第34話 弱気なマサオと優しいルナ そしてトシヤは

 その頃、マサオとルナはようやく第二ヘアピンの手前付近に到達しようとしていた。マサオも辛いが、ルナも少々疲れてきていた。と言うのも人によって走りやすいペースという物が有り、マサオに合わせたペースではルナには遅すぎるのだ。自分のリズムで走れない上に、時折後方を振り返ってマサオの様子も見なければならないのだ。さすがのルナも汗だくで苦しそうだ。

後ろから見ていてルナの走りが乱れてきた事にマサオが気付いた。


「ルナ先輩……俺の事気にして……ゆっくり走ってるから……辛いんじゃ……ないっすか?」


 息も絶え絶えなマサオが後ろから声をかけるとルナは振り返って笑った。


「大丈夫よ。心配してくれてありがとう」


 気丈に答えるルナだったが、あんまり大丈夫では無い事ぐらいはマサオにも一目で解った。このままルナに無理をさせるぐらいなら……マサオは一つの答えを出した。


「俺の事は良いから、先に行って下さい」


 そう言うと、マサオはペダルを止め、プリンスから降りてしまった。それを見たルナもエモンダを停止させると強い口調でマサオに迫った。


「どういう事? まさか私に後輩を置いて行けと言うの?」


「まあ、そういう事っすね。俺にはまだこの峠は早過ぎたんですよ。まあ、俺は俺で上ってますから先に行って、

待ちきれなくなったら下ってきて下さい。すれ違ったら俺のヒルクライムはそこまで。Uターンして下りますから」


 苦笑いしながら言うマサオにルナは溜息混じりに尋ねた。


「それ、本気で言ってるの?」


「ええ。ルナ先輩の足引っ張るより、その方がマシっすから」


 マサオも溜息を吐きながら答えると、ルナの顔が優しくなった。


「そう、わかったわ。でもね、実は私も疲れちゃって。一緒にのんびり行きましょう。先に行ったトシヤ君とハルカちゃんが私達を待ちきれずに下りてきたら仕方無いから一緒に諦めて下りましょうか」


 こんな顔でこんな事を言われて断れる男がどこに居ようか? マサオはルナに頭を下げた。


「すみません、気弱な事言っちゃって。でも、俺の事は気にしないで自分のペースで走って下さい。大丈夫、俺、絶対着いて行きますから」


「そうね。じゃあ、私のペースで走るけど無理しないでね。千切れちゃったら待っててあげるから」


 そう言って微笑むルナは正に女神の様で、後光すらかかっている様に見えた。マサオは大きく頷くと、ボトルに手を伸ばすとスポーツドリンクを口に含み、ゆっくりと飲み込んだ。


「これで補給もOKっす。お待たせしました。じゃあ行きましょうか」


 マサオの顔が引き締まった。ルナの優しさに触れ、気合を入れ直した目だ。これならもしかしたら……と思いたいが、ヒルクライムは気合だけではどうにもならない。マサオは何度もルナに千切られ、ルナはその度に足を止めてマサオを待った。そんなうちに二人に愛情が生まれ……る程世の中甘くは無い。ただ、一方的にマサオのルナに対する想いが単なる軽い気持ちから本物に変わりつつある事だけは確かだった。



 一方、トシヤの太腿は限界の一歩手前まで来てしまっていた。ペダルの踏み方を工夫し、どうすれば少しでも太腿の負担を減らせるか。目の前のハルカのお尻よりもそればかりが頭をグルグル回り、サドルの前に座ってみたり、後ろに座ってみたりしているうちに偶然太腿の裏側の筋肉、所謂ハムストリングでペダルを回せるポジションに行き着いた。本当なら、ここまで来る前に色々な乗り方を試して足の色々な筋肉を使う方法を探るのだが、足が終わる寸前まで気合と根性で乗り切るとは若さ故としか言い様が無い。だがしかし、これでトシヤは調子付いた。


「行ける、これなら行ける!」


 ペダルがほんの少しだけ軽く感じたトシヤが気が付けばハルカとの距離が縮まっていた。トシヤを気遣って後ろを振り返って見たハルカは急に何かに目覚めた様にペースの上がったトシヤに驚いた。


「嘘……トシヤ君、急に速くなったみたい」


 呟いてペースを上げようかと一瞬思ったが、これはレースでは無い。ここで変にペースを乱してトシヤを無駄に疲れさせる訳にもいかない。そう考えて踏みとどまったハルカの頭に一つの疑問が思い浮かんだ。


――トシヤ君のペースで走らせてみたらどうなるだろう? ――


 正直言ってハルカもルナと同様、普段よりゆっくりしたペースで走っているので疲れは溜まっている。ゴールの展望台までもう少し、トシヤに好きなペースで走らせてみれば……そう思っているうちに通称『最終ヘアピン』に近付いた。これを抜ければゴールはすぐソコだ。

 少しだけペースを上げ、最終ヘアピンをクリアしてもトシヤはしっかり着いて来ている。決断したハルカはエモンダを少し左に寄せてスピードを落とし、右手でトシヤに前に出る様サインを送った。


「トシヤ君、ゴールまでもうちょっとよ! ここからは自分のペースで走ってみて!」


 いきなりバルカに道を譲られ、先行しろと言われたトシヤは面食らったが、ここはどうのこうのと考える場面では無い。ここで行かなかったら男として失格だ。


「おっけー、わかった!」


 トシヤはハルカを右からパスすると、ペダルを回す足に更に力を込めた。

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