第30話 マサオとルナ、トシヤとハルカ

「マサオ君、途中で足を着いちゃって恥ずかしいとか思ってない?」


 そりゃ恥ずかしいに決まってる。トシヤとハルカはゆっくりではあるが、確実に先へと進んでいるのだ。そう答えようとしてマサオが顔を上げると、ルナは優しい目でマサオを見ていた。


「気持ちは解るわよ。でもね、ココで無理して走ったところで危ないだけ。スピードはそんなに出てないから大怪我はしないとは思うけど、落車するのは嫌でしょ?」


 優しい口調ではあるが、言っている事は『危なくて見てられないから休め』という事だ。悲しそうな目をするマサオに言い聞かせる様にルナは優しく言った。


「もうすぐ第一ヘアピン、そこで約三分の一だからまだ先は長いわよ。だから少し休みましょ。ねっ」


 こうまで言われればマサオも首を縦に振るしか無い。力無く頷いたマサオはプリンスから降り、ガードレールに立て掛けると地面にヘタり込んだ。


「あーあ、格好悪いな、俺」


 溜息を吐きながらマサオがボトルに手を伸ばすと、ルナもエモンダから降りてマサオの隣に腰掛けた。


「そんな事無いわよ。無理して落車する方がよっぽど格好悪いわ」


 あくまでも安全を第一に考えるルナの横顔はとても綺麗で、ボトルを手にしたままマサオが見惚れていると、ルナが突然マサオの方を向き、目が合ってしまった。動揺してボトルを落としそうになってしまったマサオにルナは軽く微笑みながら道路の下に広がる町並みを指差した。


「ほら、ココからでもこんなに綺麗な景色が見られるのよ。でも、俯いてちゃ景色なんて楽しめないわ。そんなに気負わないで、休みながらでも良いからゆっくり行きましょう」


 ルナの言葉にマサオは小さく頷き、ボトルに口を付けてボトルをギュっと握った。押し出されたスポーツドリンクがマサオの喉を潤し、落ち着いたマサオは重大な事実に気付いた。


――今、ルナ先輩と二人きりなんだよな――


 ついさっきまで泣き言を言っていたのと同一人物とは思えないぐらいの変貌ぶりだが、それでこそマサオだ。とは言うものの、こんな所で口説くのは愚の骨頂。ルナの言葉にどう返すのが最良の選択か? マサオは頭をフル回転させて一つの答えにたどり着いた。


「そうっすね。でも、天辺から見たらもっと気分が良いでしょうね。俺、頑張りますよ」


 ルナの言葉に同調し、そして更に自分のやる気を見せる、マサオの作戦は見事に成功し、ルナは立ち上がるとマサオに最高の笑顔を見せた。


「それでこそ男の子。じゃあ、行きましょうか。私が前を走るから、ペースを合わせてね」


 言うと、ルナはエモンダに跨り、また坂道を上り出した。マサオもそれに続くが、そんなすぐに体力が完全に復活する筈も無くペダルは重かったが、それでもなんとかルナに食らいつこうと必死にペダルを踏んだ。

 マサオの視界の真ん中に見えるサイクルコンピューターが表示する速度は僅か一桁だが、それでも着いて行くのがキツい。辛さと自分の腑甲斐無さに項垂れながらも懸命にペダルを回すマサオの頭にふとルナの言葉が思い浮かんだ。


――俯いてちゃ景色なんて楽しめないわ――


 顔を上げると、少し先に見えるルナの後ろ姿が。レーパンがぴったりと肌に張り付いてヒップラインが綺麗な曲線を描いている。また、剥き出しの太腿と膝裏がなんとも艶めかしい。しかもそれらはルナがペダルを回すのに従って躍動的に動いているのだ。これはマサオにとって何よりのご褒美、いや、素晴らしい景色だ。心に火が点いたマサオはペダルの重さをものともせず、ルナとの距離を詰めるべくプリンスを加速させた。

ちょうどその時、マサオの調子を気にして振り返ったルナは、俯いて苦しそうにペダルを踏んでいたマサオが別人の様に前を見据えて加速する姿を目の当たりにして感動すら憶えた。


「そうよ、マサオ君! 俯いてちゃ前に進めないわ。苦しいだろうけど、しっかり前を見て進むのよ!」


 もちろんルナはマサオの見据える『前』が自分のお尻だという事だなどとは知る由も無い。マサオはルナの声援を力に変えて突き進み、見る見るうちにルナとの差を縮めた。


 その頃、トシヤとハルカは第一ヘアピンを越えて、峠の半ばまでもう少しという所まで来ていた。トシヤはヘロヘロになりながらも足はまだ着いていない。


「前はココまで来るだけで何回も足着いたよな……」


 前方で揺れるハルカのお尻、いや、後ろ姿を見ながらトシヤは呟いた。一人で上っていたら、おそらく既に足を着いていただろう。ココまで足を着かずに来れたのはハルカが前を走ってくれているからこそ安定したペースで走る事が出来、また、ハルカに置き去りにされたくないというトシヤの強い意志があっての賜物なのだが、上り坂はまだまだ続く。いや、むしろ勝負はここからだ。ここから先の上りはトシヤにとって未知の領域、先週『裏』から上って下りた時はあっという間だったが、それは急な下り坂の為、スピードが出るからこそだ。ちなみにこの峠道の長さは約4キロ。半分まで来ているとしても、残り2キロもの距離を上り続けなければならないのだ。


 先が見え無いブラインドカーブを抜ける度にまた目の前に坂道が伸びては山肌に消えていく。それを何度繰り返した事か。標高が上がるにつれてトシヤの体力と気力はどんどん削られていく。そんなうちにトシヤとハルカは遂に峠道の約三分の二の地点に存在する『第二ヘアピン』の手前に差し掛かった。

 トシヤが初めて『第一ヘアピン』を見た時のインパクトは大きかったが、この『第二ヘアピン』がトシヤに与えたインパクトはそれ以上だった。と言うのは、ここに差し掛かる直前に何気なく山肌を見たトシヤの目に、頭よりも遥かに高く積まれた間地石の上を、更に急な角度で上っていくガードレールが映っていたのだ。すなわち、この『第二ヘアピン』を抜けると、その後にはその急な上りが待ち受けていると言う事。しかも、雨水用の排水溝が道を横切っている。幸い今は路面が乾いているので注意すれば然程問題は無いだろうが、もし排水溝の蓋が濡れていれば恐ろしく滑りやすくなり、落車の危険性は一気に跳ね上がる。ここで遂にトシヤの心は折れてしまった。

路肩にリアクトを停め、足を着いてしまったトシヤに気付いたハルカは自分も足を止め、Uターンすると、トシヤの所まで戻ってきた。


「あーあ、残念。足、着いちゃったね。でもまあ、ココまで来れれば上出来かもね。ゴールまでもう少し、ちょっと休みましょうか」


 言うとハルカはエモンダから降りると少し第二ヘアピンを押して上った。トシヤがそれをボケっと見ていると、急かす様にハルカが言った。


「何ぼーっとしてるの? そんな所で停まってちゃ危ないでしょ!」


 そう、上りでカーブの入口だと言う事は、下りからするとカーブの出口だ。トシヤが停まっていた場所は、カーブの出口のアウト側。つまり、カーブを曲がりきれなかった車が突っ込んで来る可能性の高い、非常に危険な場所だったのだ。慌てて移動するトシヤを見てハルカは一言呟いた。


「本当にトシヤ君って、危なっかしくて見てられないわね」

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