第85話 足着き無しを目指して

「よし、行くか」

 トシヤは気合十分にリアクトに跨った。

 そう、今日は日曜日。今日こそは渋山峠を足着き無しで上りきる、ハルカと一緒に!


 トシヤはマサオとの集合場所の近くのコンビニに走りながら考えた。


 ――今日もハルカちゃん、先に上ってるのかな……――


 先週の日曜日の出来事を思い出しながら走るトシヤだが、そんな事はどうでも良い。大事なのは『上る事』それだけだ。


 マサオと合流したトシヤがコンビニに着くと、見慣れたエモンダが二台停まっていた。もちろんその横にはハルカとルナの姿が見える。


「トシヤ君、おはよう」


「今日こそは足着き無しで上ろうね!」


 トシヤとマサオは大きく頷き、元気に挨拶を返し、少し休んだ四人は峠に向けて走り出した。


 先頭はハルカで二番手がトシヤ、それにマサオが続き最後尾をルナが務めるいつものフォーメーション、緩い上り坂で今日のコンディションをチェックする。大丈夫、ギアはまだ二枚残っている。調子は悪く無い! それに前をハルカが走っている! そんな今まで普通だった事をトシヤは嬉しく思った。


 先頭を走るハルカもそれは同じだった。麓のコンビニから峠に向かうこの道を走る時はいつも気分が高まっているのだが、今日の高揚感はいつも以上だ。

 もちろんその理由はハルカ自身よくわかっている。チラっと振り返ったハルカの目にトシヤの姿が映った。ただそれだけの事が嬉しかった。だが、振り返ったハルカにトシヤは手を挙げて応えたのだが、振り返ったのは一瞬だけだったのでハルカはそれに気付く事が出来なかったのが残念だ。


 程なくして四人は渋山峠のスタート地点に到着し、いつもの様に少し広くなっている所にロードバイクを停めた。今日は日差しが強く、梅雨明けの蒸し暑さとは比べ物にならない程もの凄く暑い。ココで一休みしてクライム前の水分補給をしておかないと途中で脱水症状を起こしてしまう危険がある。何しろこの暑さのせいで麓のコンビニからココまで数分しか走っていないのにサイクルジャージの背中はじっとり汗ばんでいるのだ。しかもこれから始まるヒルクライム中は汗だくになる事間違い無しなのだから。


 もちろん途中で水分補給をしても良いのだが、残念ながらトシヤはヒルクライム中にボトルケージからボトルを引っこ抜いて飲むなんて起用な事など出来無い。だから水分を補給する為には足を着いて止まらなければならないのだが、今日の目標は足着き無しだ。つまり、渋山峠を上りきるまでは水分補給が出来無いのだ。


「じゃあ、行くわよ!」


 ハルカが張り切ってスタートしたのを皮切りにトシヤ、マサオ、そしてルナもスタートした。


 ――渋山峠を上るのは何度目だろう? リアクトを買って、初めて遠出をした帰りに調子に乗って上ってみたら第一ヘアピンまでも行けなかったっけ……その時にハルカちゃんと出会ったんだよな……――


 トシヤはハルカに着いて上りながらそんな事を考え、ハルカとの出会いを思い出した。


 ドロップハンドルと派手なカラーリングが格好良いと思って憧れたロードバイク。


 お小遣いやお年玉を集めてリアクトを買った時はヒルクライムなんて知らなかった。


 まさかこんなにヒルクライムに嵌るなんて……

 

 だが、そんな悠長に上っていられる時間は終を告げた。第一ヘアピンが目前に迫ってきたのだ。第一ヘアピンを越えると渋山峠が真の姿を見せる、ヒルクライムの本番はココからなのだ。


 暑い。それにしても暑い。じっとしていても汗ばむ程の日差しの中、自転車に乗っているのだから当然と言えば当然なのだが恐ろしく暑い。速度を上げる事が出来れば少しは涼しくなるのだろうが走っているのは斜度10%越えの上り、速度は悲しい程に上がらない。前を走るハルカに着いて行けない事はないが、ハルカは抑えて走ってくれているのだろうか? などとついつい考えてしまうトシヤの頬を汗が伝う。とりあえずの目標は第二ヘアピンだ。しかしまだ第一ヘアピンを過ぎて少しの所だ。先はまだまだ遠い。


 トシヤの後ろではマサオも頑張っている。元々は山を上るのはしんどいとヒルクライムにはあまり乗り気では無く、ルナと一緒に走りたいが為だけに渋山峠を上っていたマサオだが、プリンスにレーシングゼロという強力な武器を得て少し上れる様になった今では少しヒルクライムが好きになって来た様だ。


「ルナ先輩、しんどいっすねー」


 口では言いながらも目は楽しそうだ。もちろん本当にしんどいのは言うまでも無いだろうが。


「マサオ君、まだまだ序の口、キツいのはこれからよ。頑張ってね」


 ルナがマサオの声に答えた。ルナに『頑張ってね』と言われたのだ、これはどんなエナジードリンクより効き目がある。


「大丈夫、俺だってまだまだこれからっすよ!」


 声高々なマサオの叫びはルナとトシヤはもちろんハルカにも届いた。


「マサオ君、ちゃんと着いて来てるみたいね。じゃあもうちょっとペース上げてみようかしら」


 マサオが着いて来ているという事はトシヤもまだまだ大丈夫だろうと思ったハルカだが、ココでペースを上げるとトシヤのペースを乱して疲れさせるかもしれないと思うとそうもいかない。


「このペースだとだいたい三十分ちょいってトコかな……?」


 もちろんハルカはペースを少し落として走っている。今回のヒルクライムの一番の目的はトシヤに足着き無しで渋山峠を上りきらせる事だ。ちなみに渋山峠の平均タイムは二十分、ハルカで二十五分といったところだが、この『平均タイム』というヤツはネット上の豪脚自慢達の恐ろしいタイムも入っているのであまり気にしない方が良いと言われている……うん、気にしたく無い。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る