第35話 展望台で二人きり
トシヤが前に出るとハルカもスピードを上げた。最終ヘアピンからゴールまでの数百メートルはヒルクライムのタイムアタックを行う時の最後の『もがき所』なのだ。もっともトシヤもハルカもかろうじて時速二桁を切らない程度のスピードしか出せていないが。
ゴールまでもう少し。そう言えば第二ヘアピンでハルカに「もう少し走ったら駐車場が……」と言われたのにも関わらず結構な距離を走らされたが、今回は道まで譲ったのだ。本当にもう少しなのだと自分に言い聞かせながら最後の力を振り絞ってペダルを回し、緩いカーブを幾つか抜けると、山肌を覆う間地石の上に車の屋根らしき物がトシヤの目に入った。
「車が停まってる……駐車場だ!」
トシヤは心の中で歓喜の声を上げた。峠の入口をスタートして約四十分、辛いヒルクライムがやっと終わろうとしているのだ。
「あそこがゴールよ。トシヤ君、お疲れ様」
後ろを走っている筈のハルカの声が何故か右側から聞こえた。驚いたトシヤが声がした方を見るとハルカの笑顔が見えた。
「もう大丈夫よね? じゃあ、お先に」
自転車のロードレース言うところの『アタック』と言うヤツだ。よろよろと走るトシヤの右側をハルカはダンシングでひょいひょいと追い抜き、左の『最終カーブ』へと消えていった。
「マジかよ……」
トシヤも追走しようと試みるが、既に足はいっぱいいっぱいで加速する事も出来ず、ハルカに引き離されながら左カーブに入ると、ゴールである駐車場の入口でニコニコしながら手を振っているハルカの姿が見えた。その笑顔に吸い込まれる様にトシヤは駐車場に入るや否や左のクリートを外し、足を着いた。
「渋山峠、登頂おめでとう」
ハルカが労いの言葉をかけるが、トシヤは納得がいかない様子だ。
「酷いよ、ハルカちゃん……あんなトコで追い抜くなんて……」
肩で息をしながら不満そうに言うトシヤにハルカは笑顔で言い返した。
「そんなセリフは一人で山を上れる様になってから言ってちょうだい。そんな事よりほら、景色が凄く綺麗よ」
言いたい事を言われ、しかも言った事を『そんな事』扱いされて少し落ち込んだトシヤだったが、ハルカの言う通り駐車場の入口からでも見える絶景に目を輝かせた。前にマサオと二人反対側から上った時も素晴らしい眺めに感動したが、その時はハルカに『裏ルート』呼ばわりされた。しかし今回は近辺のローディーから『ヒルクライムの聖地』と言われている『渋山峠』の正規ルートを上りきったのだ。しかも一緒に居るのはハルカだ。正に『天にも昇る気持ち』とはこの事だろう。
ハルカは左のクリートを外したまま右足だけで駐車場の奥にエモンダを走らせると、一番眺めの良いと思われる場所に停めると右のクリートも外し、エモンダから降りた。
「何してるの? トシヤ君も早くおいでよ!」
言いながら車が落ち無い様に埋められているのだろう大きな石にエモンダをタイヤとペダルで慣れた風に立てかけた。
「ほら、こうやって自転車を立てて写真を撮るのよ。上った記念にね」
ハルカに言われるままにトシヤもリアクトをタイヤとペダルを使って石に立てかけようとするが、ペダルがズレて中々上手くいかない。見かねたハルカがコツを教え、手伝ってようやくリアクトも手を離しても倒れなくなった。
「いつもは一人かルナ先輩と二人だから、なんだか新鮮ね」
ハルカはスマホを取り出すと、並んだエモンダとリアクトの写真を撮り始めた。もちろん自分のエモンダを中心に。トシヤもそれに倣いスマホを取り出すと、写真を一枚撮ってみた。リアクトのバックには青い空が広がり、その下には走ってきた道、そしてその向こうには遠くに山と町並みが小さく見え、地平線が広がっている。今まで想像すらしていなかった景色だ。
絶景と愛車の写真を撮るトシヤとハルカ。実は二人には共通する一つの思いがあった。だが、言いたくても言い出せずにいた。
――一緒に写真を撮ろう――
どうしてこんな簡単な言葉が言い出せない? トシヤもハルカも普段なら、違う相手なら気軽に言える言葉だが、お互いを意識してしまっている今、恥ずかしいという思いと嫌がられたらどうしようという不安が大きくなってしまって、簡単な筈の言葉がとても重い言葉となってしまっていたのだ。
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