黄昏の泉~4~

 荷馬車は全部で三台。馬車には老人とその使用人二人がそれぞれ乗り込み手綱を握った。警護の者達は全員徒歩で、馬車を囲むようにして歩いた。


 道中、樹弘は蘆明と度々言葉を交わした。老人が雇った警護者達は傭兵集団であり、蘆明はその頭であるらしい。彼らの中には蘆明よりも年長の者も数人いたが、彼らはまるで主人に尽くすように蘆明には丁重で従順であった、蘆明もまた、彼らの態度を当然のように受け入れていた。しかし傲慢な様子はなく、上に立つ者としての悠然とした風格を備わっていた。


 「蘆明さんは、どういう人なんですか?単なる傭兵の親玉には見えないのですが」


 蘆明と親しくなったと感じた樹弘は、思い切ってそう尋ねた。蘆明は虚を突かれたように顔を強張らせた。


 「前々から気になっていたのだが、蘆君は蘆士会の一族なのかね?」


 樹弘と蘆明の会話を聞いていた老人が割って入ってきた。


 「士会は私の父です」


 蘆明はそう言った。蘆士会の名前は樹弘も知っていた。泉国のかつての将軍である。


 そもそも泉国において、政治においては景一族が、軍事においては相一族と蘆一族が重きを成していた。その中で力をつけてきた相一族の相房が政敵であった蘆士会を謀殺、軍事を一手に握って国主泉弁を弑逆し、景一族を追ったのである。


 「これは失礼した。蘆君が貴人であったとは……」


 老人は急に居住まいを正した。相房が乱を起こさなければ、蘆明は今頃、泉国の重臣であっただろう。樹弘や老人などが一生会えないほどの雲上人である。


 「よしてください。今の私はしがない傭兵の長ですよ。金で雇われている以上、あなたが主人だ」


 自虐気味に蘆明は言った。そこには悔しさが滲み出ていた。


 「しかし、蘆君は貴種であろう。このような生活をして悔しくないわけなかろう」


 「別に私は泉国の重臣という地位にないことが悔しいわけではない。父を相房に謀殺され、その敵を討てないのが悔しいのです」


 樹弘には分からぬ感覚であった。父を知らず、洛影における母との生活しか知らない樹弘にとっては、蘆明の悔しさなど物語のようでもあった。


 『僕の天地は狭い』


 その狭さを感じざるを得なかった。今の樹弘の天地は洛影と洛鵬、そしてこれまでの道中で見た風景しかなかった。対してわずかに年長でしかない蘆明は、かつての将軍の子息して広大な世界を見てきたのだろう。それは非常に羨ましかった。


 「ふむ……。他意はないのだが、わしは泉春に向かおうとしている。蘆一族の君が国都に近づいても大丈夫なのかね。それとも何か大望でもあるのかね」


 老人の言葉に蘆明はかかっと笑った。


 「十五年前、私は五歳です。連中が私のことなど分からないでしょう。それに大望と言われても、今の私にはこれだけしか仲間がいない。何も出来やしませんよ」


 「そういうことにいたしましょう。しかし、蘆君。覚えておいていただきたいのは、我ら民は相氏による支配を歓迎していないということですよ」


 蘆明の顔色がわずかに紅潮した。老人の激励に興奮を覚えたのだろうか。


 「いずれ期待には沿える人物になりたいものです。しかし今は、無事に泉春に辿り着けるように働きましょう」


 蘆明の言葉に満足したのか、今度は老人がかかっと笑った。




 それからの道中、樹弘は蘆明と言葉を交わすことが多くなった。それだけではなく、老人から十五年前に起こった政変についても詳細に聞くことができた。


 十五年前即ち義王朝五二五年、泉国の国主泉弁が重臣の一人であった相房に弑逆され、国主の地位を簒奪されたのである。


 泉弁はこれといって取り得のない君主であった。凡庸というものを絵に描いたような人物で、国政に対して主導的な意思を持たず、朝議においても重臣からあがっている案件についてただ頷くだけで、早々に退出することもしばしばであった。


 だからとって酒池に溺れることも、肉林を住処にすることもなかった。芸術に傾倒することも、変質な趣味に走ることもなかった。ただ泉国の国主としてのそこに存在していることだけが泉弁にとっての生存意義であり、人として能動的に生きるということを知らぬ人物であった。口の悪い臣下などは『動く置物』と陰口を言うほどであった。


 その凡庸さが、相房という野心に満たされた男につけ込まれた。相房は泉国の将軍として華々しい戦果をあげていた。その功績は同じ泉国の将軍である蘆士会以上のものがあり、衆望を集めていた。そのことが相房という男の野心に火をつけたといっていい。


 『我の方が国主に相応しい』


 相房はそう考え、配下の軍勢を動かして皇宮を包囲、泉弁を弑逆したのであった。その際、相一族と敵対する景一族や蘆一族を追放、もしくは謀殺したのであった。


 「ちょっと待ってください。仮主が立てば国は乱れるというのは昔から言い伝えられていることで、僕のような学のない者でも知っています。それなのに何故、相房は自ら仮主となったのですか?」


 「その問いは難しいな。確かに仮主が立てば国は乱れると言う。確かに今の泉国はそのようになった。しかし、現実には仮主どころか仮国が存続している。必ずしも言い伝えどおりにはならぬというのは、やはり歴史が証明している」


 仮国とは義王朝の祖である義舜によって認められた七国、印、泉、龍、静、斎、翼、界以外のことを指す。例えば、泉国内には伯という仮国があり、龍国には極という仮国がある。さらにいえば、斎国は国号を失い、その封土は仮国ばかりであった。これらがすでに歴史を築いているいう事実を考えれば、仮主にまつわる言い伝えは所詮言い伝えであると考えられてもしかたなかった。

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