第66話 相合傘

 ショッピングモールを肩を並べて歩くトシヤとハルカ。二人の姿は周囲からすればどんな風に見えるのだろうか。友達? 兄妹? それとも……

 そんな事を考えていたかどうかは定かでは無いが、ショッピングモールの出口に着いた時、雨がまだ上がっていないのを見たトシヤが思わず声を出した。


「うわっ、まだ結構降ってるな」


 ハルカの家まではもちろん徒歩だ。いつぞやルナの家に行った時にハルカの家はその近所だと言っていたが、ルナに家までショッピングモールから歩くと十五分、いや、雨だから歩くのが遅くなって二十分以上かかるかもしれない。だが、もっと大事な事にトシヤは気付いた。


 ハルカは両手でクマのぬいぐるみを抱えている。まあ、片手でも持てない事は無いだろうし、ハルカ自身が一人で家に戻るつもりだったのだから問題は無いだろうが、片手で大きなぬいぐるみを持ち、片手で傘を差して歩くのは危ないだろう。となるとトシヤが取るべき行動は一つだ。


「ハルカちゃん、俺の傘に入りなよ」


 両手で抱いていたぬいぐるみを片手に持ち替えようとしたハルカにトシヤは思い切って言った。


「えっ……?」


 トシヤの言葉にハルカは思いっきり動揺した。それはそうだろう、トシヤの言葉の意味するところは単刀直入に言うと『相合傘で行こう』という事なのだから。

 もちろんそれはトシヤも重々承知の上だ。顔を赤くしながら言い繕うに説明を始めた。


「いや、そんな大きなぬいぐるみを片手で持っちゃ不安定だろ、それにハルカちゃんの傘じゃ濡れそうだし……ほら、俺の傘、結構デカいからさ」


 確かにハルカの傘は女の子用の小さくてお洒落な物で、トシヤの傘は男性用で飾り気は無いが、寄り添えば二人が雨を凌げそうな大きな物だった。


「うん……じゃあ、お願いしようかな」


 ハルカは恥ずかしそうに頷くとぬいぐるみを両手に抱え直してトシヤに寄り添うと、身長差でトシヤの鼻の高さにハルカの頭が来て、髪から香るシャンプーの匂いがトシヤを襲った。頭がクラクラしそうになるのを抑えながらトシヤが傘を開いて差し掛けるとハルカはトシヤの方を向き、ニッコリと微笑んだ。


「ありがとう」


 その笑顔をとても直視出来ないトシヤは前を向いたままで「ああ」と頷くと、ゆっくりと歩き出した。まるで照れ臭さを押し殺すかの様に。


 相合傘で歩いていると、見慣れた景色も全然違って見える。もちろんそんなのは気のせい以外の何物でも無いのだが、やはり精神状態が知覚神経に与える影響は大きい様だ。


 ふわふわした気持ちで歩いている二人だが、ふとハルカがトシヤの方を見て、ある事に気付いた。トシヤの肩が雨に打たれて濡れているのだ。自分は全く濡れていないというのに。それはもちろんトシヤがハルカを気遣っての事だ。ハルカは嬉しくなってトシヤに身体を寄せるとハルカの肩がトシヤの腕に触れた。


「あ……」


 どちらからとも無く言葉が漏れた。ハルカが慌てて離れると、勢い余って傘から身体の半分以上が出てしまい、頭に雨が降りかかった。


――冷たい――


 ハルカが思ったのは一瞬だけだった。トシヤが離れてしまったハルカに反応して、傘で雨から守ったのだ。だが、その為に今度はトシヤが頭から雨に濡れるハメになってしまった。


「ごめんなさい」


 ハルカは言いながらトシヤにもう一度身を寄せた。今度はトシヤを驚かせない様に、自分も驚かない様にゆっくりと。トシヤは引っ付いてきたハルカに面食らいながらも逃げる様な事はせず、二人は寄り添って雨の中を歩いた。

 とは言ってもトシヤもハルカもこんな経験は初めてだ。緊張してロクに会話も出来無いまま時間だけが経ち、気が付けばハルカの家に着いてしまった。


「トシヤ君、ありがとう。じゃあこの子を置いてくるからちょっと待っててね」


 ハルカは言うと、家の中へと消えていき、またすぐに出て来た。


「おまたせ。じゃあ、行こうか」


 心の片隅で『家に入れてもらえるかも……』などと甘い考えを起こしていたトシヤだったが、期待はあっさりと裏切られてしまった。

 トシヤが密かに溜息を吐いた時、傘を開こうとしたハルカの動きが止まった。どうしたのかと思ったトシヤにハルカは小さな終えで言った。


「あの……戻る時も傘に入れてもらっても良い……かな?」


 何と、ハルカが相合傘を申し出てきたのだ。トシヤは耳を疑った。


「あ……ああ、構わないよ」


 平静を装うトシヤだが、本当は口から心臓が飛び出しそうだ。ハルカはそっとトシヤが差し出した傘に入り、二人は寄り添って歩き出した。


 勇気を出して相合傘に持ち込んだハルカ。普通の神経なら『フラグが立った』と喜ぶところだろうが、トシヤという男は実に残念な男だった。彼の頭は『さっきと同じ失敗をしない』つまり二人きり、しかも相合傘という状況で全く話が出来なかった事を繰り返すまいという思いでいっぱいだった。その結果、とんでもない事を言ってしまったのだ。


「俺の傘に入って行こうとは、ハルカちゃんも考えたね。傘持ってたら、遊ぶ時に邪魔だもんね」

 

 ――違う、そうじゃ無い――


 ハルカは心の中で叫んだが、とてもそんな事を言うわけにはいかない。


「でしょ? ちょっと恥ずかしいけどね」


 ハルカはそう言って無理に笑った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る