まだ序盤だというのに

 トシヤとマサオは無言でペダルを回しては、時折り辛さ・しんどさを紛らわそうとお互いに声を掛け合った。それを繰り返しているうちにペダルが一層重くなった。最初の難関である勾配がキツくなるポイントに出たのだ。


「やっぱココはキツいな……」


 トシヤが心の中で呟いた。今まで5%前後の勾配だったのがここから少しの区間だけ8~9%となり、一瞬ではあるが渋山峠最初の10%超ポイントが待っているのだ。

 ちなみに速い人はこの辺りを時速20キロ以上で駆け抜ける。そしてトシヤのサイコンが示す数字はその半分程度だ。

 後ろを見るとマサオが少し遅れ始めている。


「ココ越えたらちょっと楽になる。頑張れ!」


「おう、こんなトコで止まってられねぇよな」


 トシヤの声に頷き、威勢良く返事をするマサオだが、トシヤの言った事は半分は本当で半分は嘘だ。確かにココを越えれば斜度は少し下がる。だがそれはほんの少しの区間で、またすぐに斜度は上がる。そして近付きつつある第一ヘアピンを抜けると斜度は更に上がり、渋山峠の本番はソコから始まるのだ。


 ようやく第一ヘアピンが見えた。大きく弧を描いて左に曲がる第一ヘアピンはクリッピングポイント付近では壁の様に見える程の急勾配だ。実際の斜度は10~12%といったところだろうか。

 スポーツ走行を行う時のカーブの走り方の基本は二つ。一つは『スローイン・ファストアウト』で、カーブにゆっくり入って立ち上がりを速くする事。

そしてもう一つは『アウトインアウト』で、コレはライン取り。カーブに入る時は外側から入り、クリッピングポイントを奥に取り、アウトにはらみつつ加速する。もっとも最近はタイヤの進化により、アウトインアウト不要論もでている様だが。


 この二つを意識する事によってより早いタイムを叩き出す事が出来るのだが、ロードバイクでのヒルクライムだと話は変わってくる。峠道のカーブではイン側の斜度がキツい事が多いので出来るだけ斜度の緩いアウト側を走りたいし、何よりも『スローイン・ファストアウト』など夢のまた夢。現実は悲しい事に『スローイン・スローアウト』なのだ。


 のたのたと、それこそハエが止まる様な速度で第一ヘアピンをクリアしたトシヤとマサオだが、息をついている暇は無い。ここから先は道幅が狭くなってセンターラインが無くなり、路面の舗装が悪くなり、そして斜度がキツくなる。くどい様だがココからが渋山峠ヒルクライムの本番なのだ。


 トシヤとマサオは必死にペダルを回した。『必死に回した』と言ってもこの辺りの勾配は10%を超えているのでケイデンスは50も行ってないだろう。そしてギアはもちろん一番軽いインナーローだ。だから車体は全然前に進まない。それはもう悲しいほどまでに。

 ペダルを回しても回しても進まない車体……報われない努力に早くもマサオの心が折れそうになった。


 マサオと前を走るトシヤとの距離が少し離れた。もちろんキツいのはトシヤも同じだ。だが、トシヤにはほんの少しではあるが余裕が残っている。


「マサオ、大丈夫か?」


 トシヤは振り返ってマサオに声をかけた。これには二つの意味があった。一つは本当にマサオを心配しての事。そしてもう一つはお互いに『大丈夫だ』と強がりを言い合って自らを鼓舞しようという思いだ。だが、すぐ後ろに居る筈のマサオはそこには居なかった。


 ――おいおい……アイツ、マジで大丈夫かよ――


 トシヤは思ったが、今はそれを言うべきでは無い。いや、言ってはいけない。マサオが全然大丈夫じゃ無いのは明白だ。今、そんな事を言われたらマサオの心が折れてしまうかもしれない。今マサオにかけるべき言葉はそんな不安を煽る様な言葉では無い、前向きの言葉なのだ。


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