第52話 作業終了の後はカフェへGO!

「意外と簡単に出来るモンなんだな」


 外れたハンドルとステムを手にマサオが呟くとルナが優しく言った。


「外すのはね。でも、組む時は微妙な力加減が必要なのよね。それじゃハンドルはワイヤーでぶら下がるから、傷付けない様にゆっくり手を離してスペーサーを抜きましょうか」


 トシヤとマサオがコラムスペーサーを全部外すと、ハルカがステムをコラムに戻す様に指示した。


「うおっ、かっけー!」


 コラムスペーサーを全部外し、所謂ベタ付け状態でハンドルが低くなったプリンスを見てマサオが思わず声を上げた。その声に同調する様にハルカも「うんうん」と頷いている。


「やっぱりロードバイクはこうでなくっちゃね」


 やはりサドルとハンドルの落差が大きいと、レーシーで格好良い。もちろんマサオのプリンスだけで無く、トシヤのリアクトも同じだ。だが、見惚れてばかりいても仕方が無い。ステムを仮止めし、スタンドを外してサドルに跨り、ハンドルを握ってポジションを確かめる様にルナに言われたトシヤとマサオは揃って言った。


「うわっ、ハンドル低っ!」


「ダメだ、格好良くでもコレじゃ走れないわ」


 そんなトシヤとマサオを「やっぱり」といった目で見ながらハルカが言った。


「まあ、そりゃそうでしょうね。これが一番低いポジションだから、どれぐらいハンドルを上げたら乗りやすくなるか考えて」


 トシヤとマサオは仮止めしたステムを上げたり下げたりしてポジションを確認した結果、二人共ステム下に黒のコラムスペーサーと先週買った赤のコラムスペーサーを一枚ずつ入れる事に決めた。


「ステムの上に出たコラムにスペーサーを入れるんだけど、その時にコラムよりスペーサーが高くなる様にね。そうしないとフォークの引き上げが出来無いから」


 ハルカの口から難解な専門用語が飛び出した。


「フォークの引き上げ? 何だそりゃ?」


 理解出来無いマサオがハルカに尋ねた。『フォークの引き上げ』とは、ロードバイクに採用されている『アヘッドステム』の調整の一つで、簡単に言えばハンドルベアリングの当たり具合をトップキャップのボルトの締め具合で調整するのだが、この時にステムを固定せずにトップキャップのボルトを締めるとフォークが引き上げられてハンドルベアリングも締まる。この『フォークの引き上げ』はコラムの上端とトップキャップの間に隙間が無いと出来無いのだ。そしてもちろん締め過ぎるとハンドルが重くなるし、締め具合が足りないとハンドルにガタが出る。この微妙な加減がメカニックの腕の見せどころなのだ。


 ルナがその事を説明したが、トシヤもマサオも理解出来たのかどうか怪しいものだ。だが、言われるままにステムの上にコラムスペーサーを入れたトシヤとマサオはそれぞれハルカとルナに確認してもらった。


「こんなもんで良いかな?」


 トシヤに尋ねられてハルカが見てみると、コラムスペーサーはコラムの上に3ミリ程出ている。


「うん、おっけーよ。配色パターンはそれで良いの?」


 トシヤはステムを挟む形で赤のコラムスペーサーを配置していた。これも定番と言えば定番のパターンだ。


「うん、コレで良いかなって」


 言うとトシヤはハンドルが低くなった為にサドルとの落差が出て格好良くなっている愛車のリアクトをあらためて眺めた。ハンドルを下げてコラムスペーサーの色を変える、それだけで随分と雰囲気が変わるものだ。


「自分で手を入れたら『愛車』って感じが強くなるでしょ。でも、まだ終わりじゃ無いわよ」


 ハルカはトシヤのリアクトのハンドルに手を掛けるとフロントタイヤを浮かせ、何度か地面にバウンドさせた。


「こうやってフォークがしっかりヘッドチューブに入ってるのを確認したらトップキャップのボルトを少しずつ締めていくの。ハンドルが重くならない程度にね」


 簡単に言うハルカだが、『重くならない程度』と言われても、どれぐらい締めれば良いものやらトシヤにわかる筈が無い。するとルナが助け舟を出してくれた。


「今はコラムスペーサーが手で回せるでしょ? それが回せるか回せないかぐらいで調度良いわよ」


 なるほどと思いながらトシヤはボルトを少し締め、少し手応えが重くなったところでコラムスペーサーを回してみると、まだ簡単にクルクル回す事が出来た。


「まだ足りないのかな?」


 更にボルトを締めたところでもう一度コラムスペーサーを確認すると、少し固くはなったがまだ回す事が出来たので、もう少しだけボルトを締めるとコラムスペーサーは回せない事は無いが、かなり力を入れないと回せなくなった。その様子を見てハルカがハンドルが重くなっていないかチェックしたところ問題は無い様だ。また、フォークのガタをチェックしても大丈夫みたいだ。


「じゃあ、コレでおっけーね。後はステムの本締め。ここでルナ先輩のトルクレンチがモノを言うのよ」


 ボルトは強く締めれば強く締める程良いという訳では無い。ボルトには『規定トルク』という締め付け具合の数値があり、それよりも弱ければすぐに緩んでしまうし、強く締め過ぎれば最悪壊れてしまう。ハルカはトルクレンチの数値を5キロにセットして、トシヤに渡した。


「上と下のボルトをある程度の強さで締めたら、最後にコレでカチっと手応えがあるまで締めるのよ」


 ずっしりとした見た事の無い工具にトシヤは緊張しながらトルクレンチの先に付けられたビットをボルトの頭に差し込み、ゆっくり回した。するとカチっという微かな音と手応えが伝わった。締め付けトルクが規定の5キロに達した合図だ。


「上下二本共締め終わったら、もう一度ハンドルが重くないか、ガタは無いかをチェックしてね」


 ハルカに言われ、トシヤが再度チェックすると、問題は無い様だ。後はハンドル高さが低くなったので、ハンドルの角度を調整して作業は終了。慣れれば10分程度で出来る作業だが、教えてもらいながら作業を行った為、結構な時間がかかってしまった。作業を終えたトシヤからトルクレンチを受け取ったマサオも同じ工程をこなし、無事にプリンスもハンドルが低くなり、ロードバイク本来の戦闘的なフォルムを取り戻した。ステムの上に出過ぎたコラムはカットしたいところだが、慣れたらもっとハンドルを下げるかもしれないし、第一お金がかかる。とりあえずはそのままにしておく事にした。


 作業が終わったリアクトとプリンスを見てルナが楽しそうに言った。


「じゃあ、早速試走といきましょうか」


『試走』と聞いてマサオがビクっとした。この面子だと、また渋山峠に連れて行かれると思ったのだ。だが、ルナは思いがけない言葉を発した。


「前から行ってみたいと思ってたお店があるの」


 するとハルカが声を弾ませた。


「もしかして、フレンドリー・ジェニファーズカフェ?」


「うん」


 ハルカの声にルナは頷いた。『フレンドリー・ジェファーズカフェ』とは、その名が示す様にカフェだ。しかしただのカフェでは無い。この近辺で『ヒルクライムの聖地』と言われている渋山峠の麓近くに在る、店内にロードバイクを乗り入れて愛車を見ながらティータイムが楽しめると言うローディーにとって嬉しいカフェなのだ。行き先がカフェだという事で、マサオもすっかり乗り気になった。


「じゃあちょっと待ってね」


 ルナはトルクレンチとビットが入ったケースバックパックに入れ、工具箱を片付けた。


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