実的ではないと知っていたが、使者を前にして拒否できないのが甘嬰の立場であった。


 「まずは半納とはならんのか?」


 「ならん。すぐにでも払えとの仰せだ」


 「甘嬰。使者に会わせろ。俺が交渉する」


 「無駄だと思うが……」


 甘嬰はそう言いつつも、趙行の剣幕に押され、一緒に使者のもとへ向かった。だが、使者は趙行の言葉に耳を傾けなかった。それどころか、


 「相公(相房)のご命令に逆らうのであれば、ここにいる全員の罪であるぞ。払わねば、軍勢をもって無理にでも徴収する!」


 と武力行使をちらつかせ、趙行に反駁した。趙行は拳を握り締め、今にも使者を殴り倒そうといく形相をしていた。それに気がついた甘嬰は、彼の足を踏み、思い止まらせた。


 その夜、趙行達は貴輝の長老達を呼び協議した。長老達も突きつけられた法外な税金に対し、困惑と怒りを隠さなかった。ましてや使者の言動を趙行が告げると、あるひとりの長老などは席を立ち、使者を斬ると息巻いたのであった。


 「使者を斬る。確かにそれしかあるまい」


 先刻、使者を殴らんとしていた趙行は賛同した。甘嬰がきっと趙行を見た。


 「正気か?」


 「正気だ。俺が斬ってもいい」


 「それは反逆だぞ」


 「分かっている。しかし、税金を払えぬとなればどちらにしろ待っているのは死だ」


 趙行に言われ、甘嬰は黙ってしまった。税金が払えぬとなれば、甘嬰達は処罰され、貴輝も略奪の被害に遭うだろう。それが分からぬ甘嬰ではなかった。


 「やるか……」


 甘嬰が言うと、趙行は嬉しそうに頷いた。長老達ももはや同意するしかなかった。


 そこからの行動は早かった。趙行達は腕自慢の若者達を集め、使者の眠っている宿舎を強襲、従者を含め残さず討ち取ったのである。


 この時期、相房の悪政により各地で民衆の蜂起が相次いでいた。相房はそれらに対して鎮圧すべく軍勢を派遣しているが、手を焼いているというのが現状であった。


 『ここで我らも蜂起すればいい』


 それこそが自分達が生き残る道だと趙行は考えた。さらに趙行が他の蜂起した民衆と違っていたのは、この蜂起を組織化しようとしたことであった。


 「そのためには旗頭がいる」


 趙行は今後のことを甘嬰に相談した。物事に慎重な甘嬰も、事態がここに至っては趙行と供にするしかなかった。


 「それは分かる。しかし、そのような旗頭などいるのか?君や私では無理だ」


 「無論だ。騙るしかない」


 すでに趙行にはその候補があった。それが公子淡であった。


 「公子淡は、亡き泉公の公子の中でも人望があり、幸いにして相房の乱の時に泉春を脱出して生死不明だ」


 「大物過ぎるだろ……」


 「しかし、他にいるか?」


 いない、と甘嬰は言った。


 「公子淡を騙るとして誰がその偽者を演じるのだ?」


 そう問われて趙行はじっと甘嬰を見つめ返した。


 「私か?無理だ!」


 甘嬰は大きく首を振った。


 「誠実な君ならできると思うのだが……」


 「役を演じるなんて私にはできない。言い出した君がやりたまえ」


 甘嬰が切り返すと、趙行は満更でもなさそうな笑みを浮かべた。


 「やるか」


 最初から公子淡を騙るつもりであった趙行としては甘嬰から口から言って欲しかったのだ。こうして趙行は公子淡を騙ることになった。


 貴輝に公子淡がいる。この効果は絶大であった。各地で蜂起している集団が傘下に入り、公子淡を慕う者達が貴輝に集まってきた。公子淡を騙る趙行は御簾の中に隠れ、それらに応対した。


 『さながら公族、貴族だな』


 趙行は満悦していた。当初は急場しのぎのつもりで公子淡を騙ったのだが、いつしかその地位を演じることを満喫していた。しかし、思わぬ事態が起こった。


 「蘆明が来ただと……」


 甘嬰からその報告を聞いた趙行は顔色を曇らせた。


 「先の左中将、蘆士会の息子だ。直接対面しないわけにはいかないであろうし、公子の顔を知っているかもしれん」


 そうなると趙行達の嘘がばれてしまう。ばれてしまえば、これまで築いてきたすべてが崩れ去ってしまう。


 「個人的に対面しよう。ばれなければそれでよし。ばれたなら、蘆明を殺すしかない」


 甘嬰はこれには頷くしかなかった。彼も今や偽公子淡の下で丞相である。その地位を脅かす者なら排除しなければならなかった。


 だが、杞憂であった。対面した蘆明は年若く、十五年前に公子淡と直接会っている様子はなかった。趙行を見るやはらはらと涙を流し、


 「よくぞお立ちになられました」


 と深く叩頭したのであった。


 「存外、私は公族の顔をしているのかもしれんな」


 蘆明が下がった後、甘嬰と二人きりになった趙行は嬉々として言った。


 「浮かれるなよ、趙行。私達のやっていることは実に危うい綱渡りなのだぞ」


 甘嬰はどこまでも慎重であった。楽観的な趙行と慎重派の甘嬰。実に均衡の取れた二人であったが、組織が巨大化するにつれ、齟齬が生まれ始めていた。


 そのうちのひとつが緑山党を傘下に加えたことであった。戦力不足を補うために趙行が積極的に推進したのだが、甘嬰は反対した。


 『緑山党の戦力は魅力的だが、あくまでも賊だ。賊と結びついては大義を見失う』


 甘嬰はそう主張した。


 『そう言うがな、緑山党ももとは飢えて定住できなくなった流民達ではないか。相房の悪政による被害者なのは同じであろう。我らの大義の旗の下に集まれば、正義の義軍となるだろうよ』


 趙行は甘嬰の主張を退け、緑山党を傘下に加えたのであった。だが、このことが泉春の相房に目をつけられることになった。巨大化した貴輝の反乱分子は鎮圧の対象となったのである。


 相房は三万の兵を貴輝に向かわせた。樹弘がすれ違ったのはこの軍勢であった。

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