第57話 やっぱり……

「ポジションの具合はどう?」


 コンビニで冷たい飲み物を買い、喉を潤しながらルナがトシヤとマサオに尋ねた。


「平地や上りは良いんですけど、下りがちょっと怖かったですね」


 トシヤが正直な感想を述べるとハルカが笑いながら言った。


「すぐに慣れるわよ。って言うか、そのうちもっと下げたくなるかもよ」


 するとマサオが大きく頷きながらハルカの言葉に同意した。


「ハルカちゃんの言う通りだぜ。第一ハンドルが低くてサドルが高い方が格好良いじゃんかよ」


 前にも述べたが、ロードバイクはサドルは高い程、サドルとハンドルの落差は大きい程格好良いとされる風潮がある。もちろん一番大事なのは自分に合ったポジションを出す事だが、やはり見た目も重要だ。トシヤが四台のロードバイクを見ると、一番キャリアの長いルナのエモンダが一番サドルと落差が大きく戦闘的で格好良い。それに比べると自分のリアクトはまだまだ甘い様な気がしてならない。


「そうだな。早く慣れて、もっとハンドルを下げて格好良くしないとな」


「だろ?」


「あのね、二人共」


 格好良さに拘るトシヤとマサオにハルカが呆れた声を上げた。


「見た目も大事だけど、走りはもっと大事なんだからね」


 するとルナは更に呆れた様に言った。


「ハルカちゃん、もっと大事な事があるでしょ。一番大切なのは安全に走る事よ」


 ルナの言う通りだ。ロードバイクに限らずオートバイでも車でも安全を第一に考えて楽しまなければならない。


「わ、わかってますよぉ。私の言う『走り』には『安全』も入ってるんですから」


 慌てて言うハルカにトシヤは最終ヘアピンでリアタイヤが一瞬浮いて焦った事を思い出して一人苦笑いした。


「何笑ってるのよ?」


 それを見たハルカが頬っぺたを膨らませるが、トシヤとしては焦った事をハルカに知られるのは恥ずかしい。


「何でもないよ」


 誤魔化す様に言うトシヤにハルカは疑いの眼差しを向けるが、言えないものは言えないのだ。思わずトシヤが目を逸らすと、ルナが笑いながら言った。


「ハルカちゃん、そんな顔しないの。ほら、トシヤ君が怯えちゃってるじゃない」


 そんな風に言われたらハルカは矛を収めるしか無い。


「そ……そう、何でもないのなら良いのよ」


 ハルカが言ってその場は収まりそうになったが、マサオが余計な事を口走った。


「でも、最終ヘアピンじゃ焦ったぜ。トシヤのリアタイヤが一瞬浮いてたもんな」


――マサオ、このバカ! ――


 せっかくルナが事を収めてくれたのに全て台無しだ。頭を抱えるトシヤにハルカの冷たい視線が突き刺さった。


「いや、なんてコト無いよ。すぐに立て直せたし、平気平気」


 ハルカの冷たい目に軽い調子で答えるトシヤにハルカが切れた。


「バカっ、何行ってるの! 大怪我するかもしれないトコだったのよ!」


 プロテクト能力の全く無いサイクルジャージで落車すれば痛い思いをする。そんな事は当の本人が一番よくわかっているのだが、肩を震わせて怒鳴るハルカにトシヤは返す言葉が無かった。さすがにルナもトシヤを庇う事は出来ず、厳しい目で口を開いた。


「トシヤ君、今のはあなたが悪いわね。女の子に心配かけるなんて、男の子としてどうかしら?」


 トシヤとしてはハルカに心配されるどころか冷たい目で見られたとしか思っていなかったのだが、ルナに言われて気付いた。ハルカが冷たい目で見ていたのは『落車しそうになったトシヤ』では無く『落車しそうになる程余裕の無い走りをしてしまったトシヤ』だという事に。


「ごめん……悪かったよ」


 すっかり態度を改めて頭を下げるトシヤに、今度はハルカが面食らった。


「わ……わかったら良いのよ、わかったら」


 ハルカはトシヤから目を逸らして突っ慳貪に言葉を吐いた。もちろんそれはハルカが機嫌を損ねたからでは無い。実はこの時ハルカはドキドキしていたのだった。と言うのもハルカの回りの男子から女の子扱いしてもらえないハルカは男子から「悪い」とか「ごめんごめん」などと軽いノリでしか謝られる事が無かった。しかしトシヤはハルカに対し、真摯に詫びの言葉を口に出して頭を下げた。そう、これは初めてハルカがトシヤを男の子として意識した時と同じ様な状況。乙女スイッチが入ってしまった為にハルカはこんな態度しか取れなくなってしまったのだ。


「まあ、落車はしなかったことだし、トシヤ君もこれからは気を付けるわよね」


「はい……」


 ルナの言葉にトシヤが頷き、今度こそ事態が収束し、四人はコンビニを後にした。帰りはルナが先頭を切り、マサオが続き、トシヤが後を追い、殿をハルカが務めた。


 前を走るトシヤの背中を見ながらハルカは思った。


――どうも調子狂っちゃうな。これって、やっぱり私、トシヤ君の事を……――


 トシヤはトシヤで思っていた。


――ハルカちゃん、俺の事心配してくれてたんだよな。それなのに俺って……――


 反省しながらも前を走るマサオの背中を見てこんな不埒な事も考えてしまった。


――前を走ってるのはマサオか……ハルカちゃんじゃ無いんだよな……――


 もちろんハルカが後ろを走っているのはトシヤもわかっている。だが、後ろを走っているという事は、姿を見れないという事だ。トシヤも健康な男子なのだから、どうせ見るなら野郎の背中よりも女の子の背中の方が良いのは当然なのだが、トシヤは『女の子の背中』では無く『ハルカの背中』を求めている自分に気付いた。


――そっか……やっぱ俺、ハルカちゃんの事……――


 同じく淡い恋心を持つトシヤとハルカだが、二人の想いが通じる日は来るのだろうか……?


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